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マレク・ヤノフスキ『指環』、そして《ラインの黄金》を語る

取材・文:中村真人(ジャーナリスト/在ベルリン)


ヤノフスキさんにとって、ワーグナーの《ニーベルングの指環》は、どういった作品でしょうか?

ヤノフスキ 総演奏時間は15時間に及び、その規模の複雑さは、音楽史の中で唯一無二です。よく知られているように、この作品は一気に書かれたものではありません。ワーグナーは、『指環』の中で最後に位置する作品《ジークフリートの死》(後の《神々の黄昏》)の構想から始めました。やがて、《ラインの黄金》《ワルキューレ》と作品を進めていくわけですが、《ジークフリート》の第2幕の終わりで、いったん作曲をやめてしまいます。ひょっとしたら彼の中で創作力が足りないと感じたのかもしれません。その後、彼は《トリスタンとイゾルデ》と《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を書き上げ、12年の中断期間を経て《ジークフリート》第2幕の一番最後と第3幕、そして《神々の黄昏》を作曲するのです。そこには《トリスタン》で獲得した比類のないオーケストレーションが生かされており、聴き手はオーケストラの響きがそれまでと全く違うことに気付くでしょう。木管楽器、ホルン、弦楽器といった各セクションの響きを混ぜ合わせる試みを積極的に行っており、何より対位法を駆使して書かれています。ですので、私は今回のチクルスの目的を、オーケストラにおいて明晰な響きを獲得することと考えています。

NHK交響楽団とは久々の共演となるそうですね。

ヤノフスキ 演奏の質の高さにおいて、私がかねてより非常に評価するNHK交響楽団と再び共演できることをうれしく思っております。歌手陣は私がよく知っている優秀なソリストばかりですし、N響はドイツのシンフォニー・レパートリーに長けていますので、私の目指している音楽をともに作っていけると確信しています。

ヤノフスキさんは、2010年から13年にかけて、手兵ベルリン放送交響楽団とワーグナーの主要10作品をベルリンにて演奏会形式で上演し、大成功を収められました。演奏会形式で上演することのこだわりは何でしょうか?

ヤノフスキ 演奏会形式上演の長所は、舞台上の演技や複雑な動きにさまたげられることなく、聴き手がより音楽に集中できるところです。とはいえ、その場合、音楽だけを聴くに値する質の高さが重要で、全てのオペラを演奏会形式で上演できるわけではありません。ワーグナーの中でも、『指環』全4作、《トリスタン》《ローエングリン》《パルジファル》などは、演奏会形式に特にふさわしい作品群です。また、ワーグナーが作品に求めた条件を満たすことができるのも利点で、例えば、《ラインの黄金》の最後では6台のハープに加え、舞台裏にもう1台ハープが必要です。実に18の鉄床をたたく鍛冶仕事のシーンも、できる限り忠実に再現したいと考えています。ベルリン放送響との上演では、オーケストラ全体を囲むように鉄床を舞台に配置し、視覚的にも素晴らしい効果が生まれました。

ヤノフスキさんにとって《ラインの黄金》の魅力は?

ヤノフスキ 一般的に、『指環』の中で一番人気があるのが《ワルキューレ》で、次は《神々の黄昏》と決まっています。しかし、私個人の考えでは、音楽的な、そしてドラマトゥルク(作劇法)の知的なレベルの高さで見ると、もっとも興味深いのが《ラインの黄金》なのです。それは、極めて聡明なオーケストレーションに加え、ワーグナーがそれ以前にも以降にもなし得なかったローゲというテノールの役があるからです。ローゲは、もっともベルカント的な声が要求されながらも、同時に極めて知的な台詞の表現能力が求められます。ひょっとしたらそのためでしょうか、《ラインの黄金》は4部作の中で一般的に人気が高いとはいえませんが、ワーグナーをよく知る人(東京にもたくさんおられることを私は知っています)にとっては、特別な作品なのです。私個人、『指環』の中で一番贔屓にしているのが《ラインの黄金》です。《ワルキューレ》でも、《神々の黄昏》でもありません。

《ラインの黄金》の音楽的な聴きどころは?

ヤノフスキ いくつか挙げてみますと、先ほど申し上げたローゲが登場する際のアリアは、まさに本物のアリアと言えるもので、音楽もテキストも素晴らしい。それから第4場のアルベリヒの呪い。ヴァルハル城の場面の直前で聴かれるドンナーによるバリトンの小さなソロ。そしてもちろん終幕のヴォータンの独唱。これらは作品中、とりわけ耳に印象的な部分ではないでしょうか。

《ラインの黄金》のストーリーは、4夜の中でどのように位置づけられるでしょう?

ヤノフスキ ヴォータンが、『指環』全体を通して根本的に解決不能な争いと問題を用意したのが《ラインの黄金》です。ヴォータンは、《ワルキューレ》で近親相姦のカップルから人間界に送り込まれたジークフリートに問題を解決する希望を託します。しかし、実際の彼はそんなつもりなどなく、逆に危機はどんどん広まっていってしまう。《神々の黄昏》では、グンターとグートルーネが生きる人間の世界に争いが移っていき、神々の世界はそれらを支えることができず、地上の世界が没落するのを傍観することしかなす術がありません。ヴォータンは自分の過ちから招いた争いごとの解決を見いだせず、ローゲでさえも彼を助けることができないのです。当初彼はこのような事態になるとは思いもよらなかったでしょう。

ワーグナーは、資本主義や物質主義に強い疑問を抱いていた人でした。『指環』の内容を鑑みて、マエストロは今の世界をどのようにご覧になっていますか?

ヤノフスキ 音楽のことを除いてお話したいと思います。世界を見渡すと中国や北朝鮮などはありますが、社会主義の理想というのは実現しなかったわけです。しかし一方で、資本主義の国々は財政的な問題を抱えており、その形態を変える試みが急務になっていると私は考えます。その際、エコロジーの問題と経済的な問題とが調和しなければなりません。われわれが生きているのはまさに大きな転換期であり、解決には今後数十年を要することになるでしょう。『指環』の物語というのは、破滅に向かうことが宿命付けられているわけです。その根本にあるものを人間の権力(つまり金)への欲望と考えると、この作品は現在の資本主義社会が孕んでいる危機を考える上で一つの機会を与えてくれるのではないでしょうか。

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