JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

ウィーン vol.1

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

 芸術の、音楽の都ウィーン。
 それ以前に、まずウィーンは古くからヨーロッパにおいて、名門ハプスブルク家の支配する帝国の中心でありました。その歴史には名高い女帝マリア・テレジアや皇帝フランツ・ヨーゼフらが生き、実質的に19世紀後半まではドイツ民族にとっての帝都、そして第1次世界大戦まではオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都でした。いわばヨーロッパの中心の一つだったのです。

 ウィーン中央のリング通りを歩けば、シュテファン大聖堂やホフブルク宮殿、ウィーン国立歌劇場などの重厚典雅な建物がいくつも目に入り、少し離れれば華麗なるシェーンブルン宮殿が。今もその黄金時代を感じさせる雰囲気が充満です。ヨハン・シュトラウスの黄金像が公園に立っていたり、ちょっと小径に入れば昔の貴族や、私たちが聴いて馴染んでいる作曲家たちに出会いそうな気がしてしまいます。

 まさしく「楽都」ウィーン。18世紀末にモーツァルトがフリーの音楽家として活躍し(映画『アマデウス』で描かれていましたね)、シューベルトはこの地で生まれ育ち、ベートーヴェン、ブラームスも上京ならぬ、上ウィーンして活躍しました。ブルックナーとウィーン・フィルの因縁浅からぬつながり、そしてマーラーはウィーン宮廷歌劇場(現・国立歌劇場)の黄金時代を築いた監督でもありました。
 ドイツ系や周辺諸国の作曲家は皆ウィーンを目指し、多くの優れた芸術がここから発信されたのです。

 そして今も国立歌劇場は言うに及ばず、ここの選ばれし有志精鋭たちウィーン・フィルは世界のオーケストラの中心のひとつであり、日本でも最も人気のある楽団です。このウィーン・フィルのコンサートマスターを40年以上務めた、いわば看板プレイヤーであったライナー・キュッヒルさんは「東京・春・音楽祭」で上演したワーグナー『ニーベルングの指環』4部作でN響のゲスト・コンマスとして管弦楽をリードし、指揮者ヤノフスキとともにこの作曲家の真髄を私たちに教えてくれました。ここにウィーンの伝統の底力を見出だした方も多かったのではないでしょうか?


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