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楽器と作曲、演奏〜「音楽史」の3つの軸を自由自在にひも解くキュレーター
〜キット・アームストロング賛江(1)

楽器と作曲、演奏〜「音楽史」の3つの軸を自由自在にひも解くキュレーター〜キット・アームストロング賛江(1)

文・池田卓夫(音楽ジャーナリスト@いけたく本舗®︎ https://www.iketakuhonpo.com/


©︎JFMousseau

 「私は演奏家としての自分の立ち位置を、美術館のキュレーター(学芸員)のようなものだと思っています。過去の芸術作品の傑作を見つめ『どのようなコミュニケーションの手法を用いれば、鑑賞するみなさんの理解が深まるのだろうか』とばかり、考えているのです」。東京・春・音楽祭2023で5回にわたるリサイタル・シリーズ「鍵盤音楽年代記(1520ー2023)Ⅰ〜Ⅴ」に挑むキット・アームストロング(1992年3月5日、ロサンゼルス生まれ)は、自身の「他の演奏家に比べ自意識の少ない」演奏スタイルを美術館や博物館の学芸員に喩えてみせる。その第1の対象は、音楽史そのものだ。

 1877年にトーマス・エジソンが録音を実用化するまで、音楽史の対象は大雑把に言って楽器の歴史、作曲の歴史の2つに集約されていた。録音技術の登場により、演奏解釈の変遷という第3の柱が音楽史に加わった。アームストロングが2023年4月の東京に〝召集〟した28人の作曲家のうち、〝最年長〟のトマス・タリス(1505ー1585)から19世紀末までに生まれた25人(1898年生まれのジョージ・ガーシュウィンが最も若い)のうち、ピアニストの夢を断念したクロード・ドビュッシー(1862ー1918)、チェロを独学で学んだアルノルト・シェーンベルク(1874ー1951)の2人を除く23人がヴァージナル、クラヴィコード、チェンバロ、フォルテピアノ、ピアノ、あるいはオルガンと楽器の違いはあるにせよ、鍵盤奏者としても活躍した実績を持つ。

 これに対し20世紀に生を受けた3人--ジェルジ・リゲティ(1923ー2006)、アルヴォ・ペルト(1935ー)、武満 徹(1930ー1996)はピアノを弾けたものの、演奏家のキャリアがない。20世紀前半に活躍したガーシュイン(1898ー1937)や2023年が生誕150&没後80周年に当たるセルゲイ・ラフマニノフ(1873ー1943)以降に作曲と演奏が分離、作曲家とピアニストの〝分業〟体制が21世紀初頭まで続いた理由にも、録音手段の発達が深くかかわっている。ピアニストたちは自身の演奏、より具体的にいえば技術水準が後世に残ってしまうため、サロンの限られたゲストの前で気ままに即興すれば良いというわけには行かなくなり、巨大なマス(大衆)を驚嘆させるための超絶技巧の鍛錬に膨大な時間を割き、じっくりと作曲する時間は激減した。さらに第二次世界大戦後、国際音楽コンクールが世界の分断を背景に国威発揚の場ともなり、技の競い合いが行き着くところまで行ったことも、「演奏家の時代」に拍車をかけた。

 1968年の世界的な学生紛争の嵐は「戦後体制」の価値観の修正を迫り、音楽の分野では「カラヤンとベルリン・フィル」が象徴する絢爛豪華なサウンドへのアンチテーゼ(反論)としての古楽運動、ピリオド(作曲当時の仕様の)楽器による歴史的情報に基づく演奏(H IP)の考え方が広まった。即興の重要性も再認識されるなか、演奏と作曲を同時にこなすコンポーザー&ピアニストの復権も進んだ。1989年の「ベルリンの壁」崩壊から1991年旧ソ連解体にかけて、国際音楽コンクールのあり方も大きく変わった。

 アームストロングの全然「しゃかりき」ではない脱力演奏も「自分以外の作曲家の作品を演奏する場合は、過去から受け継いだ音楽遺産を現在に受け渡す」という明確な目的意識の産物で、作品自体に淡々と語らせる以上の「ショウ」の要素を徹底して排除する。

 作曲家としてのスタンスは? 好んで作曲するキャラクターピース(性格的小品)に例をとり、アームストロング自身が説明した文章の一部を紹介しよう。「この様式は長い伝統を備え、楽曲の個性が『外側から見られた』から『内側からの視線』に転換した変革期がありました。幸いなことに私は作曲の基盤として両方の見地に立てますし、どちらも試したい。長い音楽の歴史を重ねた今、私たちはあらゆる様式を把握しています。これほど豊富な情報に基づいて作曲できるのは、現代の特権です」。温故知新。5世紀にわたる鍵盤音楽のパノラマは間違いなくアームストロング自身の創作、つまり楽器と作曲、演奏を一体化した音楽史の延長線上に存在している。



▼キット・アームストロング「素描のエチュード」





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