JOURNAL

フォルテピアノの新鋭・川口成彦とピアノ協奏曲の室内楽版

「川口成彦(フォルテピアノ)~協奏曲の夕べ ピリオド楽器で聴くモーツァルト&ベートーヴェン」に寄せて

文・那須田 務

 モダンのピアニストにフォルテピアノを弾く人が増えたのはとてもよいことだが、本当に楽器の良さを生かした演奏の出来る人はごくわずかだ。それほどフォルテピアノと現代のピアノでは弾き方が違うのだが、一昨年にワルシャワで開催された第一回ショパン国際ピリオド楽器コンクールでも参加者の大半はいわゆる「モダン弾き」だった。その中にあって川口成彦はまさしくピリオド楽器の機能と語法を知り尽くしたうえで自らの音楽を奏でていて、それが認められての第2位入賞はまことに喜ばしい。

 コンクール後、2度ほど川口のリサイタルを聴き、インタビューで人となりに触れることができた。謙虚で飾らない、気さくな人柄で話し上手。なんといっても演奏がすばらしい。その魅力はいろいろあるが、次の三つに集約される。

 まず、フォルテピアノ奏者は常に指先の感覚を研ぎ澄まし、繊細かつ多彩なタッチでいかに音楽に「語らせるか」が問われるが、その点で川口の奏法はまさに理想的なもので、そこで語られる音楽そのものが大変に興味深い。二つ目は創造的で即興的なパッセージを自在に繰り出せること。既存の作品へのトリルなどの装飾音も含めた即興演奏は18世紀の音楽家たちに求められる必須の能力だが、それも川口の自家薬籠中とするところ。最後がプログラミング。豊かな音楽史の知識と音楽性に裏打ちされた選曲と配列で、曲と曲が内的に繋がり合い、それが人のお喋りのようなアーティキュレーションと相まって、芝居を見ているような楽しさだ。

 当コンサートも同様だ。モーツァルトが幼い頃にロンドンで出会った大バッハの末子ヨハン・クリスチャンのソナタを協奏曲に仕立てたK.107に始まり、ウィーン時代初頭のイ長調の協奏曲K.414。そこからヨハン・クリスチャンの兄カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのファンタジー。急激な和声や強弱の変化を伴い主情的かつ表出力の強い音楽は、18世紀中頃の「北ドイツ多感様式」の典型であるとともにロマン派音楽の先駆けとされる。それを橋渡しとして、若きベートーヴェンの協奏曲第2番変ロ長調が奏でられる。しかも協奏曲はすべて室内楽版。もとより19世紀以前の協奏曲は室内楽に近いジャンルだったと言われる。事実、ショパンもピアノ協奏曲の初版に際して、オーケストラ版とともに室内楽版を販売している。愛好家たちは、自宅のサロンなどで協奏曲を室内楽編成で気楽に楽しんだのだろう。今回の使用楽器はモーツァルトやベートーヴェンが愛用したヴァルターの、現代の名工の手になる複製。今のピアノとは別系統のウィーン式打鍵アクションの軽やかなタッチ、モデレーター(変音装置)の柔らかな音色、平行弦の透明度の高い響き、弦楽器との理想的な音量のバランスなど、フォルテピアノと弦楽器ならではの演奏の魅力が存分に味わえることだろう。

(「東京・春・音楽祭2020」公式プログラムより転載)
那須田 務 Tsutomu Nasuda

音楽評論家。ケルン大学音楽学科修士。著書に『音楽ってすばらしい』、 『名曲名盤バッハ』。共訳にアーノンクール『音楽は対話である』等。『レコード芸術』で「古楽夜話」連載中。




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