JOURNAL

東京春祭ワーグナー・シリーズvol.3《タンホイザー》

主要キャストの横顔と聴きどころ

東京春祭ワーグナー・シリーズの第3弾は、ワーグナー(1813〜83)が1843年から45年にかけて作曲した歌劇《タンホイザー》(ドレスデン版)。本稿では、音楽評論家の岡本稔氏に主要キャストを紹介していただきながら、それぞれが演じる役柄の聴き所も解説していただいた。

文・岡本 稔(音楽評論家)

 アダム・フィッシャーは1949年にブダペストに生まれたハンガリーの指揮者。生地の音楽院でピアノ、作曲、指揮を学んだのち、ウィーンでハンス・スヴァロフスキーのもとで研鑽を積んだ。フライブルク、カッセル、マンハイムの劇場の音楽総監督を歴任し、2007年から10年までブダペスト国立歌劇場の音楽監督をつとめている。客演活動も活発で、ウィーン国立歌劇場では1980年のデビュー以来、《マリア・ストゥアルダ》の新演出を含む数多くの演目を指揮し、高い評価を得ている。2001年には、急逝したジュゼッペ・シノーポリのあとを受けてバイロイト音楽祭で《ニーベルングの指環》を指揮、その堅実な音楽づくりによってワーグナー指揮者としての評価を確実なものとした。オーケストラのレパートリーではハイドンの名解釈者として知られ、1987年にオーストリアのアイゼンシュタットに創設したハイドン音楽祭を通して、ハイドンの再評価に大きな役割を果たしてきた。ロマン的オペラ《タンホイザー》では、作品の古典的な側面にも光を当てたフィッシャーならではの解釈を聴かせてくれることだろう。

主要な登場人物

タンホイザー: ヴァルトブルク城の騎士でミンネゼンガー(ミンネゼンガーとは、高貴な女性に捧げる「愛の歌」を得意とした吟遊詩人)。エリーザベトと愛し合っていた。

エリーザベト: 領主ヘルマンの姪。タンホイザーの理解者であり恋人。

ヴェーヌス: 美と官能の女神。タンホイザーを歓楽の国・ヴェーヌスベルクに誘い込む。

ヴォルフラム: タンホイザーの友人で、同じくミンネゼンガー。エリーザベトに想いを寄せている。

領主ヘルマン: 物語の舞台となっているテューリンゲンの領主。

 タンホイザー役のステファン・グールドは、今最も注目を集めているヘルデン・テノールの一人。アメリカ出身。シカゴ・リリック・オペラの研修所で声楽を修めたのち、アメリカ国内で活躍。その後、ジョン・フィオリートに師事してヘルデン・テノールに転向した。その経歴の一つの節目となったのが2004年のバイロイト音楽祭におけるタンホイザーの歌唱である。クリスティアン・ティーレマンの指揮のもと、作品が持つ魅力をあますところなく伝えた歌唱は忘れることができない。新国立劇場の《トリスタンとイゾルデ》で圧倒的なトリスタンを聴かせたのも記憶に新しい。グールドは聖と俗の愛の間を揺れ動くアウトサイダーの芸術家という性格を帯びたタンホイザーという役柄を演じて、共感豊かに表現しつくすことができる数少ない歌手である。演奏会形式においても、そうした性格を明確に描き出してくれることだろう。

 エリーザベト役のペトラ=マリア・シュニッツァーはウィーン生まれ。ザルツブルク・モーツァルテウム大学とウィーン大学で学び、ウィーン国立歌劇場のオペラ・スタジオで研鑽を積んだ。1993年に《魔弾の射手》のアガーテでウィーン国立歌劇場にデビュー、以後、この役でミュンヘン、ベルリン、ザルツブルク音楽祭をはじめとする各地のオペラハウスに出演、好評を博す。バイロイト音楽祭には2003年に《ローエングリン》のエルザ役でデビュー、卓越した役作りによって成功を収めた。2004年にはパリ・シャトレ座で《タンホイザー》のエリーザベトを演じている。シュニッツァーの抒情的な味わいをたたえた美しい声は、エリーザベトにぴったり。また、近年《トリスタンとイゾルデ》のイゾルデにも進出しているように、ドラマティックな表現もあわせ持つようになった。今回もそうしたシュニッツァーの魅力を実感させてくれる舞台になるだろう。

 ヴェーヌス役のエリーザベト・クールマンはオーストリア出身。ウィーン国立音楽大学でヘレナ・ラザルスカに師事し、2001年に卒業したのち、《魔笛》のパミーナ役でフォルクスオーパーにデビューした。モーツァルトの役を歌うソプラノ歌手として成功をおさめたのち、2005年よりメゾ・ソプラノ、コントラルトに転じ、《ラインの黄金》《ワルキューレ》のフリッカ、《神々の黄昏》のヴァルトラウテ、《ボリス・ゴドゥノフ》のマリーナ、《ファルスタッフ》のクイックリー夫人、《こうもり》のオルロフスキー公爵などの役柄で聴衆の幅広い支持を集めている。魅力的な誘惑者ヴェーヌスの存在感があってこそ、タンホイザーの屈折した思いも明確になる。その意味で重要な役柄であるヴェーヌスを演じる若手クールマンへの期待は高まる。

 ヴォルフラム役のマルクス・アイヒェはシュトゥットガルトとカールスルーエの音楽大学に学んだのち、2007年から10年までウィーン国立歌劇場のメンバーとして活躍、《フィガロの結婚》のアルマヴィーヴァ伯爵、《ラ・ボエーム》のマルチェッロ、《スペードの女王》のイェレツキー、《愛の妙薬》のベルコーレ、《ウェルテル》のアルベール、《マノン》のレスコーなどを演じていた。また、2007年から10年までバイロイト音楽祭の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》でコートナーを演じて好評を博している。エリーザベトに心を寄せながらも、タンホイザーとの友情を尊重する忠義の人ヴォルフラムをどのように演じるだろうか。

 領主ヘルマン役のアイン・アンガーはエストニア出身。物理学、数学を専攻したのち、1996年に声楽を学び始めた。エストニアでプロとしてデビュー、ハンブルクとライプツィヒの歌劇場でレパートリーを広げ、2004年よりウィーン国立歌劇場のアンサンブルに加わった。《リゴレット》のモンテローネ伯爵役でデビューを飾り、以来40を超える役柄で同歌劇場の舞台に立っている。それには《ドン・カルロ》のフィリッポ2世、《パルジファル》のティトゥレル、《さまよえるオランダ人》のダーラント、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のポークナー、《ローエングリン》のハインリヒ王、《タンホイザー》の領主ヘルマン、《ワルキューレ》のフンディンクなどが含まれる。2009年には《ラインの黄金》と《ジークフリート》のファフナー役でバイロイト音楽祭にデビューした。ワーグナーの諸役で豊かな経験を積んだアンガーが演じるヘルマンに期待したい。

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