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懐旧と望郷のプロムナード

懐旧と望郷のプロムナード

文・山崎太郎(ドイツ文学・ドイツオペラ、東京工業大学教授)

 美しい季節が近づくと私はしばしばビーブリヒの城館の横にある美しい公園をそぞろ歩いたものだったが、そうしたおりおりに味わった心地よい印象のおかげで仕事への意欲もついに戻ってきた。美しい夕暮れ時、寓居のバルコニーから「黄金」に輝くマインツの街とその前を流れる雄大なライン川が変幻自在の光を放っているのを眺めていると、かつて陰鬱な気分の中で私の視界の遥か遠くに幻として浮かんだ《マイスタージンガー》の前奏曲が、突然わが魂の前にありありとその全貌を現わしたのだ。私はすぐにこの前奏曲を書きとめた。しかも、それは後日完成した総譜とまったく同じもので、ドラマ全体の主要動機の数々が明瞭きわまりないかたちで盛り込まれていたのである。
(ワーグナー『わが生涯』より)


 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲――それは喩えて言うならば、日常と非日常の境界に位置する不思議な遊歩道だ。通い慣れた近所のさんぽ道のような親しみやすさを持つ一方で、その空間に一歩足を踏み入れると現実とは違う、それでいてどこか懐かしいもう一つの世界が――あたかもジオラマのような、独自のリアルな手ざわりを帯びて――出現する。しかも、その多彩さといったら! わずか10分ばかりの短い行程のあいだに、次々と新たな旋律が立ち現れて、めまぐるしいほどに目の前の景色が移ろってゆくではないか。

 ここに登場する音楽的モチーフを順番に紹介するならば、まずは作品全体の基調をなす明朗・爽快な①〈マイスタージンガーの動機〉。次いで初夏の葉叢はむらに下りる夜露のようにしっとりと抒情的な②〈求愛の動機〉。行進曲風のリズムとともに荘重に、少々いかめしく奏されるのは③〈組合の動機〉。作品の舞台となるのは16世紀ニュルンベルクの職匠歌組合であり、ワーグナーは記録に残る実際の職匠歌のフレーズを流用しつつ、若干の手を加えることでこのモチーフに仕立て上げた、その意味でも作品世界の基層をなす重要な動機だ。その次に登場する明るく伸びやかな旋律④〈マイスター芸術の動機〉は全てを束ね宥和に導く芸術の力を表すものと解釈できよう。続いて急くようなシンコペーションを特徴とした⑤〈情熱の動機〉から⑥〈愛の動機〉(騎士ヴァルターが歌合戦で歌い上げるエファへの求愛の歌)が引き出され、さらには二分音符二つと三連符の組み合わせによるリズムでせわしない気分を煽る⑦〈愛の衝動の動機〉によって、若者の恋の情熱が狂おしいまでに高まってゆく。そのあと、一転してスタッカート音型でコミカルに回帰した①〈マイスタージンガーの動機〉から対位法的に紡ぎ出されるのが⑧〈哄笑の動機〉、劇中で民衆が敵役ベックメッサーに浴びせる嘲笑の囁きだ。
 これほど変化に富む多くの主題・動機が盛り込まれている点で、この曲は一つの動機を基調に同質のフレーズが紡ぎ出されてゆくことの多いワーグナー後期の前奏曲のなかでは異色のものだろう。むしろポプリ(19世紀の人気オペラの序曲に多く用いられた接続曲=劇中の主要主題をつなぎ合わせた一種のメドレー)の形式で書かれたヨハン・シュトラウス2世《こうもり》序曲などと同列に並べたくなるほどだが、もちろん《マイスタージンガー》前奏曲はワーグナー自身が「劇中の耳に心地よい主題を脈絡なくつなげただけ」(『序曲について』)と批判したこの形式の序曲とは似て非なるものだ。最初順番に呈示された諸動機は曲が進むにつれて混じり合い、並走しながら絡まり合い、水面下での綱引きを繰り返しながら、やがて巨大な複合体へと束ねられてゆく。例えば冒頭に現れた〈マイスタージンガーの動機〉は前奏曲全体のなかで変容を遂げながら、終盤に至っては夕映えに照り映えるゴシック建築の大聖堂のごとき壮麗・絢爛たる偉容をあらわにする。一方〈哄笑の動機〉にしても最後は民衆がドイツ芸術に寄せる歓呼の声を模したファンファーレに姿を変えて曲を締めくくるのである。堅牢な構成と曲想の有機的な展開は交響曲の一楽章分にも比することができるし、それどころか、活気に満ちたアレグロ、抒情的なアダージョ、諧謔の混じるスケルツォ、それまでのすべてをもう一度大きく統合するフィナーレという四つの部分を短い時間のうちに圧縮した小交響曲一編になぞらえることさえできるかも知れない。


 ところで、この曲が遊歩道を連想させるのにはそれなりの理由がある。空に向かって浮揚してゆくような《ローエングリン》前奏曲や、水上を漂いつつ、やがて大波に呑み込まれてゆくような《トリスタン》前奏曲に対して、《マイスタージンガー》前奏曲は地に足をつけた4/4拍子の着実な歩みに貫かれているからだ。とはいえ、最初の見かけと違い、聴き手=遊歩者はけっして平坦な道を行くわけではない。この遊歩道のあちこちには微妙な傾斜がつけられていて、上り坂・下り坂の緩急こそがこの道を歩く者にとっての隠れた味わいとなっているのだ。
 ワーグナーはこの曲の冒頭に「きわめて適度な速さで sehr mäßig bewegt」という指示を書き込んだ。曰く「この適度な速さの4/4拍子は、きわめて大きな解釈の幅を含んでおり……性格の異なるモチーフの組み合わせにも楽々と対応できる」からである。力強く躍動するアレグロ、堂々たる行進曲、生き生きとしたスケルツァンド、悠揚たる「アラ・ブレーヴェ」(2/2拍子)のカンタービレ――一見単純に思える四拍子のなかに、さまざまな速度と表情が詰まっているのであり、しかもこれら高低差のある個々の部分は唐突なテンポの「切り替え」ではなく、適切な加速と減速によって自然に切れ目なく繋げられなければならない。ワーグナー自身がいみじくも述べているように「この前奏曲のテンポは……生気にあふれながらも限りなく繊細な構造を内に秘めた、敏感な生命体」(以上『指揮について』より、三光長治/池上純一訳)にほかならないのである。


 しかるべき演奏に導かれて、この道を歩むことのできた幸せな聴き手は、上り下りを繰り返しつつ、しだいに高度をあげてゆくこの遊歩道が実は大きな螺旋をなしつつ、自分を一段高い地平に導いてくれたことを、この曲の終盤、〈組合の動機〉が三回奏されたあと、ひときわテンポを落として四回目に大きく鳴り渡るあたりで実感するだろう。
 通常の演奏会ではこのあとお決まりの終止音とともに曲は完結する。いわば遊歩道はここで行き止まりとなるわけだが、オペラ全曲の中でこの前奏曲を聴くとき、目の前には突如新たな視界が開けてくる。前奏曲は終止せず、そのまま幕開きの礼拝の合唱につながってゆくのだ。会衆の歌声とオルガンの響きが放つ黄金色の鮮やかな光に包まれながら、聴き手はこの遊歩道の先に広大な森が広がっていたことを知り、目眩むばかりの感興を覚えることだろう。

*各ライトモチーフの名称は日本ワーグナー協会監修『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(三宅幸夫/池上純一編訳、白水社)に基づく。


 

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