JOURNAL

東京春祭からのリクエストは「ストリーミング配信を継続していくこと」

〜「ネット席」配信を担うエンジニアに聞いてみた【前編】

 「東京・春・音楽祭2024」は今年も、ほぼ全公演のライブ・ストリーミング配信(有料)を行います。会場に足を運ぶことが難しくても、公演時間にスマホやPC等の身近なデバイスを通じて「ネット席」に座れば(?)、どこからでも手軽に気楽に公演を楽しむことが出来るのです。気になるチケット代は、900〜1200円となっており、大変お手頃です。

 この膨大な公演数を美しい映像とクリアな音質で配信可能にするのは、株式会社インターネットイニシアティブ(IIJ)の協力によるもの。そこで今回、「東京・春・音楽祭」有料配信のスタートからご尽力頂いているIIJネットワーク本部xSPシステムサービス部配信ビジネス課長 渡辺史崇さんへのインタビューを実施しました。前編となる本記事では、これまでの配信の苦労や現在の環境、クラシック音楽ならではの配信への配慮等についてお伺いします。

取材・文:かのうよしこ

東京文化会館 小ホールにて行われる配信セッティングの様子(IIJ提供)

「東京・春・音楽祭」ストリーミング配信を担うIIJ、毎年変わる配信環境、そのワケは?

── IIJは格安SIMやスマホのイメージが強いですが、通信事業者として1990年代という黎明期から動画配信に取り組んできた企業としても知られています。渡辺さんご自身は、いつ頃から配信業務に関わってこられたのでしょうか。

渡辺:もともと私は美大を卒業してデザイナーとして仕事を始め、放送業界で新しい放送のサービスをどんどんつくるというようなことを長いことやっていました。「そろそろ何か、新しいことをやりたいな」と思っていた時にIIJから声をかけてもらって、今に至ります。インターネットを通じての映像配信には、もう20年位関わってきている、ということになりますね。「東京・春・音楽祭」(以下、東京春祭)には、3年前の有料配信から関わり始めて、2024年で4回目の配信対応となります。

── 2021年から行われている東京春祭の有料ストリーミング配信について、経緯や変化をお話し頂けますか。

渡辺:全公演の有料配信を始めたのはコロナ禍で、公演のストリーミング配信に対して補助金が出たこともあり、また、お客様からも配信が求められるという状況がありました。東京文化会館の1番大きな会議室に、4公演まで同時に配信出来るように配信設備をつくり、そこに映像音声を集めて配信をしていました。

4Kハイレゾと呼ばれるような高音質高品質な映像配信、またユーザーが自由にカメラを切り替えられる、マルチアングルというような配信も同時にするという、「出来ることは全部やろう!」という熱量でやったんです。ただ、カメラ設置の人員配置や機材等がかさみましたし、準備にそうとうな時間がかかってしまって、かなり大変でしたね。

沢山の人にコンサートをどうやって届けるかということを第一に考え、今後続けていくためには、手間やコストを抑えていくべきじゃないのか、という課題が見えてきました。そこで翌年からは少し方針転換して、カメラ1台を客席後方に1台固定として、スタッフは配信業務だけやればいいという状況にしました。現場の機材設置も少なくて済みますし、現地スタッフも減らせます。一方でユーザーに対しては、見たいところを拡大して見られるプレーヤーを開発し、提供するということを始めました。

スマホやタブレットから手軽にコンサート配信が視聴出来る(IIJ提供)

── 配信に関して、音楽祭側から何か具体的な要望が来た、ということはあるのでしょうか。

渡辺:内容に関するご要望は特に無いんですが、この配信というものを継続していきたい、というところに、非常に大きな想いがおありだと認識しています。配信チケットを指す「ネット席」は、1公演900〜1,200円程度(2024年の販売価格)と、非常に安価です。この価格でこの配信を続けていくためには、やはり、いかにコストを下げられるかが課題です。我々としては、技術的に簡素化して低コストな仕組みをつくること、その上で品質は出来る限り落とさない、これが重要になってくると思います。

ホール音響のプロと通信ネットワークのプロが、得意分野を生かして届ける「ネット席」

── 「品質」と仰ったその中身は、主に「音の品質」ということだと思います。コンサートホールから、どのように音を配信されているのでしょうか。

渡辺:音は、ホールの音響さんが調整した音を配信用に貰い、我々で配信向けの調整をして流す、ということをしています。クラシック音楽って、一番低い音から高い音までの幅がとても広くて、調整が難しいんですよね。

── おまけに、リハーサルと本番では全くピークが違いそうで、そこも調整が難しい要因になりそうですね。

渡辺:そうなんです。そのあたりどう調整すべきかというのを、何十年もホールでプロフェッショナルなお仕事をされてきてる音響さんにお任せするというのは、一つの方法だと思っています。その後、最終的に配信する際にどのくらいの帯域があればいけるのかというのは、我々ネットワーク側の専門領域ですから、こちらで決めて配信しています。

── IIJのストリーミング配信についてはこれまで多くのメデイアから取材記事が出ていますが、映像にフォーカスした内容が多いですね。東京春祭としては、音にフォーカスした配信のお話を是非伺ってみたかったんです。音の配信品質については、なかなか、注目されるということがないような……。

渡辺:そうなんですよねぇ。映像なら、「4Kになった」「8Kになった」とアピールすれば、パッと見て「綺麗になったね!」とすぐ分かっていただけるんですが、音って見えないので、意識して頂き辛い。技術的には難しいことをやっていても、正直、パッとしないというか、宣伝が難しいというか……(笑)。

最近ではハイレゾ配信といった単純な“高音質”を追求するよりも、「そこにいる人が聞こえるように音を収録して流す」ということが、見直されてきているような気がします。ソニーの「360 Reality Audio」やApple Musicのドルビーアトモスによる「空間オーディオ」、バイノーラルとヘッドトラッキングの技術を組み合わせる仕組みもありますよね。体験としての音、音の環境をどうつくるか、という流れが生まれてきている。

家でスマホからストリーミング配信を聴いていても、まるでコンサートホールのステージから音が聴こえるような感覚になれたらいいな、というのは、すごく真っ当な方向性だと思うんです。ただこれは配信側ではなく、視聴デバイス側の話になってきてしまうんですが、そういったところも今後は考えていければなと思っています。

株式会社インターネットイニシアティブ ネットワーク本部xSPシステムサービス部配信ビジネス課長 渡辺史崇さん

自由に基準を決められる「配信」だからこそ難しい、“音の品質”への取り組み


── 長年従事されていた放送業界と、通信業界。“音の扱い”の違いについてお話し頂けますか。

渡辺:放送と通信では、考え方が全く違うんですよね。

放送というのはドメスティックなもので、国がルールを全て決めています。放送局が電波にのせる映像、音声の品質、放送局からの電波を受けるテレビという再生機器に求められるスペック……それらがちゃんと決められていて、そのルールを前提として成り立っているものなんですね。ですから、品質を高くも出来ないし、低くも出来ません。配信では、そのような制約が無いので、品質を上げようと思えばいくらでも上げられます。

でも、じゃあ、どんどん品質を上げればいいかっていうと、そうでもなくて。何故かというと、配信を受け取る側の再生環境が千差万別だからです。基準をどうするか、配信では自由に決められるのですが、そこが逆に難しいところですね。最高品質で配信しても、ほとんどの方がスマホで見ている、聴いているということであれば、それは必要な品質なんだろうか、と考えなければいけない。

ハルサイの配信に私たちがイメージするお客様だと、映画館のような音響設備がきちんと整った場所で聴いているわけでは無いと思います。せっかく「ハイレゾで配信してます!」とPRしても、再生環境次第では「こんなもんなの?」とガッカリさせてしまうことになりかねないんです。

映像面については、固定カメラ1つの映像の中で、ユーザーが自由に視点を移動できるプレーヤーをつくって使ってもらうということを提案をして来たわけですが、これからは音再生についても、推奨環境を提案していかなければならないなと考えて試行錯誤しています。今は、スマートフォンで聴くというような再生環境でも、臨場感が伝わるような配信を、と考えて調整をしています。

後編に続きます)

関連情報

配信サイト
「東京・春・音楽祭 LIVE Streaming 2024」

Copyrighted Image