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マレク・ヤノフスキ ~その人と音楽

いよいよ東京春祭に『ニーベルングの指環』が登場する。2014年から毎年1作ずつ、4年間かけて『リング』が演奏会形式で上演される。その指揮を担当するのが、マレク・ヤノフスキ。現在、ベルリン放送交響楽団のシェフを務めるベテラン指揮者だ。今回は、ベルリン在住のジャーナリスト、中村真人氏に現地でのマエストロの活動をレポートしていただいた。

文・中村真人(ジャーナリスト/在ベルリン)


オーケストラの家父長

 指揮者マレク・ヤノフスキはベルリン放送交響楽団とのリハーサルの際、いつも30分ほど前に会場に現れて、第1ヴァイオリンの横の位置に立っているという。何をするというのでもなく、次第に姿を現すオーケストラの団員の様子を観察しているのだそうだ。もちろん、団員と挨拶を交わしたり、事務局スタッフとのやり取りが行われたりもする。同団第1ヴァイオリン奏者の知人によると、「試用期間のときは、常にさらっているのを横で聴かれているようで緊張した。でも、何かあればすぐに話に行くことができるし、自分が病気で休んだ後、やさしい気遣いをしてくれたときはうれしかった。団員とコミュニケーションを取りやすくするための彼なりの流儀なのではないか」と思ったという。

 1939年生まれのヤノフスキは現在74歳。年齢の上でも、積み重ねてきたキャリアにおいても、「オーケストラの家父長」というべき存在だ。2002年から芸術監督を務めるベルリン放送響とは、事実上の終身契約の関係にある。これは現代の音楽界では希少な例に入るだろう。筆者は機会を見つけてはこのコンビによる演奏を聴いてきたが、現在の蜜月ぶりはもちろん一夜にして築かれたものではない。ヤノフスキ時代が始まった当時、1923年からの伝統を持つこのオーケストラは、指揮者の棒に対し一瞬遅れて音を出し始める特徴があったが、彼はそれを嫌った。前述のヴァイオリン奏者によると、ヤノフスキは指揮棒が振り降ろされるのと同時に音が出ることを要求し、特に第1ヴァイオリンに対しては厳しかったという(ヤノフスキはもともとヴァイオリン出身の音楽家だ)。しかし、それによって合奏(特に弦楽器)のクオリティーはみるみると上がっていった。優れたオーケストラがひしめき合うベルリンにあって、シューマン、ブルックナー、R.シュトラウスなど、シーズン毎に特定の作曲家をテーマに据えたプログラム構成も評判を呼び、中でも2009/10シーズンのベートーヴェン・チクルスでは、ベルリン・フィルハーモニーの大ホールが圧倒的な高揚感に包まれたのだった。

 ヤノフスキという指揮者は、音楽面だけでなく、芸術監督としての実務面においても際立った力を有していると感じる。つまり、いつまでにオーケストラのレベルをどう上げ、オーケストラの力量とそれに見合ったレパートリーとをどのように組み合わせるか。長期的な視野に立ったマネジメント能力と呼ぶべきものだ。それは著名な指揮者の誰もが有しているわけではない。

ワーグナー指揮者としての横顔

 さて、このような充実したパートナー関係の中で2010年11月から始まったのが、ワーグナー・チクルスである。ワーグナーの主要10作品を3シーズンかけて演奏会形式で上演するという、ベルリン放送響史上最大級のプロジェクトとして話題を集めた。現在はシンフォニーオーケストラの分野で名を馳せているヤノフスキだが、もともとは歌劇場でキャリアを積み上げてきたドイツの典型的なたたき上げの指揮者だ。若い頃はアーヘンやケルンの歌劇場でコレペティトゥアやカペルマイスターとして研鑽を積み、1980年代まではメトロポリタン歌劇場やウィーン国立歌劇場にも客演するなど、オペラ指揮者としても名の通った存在だった。ところが、90年代に入ると、歌劇場での指揮からぱったりと身を引いてしまう。その背景には、歌劇場の様々な制約や演出主導によるドイツのオペラ上演に強い不信があったからと見られている。

 このワーグナー・チクルスにおいて最初に挙げるべき特徴は、何と言っても歌手陣の充実ぶりだ。私が聴いた《ローエングリン》では、クラウス・フローリアン・フォークト、アネッテ・ダッシュ、ギュンター・グロイスベックといったバイロイト音楽祭でも常連のスター歌手を配し、脇役に至るまで適材適所の妙味を見せていた。ヤノフスキは歌劇場でキャリアの土台を作った人だけに、テキストの隅々まで頭に入っている。当然、歌手や合唱を見る目が厳しく、舞台で聴くことができるのはそれ相応の歌ばかりというわけである。

 オーケストラの素晴らしさも際立っていた。チクルスの行われた3シーズン、夏の休暇明けは決まってワーグナーの練習に割かれていたというが、その成果は十二分に現れていた。現代の代表的なワーグナー指揮者であるダニエル・バレンボイムと比べると、ヤノフスキの音楽作りの特徴が見えてくるかもしれない。バレンボイムがすすり泣くような陶酔や劇的な雰囲気を作り出す才に長けているのに対し、ヤノフスキは全体の設計図を見通した上で、確実に「積み上げていく」タイプのリハーサルをする(当然、指示も細かくなるわけだが)。その結果、流れがよく、余分な油が削ぎ落とされたような引き締まった響きが生まれる。2年ほど前、ヤノフスキにインタビューをした際、彼の音楽哲学について尋ねたところ、「私が音楽作りでもっとも大切にしているのは、明晰さです。感情表現も重要ですが、明晰さは更に重要なのです」という答えが即座に返ってきた。実際、ヤノフスキが指揮するワーグナーでは、スコアの細部に至るテクスチュアが実によく聴き取れる。演奏会形式では歌手の余分な動きに惑わされることもないので、ワーグナーにおいて重要な、多様なライトモチーフを聴き取る上でも有利だ。

 ヤノフスキがベルリン放送響を振ったワーグナーでは、彼が高い位置から腕を振り下ろす場面は、全体の中でほんのわずかだった。両者はあうんの呼吸が通じる領域に入っており、ヤノフスキがやはり得意とするフランス音楽にも接近したニュアンスと色彩の豊かさを感じたほどだった。それだけに、彼がドラマのクライマックスで全身全霊をぶつける場面では、決して上辺だけの効果ではない感動を聴き手は得られるのである。

 ヤノフスキは、かねてから「《ニーベルングの指環》こそ、演奏会形式による上演がふさわしい」と語っている。それはワーグナーが作品に求めた要求を可能な限り満たすことができるという実際的な理由にもよるものだ。例えば、《指環》におけるワーグナーの指定では、第1と第2ヴァイオリンは16本、コントラバスは8本の16型の編成。ハープに至っては、《ラインの黄金》では最大7本、《神々の黄昏》のラインの乙女の場面では、実に10本が必要になる。通常の歌劇場ではまず実現困難な規模だ。楽器をどこに配置するか、歌手の出入りをどうするかも、ベルリンのチクルスでヤノフスキはこだわりを持って実現していた。いよいよ2014年から始まる東京・春・音楽祭での《指環》では、NHK交響楽団が演奏する音楽はもちろん、舞台上の配置や動きのすべてにご注目いただきたい。歌劇場での上演とはひと味もふた味も違う、一大空間スペクタクルが実現するだろう。

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