JOURNAL

アーティスト・インタビュー〜イノン・バルナタン(ピアノ)

 ニューヨークを拠点に活躍する俊英ピアニスト、イノン・バルナタンが2024年4月、東京・春・音楽祭に特別なプログラムで初登場する。
 盟友アラン・ギルバートとともに初めて日本を訪れ、東京都交響楽団とベートーヴェンの協奏曲第3番を聴かせたのが2016年。翌年にもラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」を共演。2018年にはドビュッシー、トマス・アデス、ラヴェル、ムソルグスキーの作品でリサイタルも行った。2023年11月、小泉和裕指揮都響とのチャイコフスキーの協奏曲第1番で来日したバルナタンに、春のステージに向けて話をきいた。

「日本は大好きです。昨日も日光を訪ねましたよ。和食もたくさん食べます。世界一の食文化ですね。私にとって非常に魅力的なのは、日本文化ではすべてのディテールが美しいということです。音楽家もそうあるべきだと思うのです。あらゆる細部を考え、それらを芸術に創り上げてしまう文化は、ちょっとほかには思いつきません」とイノン・バルナタンは言う。

 東京春祭での待望のリサイタルは、ラモーの《新クラヴサン組曲集》より 組曲ト長調、ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」、ストラヴィンスキー(G.アゴスティ編)の《火の鳥》組曲、そしてバルナタン自身が新たにピアノ独奏に編曲したラフマニノフの「交響的舞曲」というゴージャスな構成だ。

「このプログラムは、ピアノで演奏されるオーケストラ音楽です。‟シンフォニック・ダンセズ(交響的舞曲)”というのは、リサイタル全体のタイトルでもある。ラモーの舞踊組曲にはオーケストラ版もあり、ラヴェルもラフマニノフもオーケストラ版とピアノ版の両方を書いています。ラフマニノフの編曲は、私がパンデミックの時期に集中して取り組んだものです」。

 バルナタン自編の「交響的舞曲」は、2023年5月に録音された『ラフマニノフ・リフレクションズ』というCDにも収録された。作曲家自身の2台ピアノ版やオーケストラ版とはまた違うかたちで、ソロならではの伸びやかな息づかいも感じさせる魅力的な演奏となっている。

「他のピアニストとこの曲を共演するのはいつも素晴らしいもので、前回はダニール・トリフォノフと弾きましたが愉しかった。ですが、ラフマニノフ自身がソロで曲を披露しているレコーディングを聴くと、これがじつに素晴らしく、1台のピアノでほんとうによく表現されている。そして私にとっては、自分1台のピアノのほうが自由を創り出しやすいのです。この作品は非常に自由で、一種のフレキシヴィリティがありますから、そのすべてを自分で演奏できるのは実に愉しい。もちろんたいへん難しいのですけれど、2020年に私が音楽監督を務めるサンディエゴの音楽祭で無観客初演して、それから幾度か弾いてきたので、恐れをもたないくらいには快適になってきたところです(笑)」。

 ラフマニノフ自身によるソロ演奏は、1940年12月21日に、オーケストラ版の初演に先立ち、同曲の献呈先でもある指揮者ユージン・オーマンディに作品と表現法についてインストラクションするために実演してみせたものだ。2018年にCD化された音源を私も聴いたが、あの厳格でストイックなラフマニノフが、ここではかなりリラックスして瑞々しい演奏をしていることに驚嘆した。

「ラフマニノフはライヴ・レコーディングを遺していませんので、これは彼がレガシーなど気にかけず、自然に演奏をするのを知る稀な機会です。スタジオ録音にはない、彼の個性がいくらか聴ける。ある意味で、彼自身とその音楽思考に近づくことができるとも言えます。あれほどに偉大なピアニストであり、すべてを非常にピアニスティックに実現できた人でありながら、ラフマニノフはどこかラヴェルと同じく、ピアノというものを超えて巨大なものを思考していた。色彩や表現についてラフマニノフがどう考えていたかを理解する一助となりました」。

 バルナタンが自演録音に啓発されて、ピアノ独奏版の編曲に取り組んだのは、2020年4月から5月にかけて、つまりパンデミックが始まってまもない日々だった。

「演奏活動がストップして、ただちにこれに着手しようと思いました。毎日起きると、コーヒーを淹れ、座って編曲の仕事を始めて、気がつけばもう真夜中になっている……。それほど作品世界に没入していたのです。一日じゅう集中し、何週間もかけて本作に取り組みました。最初はとてもたいへんでしたが、偉大な音楽作品とこのようなかたちで繋がりをもてたのは特別なことでした」。

 しかも「交響的舞曲」は実際、ラフマニノフ最後のオリジナル作品でもあった。

「ええ、彼の最後の大作で、自身の過去作品や人生を振り返ってもいます。交響曲第1番や《徹夜禱》の引用も出てきます。初演に立ち会っていないかぎり、第1交響曲を聴いたことがある人は誰もいないわけですから、この曲を引用したことには非常にプライヴェートな意味があったはず。彼にとっては、初演失敗の痛手からなにかを抽出し、美しくカソリック的なものにする手立てだったのだと私は思います。パンデミックの苦難の時期に、この作品を携え、編曲に勤しんだことは、私にとっても一種カソリック的と言える癒しの体験になりました」。

 バルナタン自身が格別の愛着をもつそのトランスクリプションを、オーケストラとダンスの文脈に組み込むプログラムがまもなく実を結ぶ。

「私はいつもピアノのなかに、たんにピアノの音というのではない色彩を見出すように演奏しています。オーケストラやヴァイオリンや声、あるいは自然といったいろいろな色彩も、イマジネーションをもてばピアノのなかに探し出すことができる。とくに、このようなオーケストラ作品で多彩な響きを捉えるのは、ほんとうに愉しいことです。音響のヴァリエーションがあり、いわゆるヴィルトゥオーゾ的な魅力にも満ちている。そして、すぐれたトランスクリプションとは、オーケストラをピアノで演奏しているふうに聞こえるというだけでなく、やはりピアノで鳴ることに意味があるべきだと私は思うのです」。

 では、それを成し遂げるイノン・バルナタンという人物を、ご自身ではどのように説明されますか?

「なんてこった……。自分で自分を説明することはできません。ですが、このプログラムのメッセージは、私が自分をたんにピアニストであるという以上のもの、つまり音楽家として思考している、ということを示していますね。音楽作品はピアノを超えて存在する、というメッセージが籠められていますから。ピアノは目的ではなく、音楽に達する道具でしかない。その意味でもこのプログラムは、私にとってさらなる探求となるでしょう」。

取材・文:青澤隆明

 

 

関連公演

イノン・バルナタン(ピアノ)

日時・会場

2024年4月17日 [水] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール

出演

ピアノ:イノン・バルナタン

曲目

ラモー:《新クラヴサン組曲集》より 組曲 ト長調 RCT6
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ストラヴィンスキー(G.アゴスティ編):バレエ音楽《火の鳥》より
 魔王カスチェイの凶悪な踊り
 子守歌
 終曲
ラフマニノフ(バルナタン編):交響的舞曲 op.45

チケット料金

全席指定:¥6,000 U-25:¥2,000


来場チケット予約・購入

Copyrighted Image