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20th Anniversary Special Talk

対談 vol. 9 カタリーナ・ワーグナー(バイロイト音楽祭総監督)×鈴木幸一 

東京・春・音楽祭実行委員長、鈴木幸一による対談シリーズ。vol.9のゲストはバイロイト音楽祭総監督のカタリーナ・ワーグナーです。東京春祭では2019年からバイロイト音楽祭の子ども向けプロジェクト「子どものためのワーグナー」の東京での上演をスタートさせました。対談はその会場である東京・大手町の三井住友銀行東館ライジング・スクエアで行いました。

©平舘 平/対談は「子どものためのワーグナー《トリスタンとイゾルデ》」のステージで行われた。

子どもたちに音楽の扉を開いてあげたい

鈴木幸一(以下鈴木) 僕はちょっと変わった子どもだったので、わからないまま、10歳になる前からワーグナーに惹かれてしまった。いまだに、理解の程度はともかくとして、ワーグナーに魅せられています。子どもの頃に、たまたまワーグナーを聴く機会があったら、大人になってもずっと聴きたくなる……そんな西洋音楽との出合いのきっかけを、東京春祭で子どもたちに与えられたらいいなと思っていました。
バイロイト音楽祭では2009年から総監督のカタリーナさんによって「子どものためのワーグナー」というプロジェクトを続けています。ぜひそれを東京でもやらせていただきたいと思い、カタリーナさんの応援を得て、東京春祭が15周年を迎えた2019年から日本人の演奏家による「子どものためのワーグナー」を始めることができました。

カタリーナ・ワーグナー(以下カタリーナ) 鈴木さんにはとても感謝しています。「子どものためのワーグナー」 はバイロイト音楽祭の期間中に上演していますが、制作には非常に時間がかかります。まず上演時間を短縮するために、作品をカットしていく必要があります。その作業をだいたい私がやるのですが、音楽をカットしても子どもたちが理解できるようにアレンジをしなければいけない。通常のオペラ演出よりも時間がかかるほどで、私のプライベートの時間はそれに費やしていると言ってもいいくらいです。しかし私はこのプロジェクトがとても好きで、本当に愛情を持って続けています。
と言いますのも、子どもに見せるものは、大人に見せる以上に真剣に取り組まなければならないと思うんですね。そんな愛情を込めた作品を日本でも上演できるのはとてもうれしいことです。子どもたちに音楽の扉を開いてあげるのは、意義のあることだと思っています。

鈴木 僕には音楽の才能はありませんが、音楽に触れる機会は子どもの頃からたくさんありました。そして、理解の程度はともかく、ワーグナーの音楽に魅了され続けています。何十年聴いていても、その時々、感動しています。西洋音楽の世界でも、ワーグナーは突出した天才です。素晴らしい音楽は世代を問わず、理解するとかしないとかに関わらず、人の心をつかみます。「東京春祭 for Kids 子どものためのワーグナー」という形で、子どもたちがワーグナーの音楽に触れて感動してもらえたら、新しい時代のクラシック音楽のファンにつながっていくのではないか。そんなふうに思いまして。

カタリーナ 確かに音楽の素晴らしいところは、心をわしづかみにするところですね。子どもたちに感動を与えるということは非常に重要なことです。クラシック音楽の次世代のために、ということに関してもその通りです。私たちがやっているのはそういうことです。

鈴木 僕らが想定する以上に子どもたちは受容する感性を持っています。このプロジェクトのために、三井住友銀行が大手町での上演スペースを提供してくれました。バイロイトが日本の音楽ファンにとっては聖地のような場所であり、バイロイト音楽祭の総監督であるワーグナー家のカタリーナさんと共に作業をして上演することに対して、三井住友銀行の関係者も協力を申し出てくれ、銀行のロビーをお借りすることが可能になりました。最初は、来てくれた子どもたちが退屈して眠ってしまうのではないかとも思いましたが、目を覚ましたまま聴いてくれています。それだけワーグナーの音楽の力を感じますし、この公演を続けている意義を実感しています。

カタリーナ 私もバイロイトで同じような体験をしました。ドイツの子どもたちの反応は、 日本の子どもたちよりも、もっとアクティブで声を出したりします。『ニーベルングの指環(リング)』を上演した時には、 主人公ジークフリートに対して客席から「気をつけろ! お前を殺そうとしているぞ!」と子どもの声があがったこともありました。もちろん、その場面では殺されないと困るんですけどね(笑)。
また、これも『リング』を上演した時でしたが、私の隣に座っていた子どもから「 僕のママは巨人なんてこの世にいないって言うけど、本当にいたんだね!」と話しかけられたこともありました。子どもたちの心の中にしっかり音楽が入り込んでいるのだと感じました。

鈴木 日本では、子どもに《トリスタンとイゾルデ》が理解できるのかと言われるのですが、わからないにしても子どもたちの感覚に何かが残るかもしれない、思いのほか感動してくれるかもしれない。だとすれば、素晴らしいことだと思います。

©ヒダキトモコ/「子どものためのワーグナー《トリスタンとイゾルデ》」公演写真

カタリーナ 私も初めは、シリアスな内容の作品を子どもたちに見せるのはどうなのかと思っていました。無理かなあ、どう見せたらいいのかなあ、と色々考えました。しかし、子どもたちに見せるために面白くするというのではなく、真剣に題材に向き合うことこそが大事なのだと思いました。
《トリスタンとイゾルデ》は悲劇的な結末を迎える物語です。子どもたちのために上演するにあたって考えたのは、ラストシーンはシルエット越しに見せて、この世で起きていることではないと感じさせることです。子どもたちに悲劇的な状態を目の当たりにさせる必要はないと思います。音楽自体が感情をつかむので、こと細かに悲劇を見せる必要はないと考えました。

鈴木 大人になると受容する能力や感性がしぼんでしまうけれど、子どもには無限に受容する力があります。その力に応えることができるようなものを提供できたら、感性もふくらむし、将来、音楽が好きになる子も増えるかもしれない。子どもだからここまでしかわからないだろう、という概念はなくした方がいいですね。カタリーナさんと一緒にこういう公演ができることを本当にうれしく思っています。

カタリーナ 以前、バイロイト祝祭劇場の客席にお客様として9歳か10歳ぐらいの男の子がいたことがありました。「なぜ来たの?」と聞いたら、「子どものためのワーグナーで《トリスタンとイゾルデ》を見て、どうしても本物の舞台が見たくなったから」と言っていました。
それとは逆に、「子どものためのワーグナー」を見て家に帰った後、子どもたちが親に「絶対オペラを見た方がいいよ」と話してくれることもあるようです。それで親の方が「オペラを見に行かなくては」と思い、劇場に来てくれたということもありました。

鈴木 大人が思う以上に子どもたちは理解していますね。

カタリーナ そうですね。やはり好奇心を持ってもらうということが一番大切だと思います。子どもたちはもともと好奇心が旺盛です。鈴木さんのおっしゃる通り、子どもたちの理解や想像力、感性を軽く考えてはいけません。

見る・聴くチャンスを多くの人に与えたい

カタリーナ パンデミックの最中の2021年と2022年には、オンラインで東京の稽古場とつないで、リモートで演出をしました。難しかったのは、稽古場の雰囲気がオンラインではつかみづらかったことですね。稽古場にいると直接触れたり、動きを実際にやって見せたりすることもできますが、リモートではそれができない。歌手にとって動きがしっくりこない場合も、現地にいればすぐに気づくのですが、オンラインだと伝わりづらい。稽古場で直接演出できるに越したことはありませんね。

鈴木 それでもやっていただいたのは、このように金融街の真ん中にある銀行のロビーで舞台装置や観客席を組んでオペラを上演できるのは非常に稀な機会だからです。こんな貴重なチャンスを無駄にしたくない、コロナに負けていられないと思って、カタリーナさんには無理を言って遠隔から演出していただきました。

カタリーナ コロナ禍では色々なものができなくなりましたからね。私もチャンスがあるならばやった方がいいという考え方です。続けさせていただき、私の方が鈴木さんに感謝しています。

鈴木 音楽祭をやっていると、機会は一つでも逃したくないと思うのですよ。一つ一つのチャンスを大切にしていかないと、クラシック音楽は簡単には広がりません。カタリーナさんのおかげで、東京春祭でも「子どものためのワーグナー」が続いていることに感謝しています。もっともっと続いて、さらに応援してもらえるような機運が高まるといいなと思っています。

カタリーナ 私も同じ意見です。多くの人々に見る・聴くチャンスを我々が与えなければいけないと思っています。そういう意味でも、鈴木さんが音楽祭で実現されているストリーミング配信は非常に良いことだと思います。会場まで行かなくても、音楽を体験してもらうことができます。これは素晴らしいことです。

鈴木 本当は、技術的にもっと精度の高い音や画像の配信が可能なのですが、お金がすごくかかるんですね(笑)。このことはIIJ(インターネットイニシアティブ)がストリーミング・パートナーを務めている、ベルリン・フィルにもいつも言っていることですが。なかなか大変です。

カタリーナ 確かに、技術的にもっとハイクラスなものを配信することが可能だということも、それにはすごくお金がかかることも、よく知っています。

鈴木 僕が会社をやめる時にはやってみたいんだけど。

カタリーナ 鈴木さんは今後30年ぐらいはお辞めにならないと思っていますよ(笑)。

©青柳 聡/2019年の「子どものためのワーグナー」初日より。

次世代に文化をつなぐためのチャレンジ

鈴木 2023年のバイロイト音楽祭ではAR(拡張現実)グラスをかけて《パルジファル》を見ました。そのことについては批判する声も多かったようですが、僕は面白かった。新しい技術を使って、もう一つの架空の舞台空間を構築するということに感激しました。カタリーナさんのそういうところ、本当にすごいなと思うんですよ。

カタリーナ 最初に何か新しいことをやるというのは、やはり難しいことです。これは正しいのか、我々の未来の姿なのか。まあ、未来のことなんて誰もわかりませんよね。色々と試してみないとわからない。
私は、デジタルコンテンツは可能性を広げるものだと思っています。《パルジファル》の演出については、まだ完成型ではなく検討を重ねている段階なので、今後もっと良い形になっていくと思います。

鈴木 実際の舞台とは別に、架空の舞台が現れて、僕には面白かった。

カタリーナ 全方位撮影可能な「360度カメラ」というものがありますよね。それを舞台にうまく設置できれば、劇場へ行くことができない方にもVR(仮想現実)用のゴーグルをかけてもらって見たい方向に目線を動かしてもらうと、まるで自分が劇場にいるような感覚を味わっていただけると思うんですね。外に出ることが難しい方にも体験していただける可能性が広がればいいなと思っています。

鈴木 新しい技術を使って何かをやってみること自体、大変なことですが、新しい技術を使って上質なコンテンツをつくるということになると、ほんとうに難しいし、時間がかかりますね。僕はおそらく世界で最初にインターネット上で画像の配信をする会社を設立したのですが、その会社はうまくいきませんでした。その後、1995年にMicrosoftのWindows95が登場して、一気にインターネットが普及しました。新しい試みを絶えずやっていくことは、とても意味があることなのではないかという気がしています。

カタリーナ そうですね。インターネットがなかったらどうやって生きていったらいいのかもわからない時代になりましたが、デジタルの世界には色々なチャンスがあると思います。クラシック音楽の世界でもさまざまなことを試して、可能性を広げて、そして次の世代へ文化をつないでいくということが絶対に必要だと思います。

鈴木 カタリーナさんと一緒に、何か新しいことができたらうれしいですね。

カタリーナ 喜んで、喜んで! デジタルについては、私も大変興味を持っています。舞台装置の面でも可能性を広げてくれるものだと思っております。

鈴木 個人的にはね、僕は昔ながらのバイロイト祝祭劇場の音を聴くだけで幸せなんですけどね。

カタリーナ デジタルの技術は、実際の舞台の代わりになるものではなくてプラスアルファの役割をしてくれるものだと思います。バイロイト祝祭劇場の音響は他のどこにもないものですが、デジタルコンテンツによってプラスアルファの価値が生まれるのではないかと感じています。
バイロイト祝祭劇場の素晴らしい音響については、それを真似しようとしたところは何カ所がありましたが、ありがたいことに今のところまだ成功したところはありません。

鈴木 バイロイトという奇跡的な劇場を、ずっと繁栄させてほしいと願っています。音楽祭は長く続けていくのは大変なことです。長い歴史を持ったバイロイト音楽祭と比べるとささやかではありますが、僕も東京・春・音楽祭を発展させていきたいと思っています。

カタリーナ 鈴木さんがやってこられた音楽祭が20周年を迎えた。そのこと自体、この音楽祭がどんなに素晴らしいものかということを示しています。幅広いプログラムを提供していますし、興味を持ってもらえないものであれば20年も聴きに来てくださる方はいません。私は、東京・春・音楽祭20周年おめでとうございますと心から申し上げたいと思います。

取材・文:出水奈美

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