JOURNAL
ハルサイジャーナル
東京・春・音楽祭2024 アニバーサリーイヤーを迎える作曲家たち
アニバーサリーイヤーを迎える作曲家の作品、それらは該当する年に多く取り上げられる。多く取り上げれ、耳にする機会は多くなるが、プログラミング・コンセプトがしっかり定まり、作品の真価を引き出す出演者による公演はなかなか巡り合わない。取り上げた3公演はいずれも2024年にアニバーサリーイヤーを迎える作曲家の公演。しかも公演後も心に刻まれるまたとない巡り合わせになる公演だ。

フェルッチョ・ブゾーニ 没後100年に寄せて
フェルッチョ・ブゾーニの名を聞くと、オペラ≪ファウスト博士≫がすぐ思いつくが、次に思いつく作品が実はあげにくい。作品数自体は少ないわけではない。
不幸にもこういう状況になってしまったのは、音楽家ブゾーニをとらえる難しさにある。ブゾーニは過去から現在に至る音楽に限らない圧倒的な知識量を誇っていたためか、逆に自身においてオリジナリティある作品へと昇華していく過程で困難を生じさせたように思える。生涯の後半に作られた作品はそれらに折り合いがつき、高純度に結晶化したクリスタルのように作品の質が一気に高くなった。
ただそれに伴い、ブゾーニ作品には後年障壁が生まれたように思える。それほど長いわけではなかった人生もあり、名声に値する作品数が少ない。それに加えて、遺された結晶化した作品が演奏するには技術的な難度が高いのである。ゆえにブゾーニ、オリジナルの作品を聞く機会が名声に比して少なくなってしまった。
今回はそれを打ち破る画期的企画だ。現代の音楽へつながる流れを生み出した、音楽史に燦然と聳え立つ知の巨峰を作品を通じて改めて見つめなおす。J.S.バッハの演奏効果も考慮に入れ、適切にピアノに編曲した功績とともに聞きたい。トークも交えながらのコンサートになるので、いい演奏と音楽基礎素養の醸成、両方が同時に満たされるものとなろう。
シェーンベルクとウィーン
19世紀末から20世紀末のウィーン、振り返るとそれは絵画、建築、音楽といった文化がウィーンという都市の空間、さらに言うとウィーンのリングを基軸に融合していた空間であった。今でこそ我々は歴史をさかのぼって俯瞰でき、こういう見方ができるが都市を起点に一体となった文化空間ができあがることは実はそうない。
芸術家個々人が「個」の力を高めて、何かに挑戦して、創造する。それらが他の芸術家個々人の本質的な問題意識や興味・関心と結びつき、彼らが地理的に狭い空間で結びつき、融合しながら大きなムーヴメントになっていった。「個」の極めて高い内発的エネルギーが問題意識と都市空間の中で、見事に組み合わさったのだ。
生誕150年を迎えるシェーンベルク、12音技法に至った音楽の革新者はそのような空間の空気を存分に吸った作曲家だ。と、同時に忘れてはいけないのは、シェーンベルクが音楽史のど真ん中を生きた正統な継承者でもあった事実だ。伝統を因習的なもの、堕落したものではなく、伝統を作ったクリエーターの本質を再度見つめなおして、再び創造者としての姿に変えるのもシェーンベルクの仕事であった。ゆえにブラームスやJ.シュトラウス2世、マーラーといった先輩作曲家の編曲作品が、編曲という枠組みを超えて一つの作品としてすばらしいものとなった。
本公演は文化空間としてのウィーンの濃醇な空気感の中、伝統のよき守護者でもあり、創造者でもあるシェーンベルクを堪能できる時間。舞台に上がる出演者を一人ひとり紹介するには野暮といえるほど、すばらしい演奏家がそろう。
これは絶対に聞き逃してはいけない公演である。


《ラ・ボエーム》プッチーニ 没後100年
2024年はフェルッチョ・ブゾーニ没後100年というより、多くの音楽ファンにはジャコモ・プッチーニ没後100年といったほうが記念イヤー感としては親しみ深いだろう。なにせ、オペラハウスの定番レパートリー公演にプッチーニ作品は必ず組み込まれ、誰もが何度となく観たいと思える作品群が形成されている。
プッチーニには物語の起伏、展開の速さ、心情豊かなアリア、開放的でスピーディな場面進行といった気持ちよくなるイタリア・オペラのよさが詰め込まれている。革新性のある作曲技法を用いて傑出した作品が次々に生まれる中、プッチーニはその潮流をつかみながらも、人の心に訴え、作品に引き込んでいく舞台芸術を体現した伝統者だ。
今回上演される≪ラ・ボエーム≫、オペラ・ファンは幾度となく聴いてきた作品だ。そしてオペラ作品としてはコンパクトなので、オペラに親しみが薄い聴き手をオペラの世界に誘うには、うってつけの作品だ。
舞台に惹きこまれる≪ラ・ボエーム≫とするには、やはり歌手陣がカギになる。アリアや二重唱で聴き手の心にも訴えかける役目を与えられているミミ(セレーネ・ザネッティ)、ムゼッタ(マリアム・バッティステッリ)、ロドルフォ(ステファン・ポップ)、マルチェッロ(マルコ・カリア)といった役に確かで豪華な実力派がそろっている本公演。
歌手には演技をしながら歌いにくいポジションでの歌唱が求められるシーンがままある。それは演出や振付が楽譜とのシナジーをあまり意識できていないケースに起こりえることなのだが、演奏会形式であるならばそういう心配はご無用。公演前からプッチーニ作品の真髄を堪能できることが約束されている。
そしてイタリア・オペラが骨の髄までしみ込んだ指揮者ピエール・ジョルジョ・モランディと東京交響楽団が万全に支える公演である。