JOURNAL

セバスティアン・ヴァイグレ 〜新たなワーグナー世代のパイオニア

文・広瀬大介(音楽学、音楽評論)


変貌するワーグナー上演

 いまやワーグナーは気軽に、カジュアルに愉しむ時代。そんなことを言おうものなら、年季の入ったワグネリアンには怒られてしまうに違いない。豪壮に鳴り響くオーケストラ、ワーグナー作品をほとんど専門のようにして歌う無尽蔵のスタミナを持つ歌手、そしてギネス級の作品の長さ。その重厚長大さ故に、一般のファンには近寄りがたいのは確かに事実であり、「ワグネリアン」と呼ばれる一部のファンだけがその魅力を享受してきた。だが、そんなワーグナーが、ここ10年ほどで、以前に比べると信じがたいほどに親しみやすく、気軽にアクセスできるようになっている。

 もちろん、それには様々な要因がある。かつてワーグナー作品といえば、超一流の歌劇場がその総力を挙げて上演するものであり、生半可な準備では太刀打ちすら叶わなかった。もちろん現在でも上演までに多大な準備期間を要することは変わらないが、オーケストラの技量の向上により、比較的中・小規模の歌劇場でも、一定の水準で演奏することが可能になってきている。歌手の側はそう簡単に「進化」するというわけにもいかないが、ワーグナー作品の長大なヘルデンテノール(英雄役を歌うテノール)を歌いきることのできる歌手は、昔に比べるとその層に厚みが出てきている。数多く発売されている映像も、ワーグナー世界の全容を知らしめるのに一定の役割を果たした。

 そして、ワーグナーを第一線で振る戦後世代の指揮者といえば、劇場たたき上げの職人肌、あるいはスター指揮者だけで独占されていた感もあるが、ここ10年では、とりわけ若手の台頭が著しい。ワーグナー上演の総本山たるバイロイト祝祭劇場も、若手の力を借りることによって、新たな活気を取り戻しているほどなのだから。そんな新しいワーグナー世代の代表として、その先頭を走っているのが、来年4月に東京春祭で《ニュルンベルクのマイスタージンガー》を指揮するために来日する、セバスティアン・ヴァイグレである。

観客の心を惹きつけるヴァイグレの音楽性

セバスティアン・ヴァイグレ

セバスティアン・ヴァイグレ

 1961年、ベルリン生まれ。2008年シーズンより、フランクフルト歌劇場の音楽総監督を務めている。筆者がその名前をはじめて目にしたのは、この監督職に就く前の2003年、同劇場で指揮したリヒャルト・シュトラウスの《影のない女》の高い芸術的成果が認められ、ドイツのオペラ雑誌「オペルンヴェルト」が毎年選出する「指揮者・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた時であったように記憶している。その後、あれよあれよという間に有名歌劇場・オーケストラへの客演を次々と果たしていく。NHK交響楽団や東京フィルハーモニー交響楽団での客演でその力量に舌を巻いたことすら、遙か遠い昔のように感じられる。

 奇しくも、筆者がヴァイグレの指揮によるオペラをはじめて聴いたのは、2010年に訪れたバイロイト音楽祭での《ニュルンベルクのマイスタージンガー》でのことだった。作曲家の曾孫にして音楽祭を率いるカタリーナ・ワーグナーの演出によるこのプロダクションが始まったのは2007年のこと。翌08年には映像も発売されている。2010年当時はすでに4年目を迎え、ほぼ完成に近づいているプロダクションとして安定したクオリティを保っていたが、演出よりも驚かされたのは、ヴァイグレによるその緻密な音楽作りであった。

 バイロイト祝祭劇場はオーケストラに蓋がかぶせてあるその特殊な構造ばかりが有名となっているが、むしろその音響上の特色が、オーケストラの音を客席へと直接放出せず、木造の劇場全体を共鳴させることで得られている、という点は、なぜかあまり強調されない。空洞になっている客席の下の空間、あるいは壁際、様々なところから間接音がひたひたと迫り、ワーグナーの複雑なスコアの各部が、手に取るように聞こえてくるのだ。

 これは、ワーグナーが仕掛けた音楽上の技法、とくに個々のライトモティーフから作曲家が音楽に込めた意味を聴き取るには絶好のコンディションである。ヴァイグレは、その音響をつぶさに感じ取り、劇のなかでの勘所となる(そして通常の歌劇場の公演では決して聴き取ることのできない)微細なモティーフを浮き立たせてみせる。第2幕最後の大乱闘の場面でさえ、ヴァイグレは劇場の音響を借りて明瞭に5つのモティーフを描きわける。オーケストラのコントロールが細部まで行き届いているお蔭で、多くの演技を要求される歌手の声も楽器の音に乗って軽やかに響く。自分の座席の下から、突然ヴィオラやクラリネットの隠れた旋律が聞こえてくるのは、驚きの体験であった。

 そして、自らの曾祖父のみならず、ドイツの偉人たちを敢えてグロテスクに描き、自らの依って立つ文化をいったん否定するところから始めるカテリーナ演出のメッセージ性が、良くも悪くも観客の心に届いたのだとすれば、それはワーグナーに馴染みのない聴き手をも惹きつけるようなヴァイグレの音楽の力もあずかってのことであるとおもわれる。

 ヴァイグレはフランクフルト歌劇場で引き続きワーグナー作品に取り組み続け、すでに完結した《ニーベルングの指環》四部作は、すべての録音が間もなく出揃う。来年の東京春祭では、さらに豊かな説得力を携えて、NHK交響楽団からありとあらゆる音色を引き出すはず。若い、才能豊かな指揮者によって、ワーグナー作品は新たな魅力をまとって、我々の前にその真の姿を見せてくれるだろう。

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