JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

ラヴェンナ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

 (前回と同じことを書いてしまいますが・・・)コロナ禍にあって、今回の激動の「東京・春・音楽祭」が終了し、様々な個性の充実した公演が多かった中、やはり最も劇的にして深い感銘を与えられたものは、音楽祭のメンターというべき巨匠リッカルド・ムーティの来日と、その公演だったと思います。

 「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」のヴェルディ《マクベス》。そこに参加した東京春祭オーケストラによるモーツァルトの交響曲・・・。

 前回の「街歩き」では、そのムーティの故国イタリアの、過去に音楽祭の監督をしていたフィレンツェの街を歩きました。今回は、現在ムーティ夫妻が住んでいるところであり、そして奥様のクリスティーナさんが創設したラヴェンナ音楽祭がある、ラヴェンナへ行きましょう。

イタリア・エミリア=ロマーニャ州 アドリア海に面する都市ラヴェンナ

 ここの音楽祭にはもちろんマエストロ ムーティも力を入れています。彼が(東京春祭オーケストラのように)若い演奏家たちを集めて指導し、活動しているルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団の演奏は、昨年の11月に特別配信されましたね。あれは厳しさを湛えながらも、とても美しい演奏でした・・・。
また遡れば、2016年7月、日伊国交樹立150年記念の年に、このルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管と東京春祭オーケストラの選抜合同メンバーがラヴェンナ音楽祭に出演し、ムーティの指揮でヴェルディをはじめとするイタリア・オペラの名曲たちを披露したことも、記憶に新しいところです。

 ラヴェンナはイタリア北東部にある古都。アドリア海に面したこの都市は、古代ローマ帝国の時代から重要な場所で、その後ローマが分裂してからは西ローマ帝国の、そして5世紀には東ゴート王国の首都であったこともあります。

 (話がそれますが、「ゴート」・・・どこかで聞いた名だな?・・・と思いましたら、宮崎駿の初監督作にして名作映画、『ルパン三世・カリオストロの城』の冒頭で“ゴート札”という偽札が出て来ました。映画の舞台といい、この古代のゴート帝国と関係あり・・・ですね、きっと)

 翌世紀には東ローマ帝国のイタリアにおける総督府となり、ラヴェンナが現在のようにイタリアの一部になるまでは、なかなかの変遷があります。この間に、東ゴートや東ローマを経る歴史があったため、ビザンチン文化・・・今ですとイスラム圏にあるトルコやロシア正教につながるような雰囲気が街に色濃く残っているのが興味深いですね。

 1996年に世界遺産となった、ラヴェンナの「初期キリスト教建築物群」の教会の建物の外観や、内部のモザイクやフレスコ画などを見ると、それが一目瞭然。ある意味エキゾチック。私たちがイタリアを思う時、漠然とイメージするものとはかなり違った色彩が、ラヴェンナでは見られます。
サン・ヴィターレ聖堂やガッラ・プラチディア廟堂、サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会etc、etc・・・

ダンテ・アリギエーリ劇場
ラヴェンナでのイタリア・オペラ・アカデミーの会場

 そして、生地のナポリとはまた違った歴史の重層からくる空気をもつ地にムーティが住んでいる、というのは面白いですね。
マエストロが指揮するドラマティックなヴェルディや、美しいモーツァルトにもそんな影響があったりするのかな・・・?などと想像してみるのも楽しいかも。

ダンテの墓
故郷フィレンツェを追われたダンテが眠る。2021年に没後700年を迎え、ラヴェンナはじめイタリア各地で様々な記念行事が行われている

 こうして、ちょっとイタリアでも異色の街ともいえる、ラヴェンナ。 一方で文化に目を向けると、やはり重要な遺産がありますね。 ダンテがあの『神曲』を完成させたのがここ。彼の墓はラヴェンナにあり、ダンテ博物館もあります。

 また、イングランドのバイロンもラヴェンナで暮らして『ドン・ジュアン(ドン・ジョヴァンニ)』を書いていますし、ドイツのヘッセなどもここに旅した際、大いにインスピレーションを受けて詩を書いたりしたそうです。

Copyrighted Image