JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

パリ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。


 花の都パリ。
 エッフェル塔に凱旋門、シャンゼリゼ通り、ルーヴル美術館・・・誰もがすぐこれらをイメージし、あこがれる場所です。実際に花がたくさん咲いているわけではありませんが、この都市の歴史、生まれ育った数々の芸術を顧みれば、まさに華やかに文化が咲き誇るところ。
 パリは(数年前に火災にあった)かのノートルダム寺院がある小さな土地、シテ島から始まり、そこを中心に街をどんどん広げて発展しました。時は進み、いつしかパリには栄華を誇ったブルボン王朝、ヴェルサイユ宮殿が登場。そして王朝を倒し人民中心の世となっていくフランス革命は、ヨーロッパはもちろん、世界中に大きな影響を与えました。そしてナポレオンの治世と没落・・・等々。パリの歴史はまさに世界史の中心です。

 都市の景観、ということに視点を移せば、パリが今のように放射状の直線道路や、高さやデザインを揃えて美しい都市となったのは、19世紀末頃のジョルジュ・オスマンによる都市大整備事業からです。繁栄のパリでしたが、古くからずっと一か所を拡げていった結果、インフラが整わず、実はとても不衛生でごちゃごちゃしていたのです。それを根こそぎ改革しようということで、パリは一気に美しい統一感をもった街に変貌しました。

芸術家たちの交流を支え、今もパリジャンに愛される"カフェ"

 美しい絵画、建築、そして音楽・・・17世紀には太陽王ルイ14世のもと、リュリやラモーによる「オペラ」が上演されるようになります。そして19世紀になればショパンやシューマン、メンデルスゾーン、リストがそうしたように、ありとあらゆる分野にわたるヨーロッパの芸術家がパリのサロンに集い、各々がそれこそ色とりどりの花を咲かせました。その世紀の初頭には、現在のパリ管弦楽団の前身であるパリ音楽院協会管弦楽団が発足し、ベルリオーズらフランスの作曲家のみならず、ベートーヴェンの交響曲を次々とフランス初演したり、ドイツのライプツィヒなどとともにヨーロッパの音楽最前線を人々に伝えていきました。近代になればここに、フォーレやドビュッシー、ラヴェルらをはじめとする、豊かな彩や香りをもったフランスの名作曲家たちも深く関わっていくことは言うまでもありません。


 そしてこの3人の名を出したところで、20世紀に入って特筆することとしては、パリを席捲したジャポニズムと、大興行師セルゲイ・ディアギレフによるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が巻き起こした一大センセーション、それに伴う名曲たちの誕生です。
ストラヴィンスキーのバレエ《春の祭典》のスキャンダラスな大成功はよくご存じと思いますが、彼の《火の鳥》や《ペトルーシュカ》をはじめ、ドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲」やラヴェル《ダフニスとクロエ》などは、ディアギレフの活躍なしには生まれなかった作品でしょう。また、その舞台製作におけるコクトーやシャネルの活躍など、20世紀初頭のパリは斬新な文化の一大ターミナルであり、坩堝でした。(この頃のパリ、タイムマシンがあったら行ってみたいですね)


 さて「東京・春・音楽祭」の前身、「東京のオペラの森」時代に小澤征爾さんが指揮したR.シュトラウスのオペラ《エレクトラ》とワーグナー《タンホイザー》(共にロバート・カーセン演出)の舞台がパリ・オペラ座でも上演されたことを、皆さまも覚えていらっしゃいますでしょうか?あの斬新で鮮烈だった舞台はパリでも大きな反響を巻き起こしました。

 ところでこの《タンホイザー》、ドレスデン版とパリ版の2つがあり、もちろんこの時は後者が上演されたわけですが、このパリ版では序曲のあと、ヴェーヌスベルクでの饗宴“バッカナール”が挿入されています。

 なぜか? 19世紀のパリでオペラを上演するには、バレエの場が必要だったのです。パリでのオペラは一大エンタテインメントでしたから。パリではかのワーグナーでも、自作を上演するのにそうした配慮をしなければならなかったのです!

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