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フラッと、気軽に、コンサートを体験してもらいたい。その為に最適な配信環境を考え続ける。

〜「ネット席」配信を担うエンジニアに聞いてみた【後編】

「東京・春・音楽祭2024」は今年も、ほぼ全公演のライブ・ストリーミング配信(有料)を行います。公演時間にスマホやPC等の身近なデバイスを通じて「ネット席」にアクセスすれば、どこからでも手軽に気楽に公演を楽しむことが出来ます。配信する公演数は60以上となっています。
 この膨大な公演数を美しい映像とクリアな音質で配信可能にするのは、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)の協力によるもの。そこで今回、「東京・春・音楽祭」有料配信のスタートから関わっているIIJネットワーク本部コンテンツ配信サービス部配信ビジネス課長 渡辺文崇さんへのインタビューを企画しました。後編となる本記事では、渡辺さんが東京春祭で衝撃を受けた“音体験”や、ベルリン・フィルの配信環境の体験、またストリーミング配信の近未来トレンド等について、お話を伺いました。

取材・文:かのうよしこ

膨大な公演数のストリーミング配信をこなすため、毎年運用をスリム化

── 東京春祭は期間中に全60〜70公演、更に同日複数公演ということもあります。これらの配信を運用するにあたってのご苦労について、お伺い出来ますか。

渡辺:運用面は、私にとって最も頭の痛いところです。初年度(2021年)は20人位いる配信チームの総力を上げて、という感じで体制を組みました。機材を運搬して設置して動作確認して、配信テストして本番配信して。4会場同時、ということもありましたので、そういうときは4会場全てに複数のカメラと人員を配置して、配信運用する人、配信監視する人、スイッチングする人、字幕を入れる人……1公演に対してかなりの人数を配置しなければならなくて……これは、相当、大変でした。

会社の会議室を2ヶ月占拠した2022年「東京春祭」配信センター(IIJ提供)

2023年の配信は、2022年秋開設の配信スタジオ「IIJ Studio TOKYO」を利用(IIJ提供)

そこで2022年は、弊社内の会議室に臨時の配信センターをつくり「リモートプロダクション」による配信を実現しました。機材セッティングや人の移動に関しては、かなり楽になりました。ただ2ヶ月間も会議室を占拠していたので、社内からは顰蹙ひんしゅくを買ってしまいました(笑)。2023年は配信スタジオが出来たので、常設されている環境に映像音声を集めカメラ制御もできる、安定した「リモートプロダクション」環境を構築して実施することができました。スタジオ利用することで、機材の運搬や設置、動作確認などの手間を極力抑えて安定した配信ができるようになったんです。

ただ、せっかくつくったスタジオを1つのイベントで占拠してしまうことへの課題は残りました。また、人的リソースの負担はあまり変わらなかったんですよね。そこで今年、2024年は、リモートプロダクションを更に押し進めることにしました。スタジオそのものや機材、設備は使わず、サーバールームにある配信機材だけを活用し、完全にリモートで出来る仕組みを構築したんです。1人で機材を担いで上野に行ったスタッフが、機材を設置して更に現地からリモートで手軽に配信出来るようにしたわけです。全ての配信に利用できるわけではないと思いますが、これでかなり負担を減らせる一つの方向性として今回の東京・春・音楽祭でトライしようとしています。

2024年の今年は、スタジオ機材利用はせず、サーバールームにある配信機材のみの稼働となるそう。

── 映像も音声も品質を保っての配信となると、通信負荷が大変そうです。配信用のネットワーク回線の運用はどのようにされてきたのでしょうか。

渡辺:IIJは通信事業者ですので、そこはお任せくださいということで、専用線を引いて対応してきました。客席後方のカメラから出したケーブルをホールの壁沿いにグルっと這わせ、舞台の上手・下手の2箇所から上げて、少し離れた場所に設置したルータに入力し、ネットワーク回線に繋げています。今は、映像は固定カメラ1つのみ、ケーブルそのものもファイバーケーブル1つで音声・映像、全てまかなうことが出来ています。簡素化することが出来てから、凄く楽になりました。

初期は同軸ケーブルやネットワークケーブル等、用途別に這わせていたんです。おまけに、東京文化会館の大ホールともなってくると非常に広くて、長さにすると100m以上。本当に、死ぬ思いをする程、大変でした(笑)。また初期に労力的に厳しかったのは、ホールの利用期間の兼ね合いで、東京春祭期間中に何度かケーブルの完全撤収と敷設し直しがあったことです。このあたりの運用についても、毎年実施する中でホールの方とご相談出来るようになってきて、少しずつ改善していけていると感じています。

ムーティ氏の“格好良さ”に魅せられ、ベルリン・フィル本拠地で配信スタッフの仕事に触れる

── 渡辺さんはこのプロジェクトに入るまで、クラシック音楽との接点はあったのでしょうか。

渡辺:まったく無かった、と言ってもいいと思います。サロンコンサートのようなものに行く機会は何度かあったんですが、東京春祭のような、なんというか、“本格的なクラシック体験”は初めてでした。音楽祭期間中はステージ袖で仕事をすることもあるのですが、音の迫力が凄くて、衝撃を受けました。

── 記憶に残っている公演や、出演アーティストがいたら、教えてください。

渡辺:一番ハマったのは、ムーティさんですね! かっこいい方だな〜と思いました。若い音楽家のための「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」を拝見した時、たまたま幸運なことに、隣にイタリア語が出来る方が座っておられて。ムーティさんが仰っている内容を、詳しく解説していただけたんです。指導内容や、その指摘の厳しさも含めて、とても興味深く感じました。

若い音楽家のための「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京2023」の様子

渡辺:IIJはベルリン・フィル・メディアのストリーミングパートナーとして、2016年より同社が運営する映像配信サービス「デジタル・コンサートホール」をサポートさせて頂いています。東京春祭のネット配信がきっかけとなって始まった関係なのですが、私自身も東京春祭での経験からクラシック音楽やその配信に興味が出てきて。2023年夏にはベルリン・フィルのコンサートホールまで行く機会を得て、本場のホール音響と、配信運用について見てくることが出来ました。

配信スタッフからは、「演奏のストリーミング配信が当たり前になって来ると、演奏家も意識が変わるよ」と、面白い話も聞きました。ベルリン・フィルでは、演奏家が配信スタッフにものすごく配慮してくれて、スイッチングスタッフが迷わないように「次はこの楽器が見せ場だよ!」と、合図をしてくれるそうなんですよ(笑)。

── さすが、ベルリン・フィル奏者! 演奏中にスイッチングのキュー出しまでしてくれるとは、余裕がありますね!

渡辺:配信スタッフの方は「私にとっては、ここが1番の特等席!」と仰っていて、とても楽しそうでした。ライブが絶対いいとか、逆に配信があればいいということではなく、体験できるタイミングで好きな方を選べるべきだよね、楽しみたい人が楽しめるようにするための状況や環境をつくっていかなければならないな、という想いが、ますます強くなりましたね。


気軽に、配信でコンサートを体験してもらう。そのための最適な環境を、模索し続けていく。
── ベルリン・フィルの“全部入り”みたいな配信と、東京春祭のコンパクト化された配信は、方針が真逆のような印象がありますが……、そこはいかがでしたか?

渡辺:そうなんです、ベルリンでの経験を自分達の業務にどう生かしていくかは、なかなか難しいところで……。今の日本のタイミングとしてはやはり、もうちょっと、「配信を当たり前にする」というフェーズが続くかなと思っています。設備面だけ見ても、日本のホールとベルリン・フィル本拠地のコンサートホールでは全く違っています。ホールにネットワークケーブルや配信用のカメラがデフォルトでセットされているような環境だからこそ、「配信したい」となった時に、すぐ望んだ品質で配信が出来るんだと思うんですね。

── 公演ごとに毎回ケーブルを引き回ししているような状況から脱した時が、本当の“配信元年”かもしれませんね。

渡辺:東京春祭での配信を知っていただく方が増えたからか、最近はコンサートホールの方から「配信をしたいのでアドバイスが欲しい」とご相談が来ることもあるんですよ。配信をやりたいというご希望があるとか、配信関連でお困りのことがあれば、IIJにご相談頂ければ嬉しいですね。我々がこれまで得てきた知見を活用して、ホールさんのお役に立てればと思います。

── 東京春祭でストリーミング配信を続けていくにあたって、これまでの経験からお考えのことを教えてください。

渡辺:弊社会長の鈴木は「インターネットで配信するということは、席数が無限にあるということだよね」とよく言っています。フラッと、気軽に、配信でコンサートを体験してもらいたいというのは、会社としても重要視しているところです。オペラ公演とか、現地で聴くとなるとちょっと敷居が高いかもしれませんが、「ネット席」で気楽に見てみて「こんなスゴそうなら、次は聴きに行ってみようか」となってくれたらいいですよね。そのために何が最適なのか、東京春祭の配信を通して、今後も考えていければなと思います。

── 「ネット席」配信、楽しみにしております。今日はありがとうございました。
(前編はこちら

関連情報

配信サイト
「東京・春・音楽祭 LIVE Streaming 2024」

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