JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

ニューヨーク

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

 「東京・春・音楽祭」によくお越しになるお客さまであれば、トーマス・ラウスマンの名をよく目にされるはず。そう、ハルサイのこれまでの数々のワーグナー・オペラ上演を支えてきた歌手コーチです。彼は数年前までウィーン国立歌劇場にいて、当時の音楽監督フランツ・ウェルザー=メストの絶大な信頼を得ていた人物で、ハルサイにおいてもマエストロ・ヤノフスキの右腕と言ってもいい、今やなくてはならない存在です。歌手コーチというのは、新人や若い歌手だけを指導するのではなく、客演する大歌手たちをも、そのプロダクションの上演作品はもちろんのこと、指揮や演出の方向に即して彼らの歌唱をアジャストすべくレッスンし、時には役に適切な発声方法すらも指導します。その責任を果たすためには深く膨大な音楽的知識や経験が必要であることは言うまでもありません。そのポジションにいること自体が、それだけの信用を歌手や指揮者たちから得ている証左なのです。まさに影の立役者。

 そのラウスマン、現在はニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)の歌手コーチを務めており、ウィーンでの実績と力量がMETの総裁ピーター・ゲルブ、音楽監督ヤニック・ネゼ=セガンの目に留まっての移籍となったようです。さすがですね!

 ラウスマンの話が長くなってしまいました。しかし彼のような存在だからこそ相応しく、縁の下の力持ちとして必要とするのが当代最高のオペラハウスのひとつMETであり、それを擁するニューヨークという街。

 ロンドンと並んで世界最大の都市であり、アメリカのみならず世界の経済の中心、そして人種と文化の坩堝・・・それがニューヨークです。

アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク

 アメリカそのものはヨーロッパや日本に比べたら格段に若い国。言ってみれば北海道のように移民開拓によって作られた地ですが、さて、その中でニューヨークというのはいつできたのでしょう?調べてみますと、1624年にオランダ人が入植し、マンハッタン島の南の端にニューアムステルダムという街を築いたのですね。それがニュー「ヨーク」になったのは、30年後の1644年。今度はイギリス人が街を征服して、イングランド王のヨーク公の名をとってからそうなったとのこと。

 ところでニューヨークは、ご存じの通りマンハッタンだけではなく、ブルックリンやクイーンズ、ブロンクス、スタテンアイランドの5つから成っていて、それぞれの地区に特色があります。しかし今回歩くのはマンハッタンにしましょう。「眠らない街」ニューヨークといえば、まずはマンハッタン。整然と区画され、高層ビルが立ち並び、広大なセントラルパークがあり、ビジネスマンから観光客までタイムズスクエアを往来するものすごい数の人々・・・というと、やはり作りとしては、移民が開拓してイチから築き上げた札幌のようですね。でも比較するにはニューヨーク、規模が巨大すぎ!ありとあらゆる多様な人種が混在していますし。

 またパリのように建物の作りや並びに統一があるわけではなく、それぞれのビルやタワーに個性があって、エネルギーに満ち溢れています。人と街のエネルギー、ここに世界の人々が惹かれ、集まってくるのですよね。特に文化、エンターテインメントに関わり、頂点を目指している人間には尚更。ニューヨークにいれば、なんと刺激的な毎日であることか。

 先に書きましたMET、そしてアメリカを代表するオーケストラであるニューヨーク・フィルハーモニック、その本拠であるエイヴリー・フィッシャーホール、ニューヨーク・シティ・オペラ、ジャズ・アット・リンカーンセンター、そしてジュリアード音楽院などは、すべてリンカーンセンターという施設エリアの一角にあります。行ってみたいですねえ。ここから発する文化のエネルギーには、ヨーロッパのものとは違う質のカラーがあり、猥雑なものをポジティヴに洗練させたような勢いがあります。METのオペラ上演やニューヨーク・フィルの演奏を聴くと、それがよくわかります。

 ニューヨークにいると、街を歩くだけで、そしてオペラやコンサートを聴いただけで力が湧いてきそうな気がします。だからこそ今は正直寂しいですね・・・。コロナ禍で音楽関係もその多くの活動が休止していますが、仕切り直しの9月の新シーズンからは、再びニューヨークの底力とエネルギーを見せてほしい!と願うばかりです。

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