JOURNAL

リヒャルト・ワーグナー《神々の黄昏》 ~ストーリーと聴きどころ

文・岡田安樹浩(音楽学)


前奏曲 ―― 物語の前史を描く音詩

 まばゆいばかりの光を放つ聖杯 ―― ヴァイオリンのフラジョレット奏法によるイ長調の和音。はるか天空の彼方より、その聖杯を持った天使の群れが地上へと舞い降りる ―― 高音域の弦楽器アンサンブルに徐々に中音域の木管楽器の響きが折り重なる。ひとりの男が聖杯の光に包まれて気を失い、天使たちはこの男を聖杯騎士に列する ―― 金管楽器の壮麗な響きとシンバルの一撃。天使たちは、はるかな高みへとまた昇ってゆく ―― 上昇する管楽器の和音の交代・・・・ふたたびヴァイオリンのみの光の和音。

第1幕

 10世紀前半のアントワープ。ザクセン軍を率いたドイツ王ハインリヒが、戦への派兵を求めてブラバント公国へやってきたところ。スヘルデ湖畔の草原にブラバントの臣民たちとザクセン軍が居並ぶなか、当地を治めるフリードリヒ伯、フォン・テルラムントが、公女エルザに対して、弟殺しの廉で訴えを起こす。罪状認否を迫られたエルザはしかし、空の彼方を見すえて「ひとりの騎士」について、夢見心地で語りはじめる ―― 変イ短調/長調の間を揺れ動く不安定な音楽「エルザの夢」。

 フリードリヒは追及を続けるが、エルザは夢で見た騎士に助けを求めるばかり。王が神に裁きを求めると、白鳥に曵かれた小舟に乗ってひとりの騎士があらわれる ―― イ長調のファンファーレ。この人こそ、エルザが夢に見た騎士その人なのであった。騎士はエルザに向かって「決して訊ねてはならぬ、知りたいと思ってもならぬ、私がどこから来たのか、名前も、素性も」と警め、誓いを守る限り添い遂げる、と約束する ―― イ短調の厳しい響きによる「禁問」の音楽。エルザはすべてを受け入れ、騎士は彼女にかわってフリードリヒと一戦交える。騎士は瞬く間に勝利し、エルザにかけられた嫌疑は見事晴らされ、二人は結ばれる。一同騎士を讃えて高揚するうちに ―― 変ロ長調で ―― 幕となるが、みずからの魔力を封じられたオルトルートはひとり、怪訝な面持ちでこの大団円を見つめている。

第2幕

 アントワープの城内では盛大な祝宴が催されている。城外には、名誉を失い失意に暮れるフリードリヒと、騎士に対する疑念をますますつのらせる妻オルトルートの姿がある ―― バスクラリネットとイングリッシュホルン、ホルンのゲシュトプフト奏法による不気味な嬰ヘ短調(イ長調と並行関係の短調)の響きと、舞台裏から鳴り響くファンファーレがコントラストをなす。フリードリヒは、エルザを告発するきっかけを作った妻をなじる。彼女は、騎士の勝利は不当な魔力を使った結果であり、名前と素性が明かされれば騎士は無力となると言って、またも夫をそそのかす。バルコニーにエルザの姿を認めたオルトルートは悔恨の表情を装い、彼女の憐れみ深さにつけ込んで取り入ることに成功する。

 ラッパの信号が朝を告げる ―― ニ長調からハ長調への音響の遷移による「夜明けの音楽」 ―― 夜が明け染める。伝令より、騎士は爵位を拒否して「守護者」なる称号を選んだこと、明日にも軍を率いて戦地へ赴くつもりであることが伝えられる。エルザがあらわれ、婚礼の儀式のために聖堂へ向かってゆっくりと行進する ―― 木管楽器とホルンを主体としたポジティフオルガン風の響きに彩られた変ホ長調の「エルザの聖堂への入場」。一行が聖堂の前にさしかかると、突如オルトルートが行列を遮り口汚くエルザを罵る。さらにフリードリヒもあらわれ、神の裁きを魔法で歪めたとして、名も素性も明かせぬ騎士を告発する。騒ぎを収めに王と騎士がかけつけ、騎士は「私が答えなければならないのは唯一エルザに対してだけ」だとしてフリードリヒの訴えを退ける。しかしこの時、エルザの心にはすでに疑念の種が植え付けられていた。騎士はエルザをしっかりと抱きしめ、一行は聖堂への石段を上りきる ―― 純粋無垢なハ長調で「聖堂への入場」の音楽が回帰。だがエルザの目には、勝利を確信したかのように腕を突き上げるオルトルートの姿が映っていた ―― 華々しいファンファーレに割って入る「禁問」の警告。

第3幕

 華やかな婚礼の宴 ―― 前奏曲(ト長調)と婚礼の合唱(変ロ長調) ―― を終え、騎士とエルザは寝室へと移る。はじめて二人きりとなると、エルザは「決して口外しないから」と言って夫に秘密を告白するよう迫る。騎士は何度もエルザを遮り、宥めるが、彼女はついに「名前と素性」を訊ねてしまう。二人が取り乱しているところをフリードリヒとその配下に奇襲されるが、騎士は剣でフリードリヒを一太刀にする。

 翌朝、召集のラッパが鳴り響き、人々はふたたび湖畔の草原に集まってくる。ハインリヒ王が姿をあらわすと、フリードリヒの遺体が運ばれてくる。エルザと騎士もあらわれ、彼はフリードリヒを討った事の成り行きを説明し、さらにエルザに裏切られたと皆に告発する。そして、彼女に「名前と素性」を訊ねられてしまったからには、答えぬ訳にはゆかぬと言って、みずからの出自を語り始める ―― 前奏曲で聴いたイ長調の響きに導かれてはじまる「名乗りの歌」 ―― 「みなの足では決してたどり着けぬはるかな国」にあるモンサルヴァート城、そこで聖杯を守護する王パルツィヴァールの息子にして聖杯騎士のひとりである彼の名は「ローエングリン」である、と。

 一同が感極まるなか、あの白鳥が小舟を曳いて近づいてくる。騎士はみずからの形見に指環と角笛をエルザに預け、弟が帰ってきたらこれを渡すよう言付ける。すると突如、それまで沈黙を守っていたオルトルートが、みずらかのおぞましき行為を自白する。ゴットフリートを手にかけ、首に鎖を巻いて湖に沈めたのはこの女だったのだ。一同驚愕のなか、ローエングリンはひとり静かに祈る・・・・一羽の鳩が舞い降りて白鳥の上を旋回する。白鳥は首に巻かれた鎖をはずされると湖に沈み、かわって行方不明になっていたエルザの弟ゴットフリートが姿をあらわす。ローエングリンは彼を岸へ引き上げ、みなに向けて高らかに宣言する。彼こそがブラバントの新たな「指導者 Führer」である、と。くずおれるオルトルート、再会した弟と抱きあうエルザ・・・・ふと彼女が気づくと、聖杯騎士の姿はすでに遠くへ霞んでいた。悲鳴を上げ卒倒するエルザ。一同、感嘆の声を漏らすも、人智を超えた聖杯の力 ―― 前奏曲とおなじイ長調の音楽の壮大な回帰 ―― になす術なく幕となる。

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