JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

プラハ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

 ウィーンなどと並び、ヨーロッパでは昔から音楽の都であったプラハ。今はチェコ共和国の首都です。このボヘミア地方は古くから占領・解放、闘いの歴史が続いてきたところですが、一方では、未だ中世からの古き良き街並みの姿を残した美しい都市。プラハ城、カレル橋、あの雄大なモルダウ河・・・今も多くの観光客が世界中から訪れています。
(浦沢直樹のベストセラー漫画『MONSTER』ではここがストーリーの中心のひとつとして描かれ、“おとぎの国”と呼ばれていました。よくわかります)

 このプラハと、モーツァルトは相思相愛でした。彼の代表的名作オペラ《フィガロの結婚》の初演がウィーンで酷評された後、最初に大好評をもって一躍人気作となったのがここプラハだったのです。失望のモーツァルトが一転、どんなに嬉しかったか想像に余りあります。以来、彼はプラハの耳の肥えた人々のために、交響曲第38番「プラハ」を書き、そしてあの《ドン・ジョヴァンニ》や、《魔笛》とともに生涯最後のオペラとなった「皇帝ティトゥスの慈悲」を作曲したのでした。

 そしてプラハは「東京・春・音楽祭」ととても濃い縁のある地でもあります。
それは音楽祭の実行委員長、鈴木幸一が若い頃・・・1970年代にプラハで仕事をしたときのこと。当時のチェコはソ連の衛星国家として「旧東側」陣営の社会主義国家です。人々の心には暗さや恐怖が巣くっていました。その地で鈴木は帰国寸前に現地の人間に引き留められます。「2日後に『プラハの春・音楽祭』が始まるのに聴いていかないのですか?この音楽祭こそ市民の心のよりどころなのに」
「プラハの春」は1946年から始まった国際音楽祭 ―― プラハの誇るチェコ・フィルを中心として(彼らは必ず音楽祭オープニングに、チェコ人の魂の発露でもあるスメタナ「わが祖国」を演奏)、世界的演奏家が集まるヨーロッパ有数の音楽祭―― であり、予定を延ばして音楽祭を聴いた鈴木には、その在りようが強い印象として胸に刻まれ、大きな志への芽が生まれたのでした。「いつか東京でも、市民が喜びや悲しみを分かち合えるような、日本で言えば神社の祭のような音楽祭ができたら・・・」

 そう、プラハはこの「東京・春・音楽祭」にとっても大切な街だったのですね。

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