JOURNAL

連載《ローエングリン》講座

~《ローエングリン》をもっと楽しむために vol.3

2018年の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」には《ローエングリン》が登場します。そこで、音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《ローエングリン》をより深く、より分かりやすく解説していただきます。連載第3回では、第2幕を詳しくみていきます。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 第1幕ではブラバント公国の統治者の地位簒奪を目論んだテルラムント伯が、公国の公女エルザを護るために天が遣わした騎士ローエングリンと決闘し、いとも簡単に敗北。光の力が闇の勢力に華々しく打ち勝ったところで幕となったが、第2幕では一転、闇の側の逆襲が始まる。その主役はテルラムントの妻オルトルート。彼女は魔法と姦計を駆使して、エルザを陥れていく。心理的な駆け引きが繰り広げられる場面が多く、ワーグナーの手腕が一層冴えわたる。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一翻訳『ワーグナー ローエングリン』(五柳書院)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のボーカル・スコアを参照しました。

第ニ幕 前奏曲

 アントワープ城内の庭。場面は夜。「Vorspiel(前奏曲)」と名付けられてはいないものの63小節、4分余の前奏部分で第2幕において重要となる動機がいくつか提示され、この幕の雰囲気が表現されている。これは「ニーベルングの指環」以降、楽劇と位置付けられた作品に共通するスタイル。その前奏部分の概要はこうだ。

 まずティンパニがピアニッシモでFisの音をロール(連打で音を伸ばす奏法)で演奏し、不気味な雰囲気を醸し出す中、チェロが「オルトルート(災い)の動機」(=譜例⑭)を演奏。これにファゴットが「オルトルート(呪い)の動機」(=譜例⑮)を被せる。わずか十数小節で、第2幕では前幕から一転して闇の世界の邪悪な力が存在感を増すことが暗示される。「オルトルート(呪い)の動機」は、いわゆる減七和音で構成されている。ちなみにこの減七和音は「超自然の和音」とも呼ばれるもの。

譜例⑭

譜例⑮

 続いて現われるのが、コールアングレとバス・クラリネットが低音で奏でる「禁問の動機」。オルトルートによる呪いの標的は、エルザが白鳥の騎士に誓った名前や素性を尋ねてはいけないという「禁問」にあることが明かされる。台本に沿えば、このあたりで幕が開けられ、夜の闇の中にテルラムントとオルトルートの夫妻が座っているのが見える。城の中からは金管と打楽器による戦勝を祝うファンファーレが聞こえ、戦いに敗れた夫妻の惨めさを際立たせる。フルートとファゴットによる「エルザの動機」に導かれるかのように第2幕の物語は動き出す。

第ニ幕 第一場

 テルラムントは、これまでの陰謀を企てたオルトルートを責め立てる。オルトルートは魔法を操る異教徒。エルザの弟ゴットフリートが姿を消した〝事件〟の真犯人もオルトルートであった。彼女が魔法でゴットフリートを白鳥に姿を変えてしまったのである。この場面での2人のやり取りにおける音楽と言葉の緊密な連関は、まさに楽劇そのもの。テルラムントが妻を責める背後で繰り返される付点音符を多用した弦楽器の激しい上下行は、怒りと不安がないまぜになった彼の心中を描いている。これに対してオルトルートには随所に長い音符が与えられ、神に力を授けられた白鳥の騎士の鮮やかな勝利、裏を返せば夫の惨敗にもまったく動じていないことを窺わせる。さらにオルトルートの旋律には半音階進行も散りばめられており、ここでも彼女が持つ不気味なパワーを観客・聴衆に聴覚面からも感じさせる。このように音楽そのものによって物語が展開されていくスタイルこそ、楽劇という概念を成す重要な要素のひとつにほかならない。

 夫に言いたいだけ言わせておいて、挑発に転じるオルトルート。この夫婦の主導権がいずれにあるのかは明らかだ。オルトルートが白鳥の騎士を加護する神の力すら嘲笑うに至って、テルラムントも「千里眼の妖術使いめ、どんな新手でおれをたぶらかすつもりだ!」と恐れをなす。彼女が企む騎士に与えられた神の力を封じる方法とは「(騎士に)名前と素性を言わせれば、せっかく手に入れたパワーを失ってしまう」というもの。つまりエルザに騎士との「禁問の約束」を破らせることだった。弦楽器のトレモロに乗って金管楽器が「オルトルート(災い)の動機」を強奏、これを合図とするかのように、夫妻は声を合わせて「わが心の底知れぬ闇の中から復讐の大業を誓おう!」とユニゾンで叫ぶ。劇的な迫力は、これ以前の作品を遥かに凌駕している。

第ニ幕 第ニ場

 木管楽器の柔らかい和音に続いてクラリネットが「エルザ愛の喜びの動機」(=譜例⑯)を奏でると、純白の衣装のエルザが館のバルコニーに出てくる。「とうとう私に幸せが姿を現した」と幸福感に満ちた自らの心境を語る場面の旋律は変ロ長調。壮麗さを表現する際にしばしば使われる調である。これは夜になってもエルザは昼間の興奮を抑えきれないでいることを聴く側にさり気なく伝える効果をもたらす。

譜例⑯

 また、オルトルートがバルコニーの上に向かって「エルザ!」と呼びかける際のオーボエとホルンの不気味な和音も同様といえよう。ホルンにはゲシュトプフト(朝顔の中に拳を入れて吹く奏法)の指定。これらが織り成す和音はAsとCes(Cの♭=H)からなる変則的なもの。フォルテピアノで伸ばされるこの響きとともに行われるオルトルートの呼びかけは「誰なの? 夜の底からぞっとする嘆きの声で私の名を呼ぶのは」というエルザの言葉通り、それまでの彼女の幸福感を一瞬にして打ち砕くかのような絶大な効果をもたらす。

 オルトルートは言葉巧みに憐れみを乞い、純真なエルザの心を動かす。「私があなたにいったい何をしたと?」などのオルトルートの言葉の背後では、木管楽器が半音階進行を伴った不安定な下行→上行を繰り返し、闇の力のうごめきを感じさせる。エルザがバルコニーの下にいるオルトルートのもとに行くためにいったん館の中に姿を消すと、弦楽器が三連符のシンコペーションで激しいリズムを刻んだのを合図にオルトルートは初めて激情を爆発させて異教の神々に対して復讐を誓う。いわゆる「オルトルートの復讐の誓い」(=譜例⑰)だが、この時、彼女が呼びかけていたのはヴォーダン(ヴォータン)やフライアといった「ニーベルングの指環」に登場する神々の名前であることにも注目していただきたい。

譜例⑰

 エルザが外に出てくると、オルトルートは再び冷静さを取り戻し、足下に跪いて迎えていた。美しい全音階の旋律で結婚を前にした素直な喜びを表わすエルザにオルトルートは最初こそ、憐れみを乞いながらも徐々に騎士に対する疑念を植え付けていく。それはファゴットによる「オルトルートの動機」をきっかけに始められる。続くコールアングレとバス・クラリネットが奏でる「禁問の動機」に乗せて騎士の不思議な登場の仕方や謎に包まれた素性について言及する。この言葉に思わず身震いするエルザ。この時、弦楽器のクレッシェンドによるトレモロは「オルトルートの動機」と同じ「減七和音」の構成。エルザの心の中にオルトルートが仕込んだ〝毒〟が確実に注入されたことが表現されている。

 弦楽器による「献身の動機」(=譜例⑱)をバックに、自分の中に芽生えた疑念を払拭しようとするかのように自らの愛の一途さと互いの信頼から得られる幸福を説くエルザ。それを心の中で嘲笑うオルトルートとの二重唱はワーグナーの全作品の中でも最も美しい音楽が展開されている場面のひとつと筆者は感じている。

 結局、エルザはオルトルートを館の中に導き入れてしまう。その一部始終を物陰で見ていたテルラムントは「さあ、災いが館の中に入ったぞ」とほくそ笑む。いつしか、東の空が白み始める。

譜例⑱

第ニ幕 第三場

 夜明けを前に塔の上から2本のラッパ(トランペット)が起床の合図(起床ラッパの動機)(=譜例⑲)を吹く。遠くの塔からもこれに呼応、次第にオーケストラ・ピットの中のホルンやその他の楽器も加わっていき賑わいを増す中、ステージ上では城門が開かれ、人々が集まってくる。

譜例⑲

 第1幕と同じファンファーレとともに再び伝令が登場。ハインリヒ王の決定としてテルラムントの追放と、彼に通じる者も合わせて処罰の対象となることが布告される。さらにテルラムントを破った騎士はエルザの希望に沿って彼女の夫となること、その一方でこの騎士が自らを「ブラバント公」ではなく「ブラバントの守護者」と呼ばれることを希望していることも伝えられる。続けて騎士からの言葉として婚礼から一夜明けた明朝には、王の命を実現させるために自らが先頭に立ってフン族征討に出陣する意向が明らかにされる。男たちからは「貴いお方に導かれ、戦いに遅れをとるな!」との勇壮な歓声が沸き起こる。これら合唱を合いの手にした音楽運びは従来のグランド・オペラのスタイルを踏襲したものであり、ワーグナーのこれ以降の作品にはほとんど採用されることはなくなる。とはいえ、各声部を丹念に使い分けて活気ある劇空間を創り出すワーグナーの手腕は素晴らしく、ここから先の合唱を軸にした展開は聴き応えに富んだものである。

 そんな華やぎをよそにテルラムントの取り巻きだった4人の貴族が不満そうな表情を浮かべていると、そこへテルラムントがいつの間にか近付いてきて「そのうち、もっと大胆なことをやらかす」とささやく。4人は驚き「とんでもない。お前は追放の身だぞ」とテルラムントを人目に付かないところに押しやる。

 館の扉が開かれ、4人の小姓が整列して、エルザが今から婚礼を前にした礼拝に出かけることを告げる。

第ニ幕 第四場

 貴族や民衆が待ち受ける中、エルザの一行が礼拝堂に向けて静々と進む。オーボエが「エルザ愛の喜びの動機」を奏で、彼女の心中を代弁する。エルザの清らかな美しさに男性からは感嘆の声があがる。人々は「祝福の動機」(=譜例⑳)の旋律とともにエルザと騎士の前途を祝う。一行が礼拝堂の石段の前に差し掛かると突如、オルトルートが現われて、行く手に立ちはだかり「下がれ! エルザ!!」と叫ぶ。前夜とはあまりの豹変ぶりに驚くエルザ。音楽は減七和音をベースとする激しい動きに転じ、オルトルートは「あいつの名前を言えるかい?」と自分の守護者である騎士の素性を何も知らないエルザに激しく詰め寄る。動揺しながらも決然と反論するエルザにその場の人々も味方し「そうだ! そうだ!」と合いの手を入れる。この背景で管楽器が六連符を奏で続けるのは、彼女の確信と取るべきか、それとも心臓の鼓動が早鐘のように鳴っていると取るべきなのか、解釈の分かれるところだろう。オルトルートがさらに畳み掛けようとするところにハインリヒ王が白鳥の騎士を伴って出座、激しいやり取りは中断される。

譜例⑳

第ニ幕 第五場

 ブラバントの人々が王と騎士を讃える中、騎士はエルザの異変とともに「あの忌まわしい女がここに」とオルトルートの姿にもすぐに気付く。彼がオルトルートを睨みつけると、さしもの魔女も身じろぎひとつ出来なくなる。騎士はオルトルートにその場を立ち去ることをキッパリとした口調で命じ、エルザを優しく慰めて再び礼拝堂に向かわせようする。

 ところが、今度はそこにテルラムントが現われ、決闘の際、騎士は妖術を使って自分に勝ったのだと主張。さらに騎士に向かってその素性を明かすよう迫る。

 これに対して騎士は、そうした問いが王やいかなる高官からのものであったとしても自分は拒むことが出来るとし、それを問う権利を持つ唯一の存在はエルザだけであると宣言する。ところが、騎士の視線の先にいたエルザは動揺を隠しきれない。オーケストラからは「オルトルートの動機」と「禁問の動機」が流れ、彼女の心の中にオルトルートが仕込んだ毒が確実に回り始めていることを窺わせる。このただならぬ様子に騎士も思わず言葉を詰まらせてしまう。

 舞台上ではしばし時間の流れが止まったストップモーションのような状態となり、登場人物たち(群衆も含めて)が、それぞれの思いを述べ合う一大アンサンブルが繰り広げられる。騎士に全幅の信頼を寄せる周囲の人々に対して、エルザは自分の中で膨らんだ疑念を抑えきれない。このコントラストが彼女の苦悩を鮮やかに浮き彫りにする。

 「勇士よ、不実の徒に容赦は無用」と王がローエングリンに語りかけることで、舞台上の時間が再び動き出す。ザクセンとブラバントの貴族たちが、騎士への信頼を表明している傍らでテルラムントがエルザに近付き「(騎士の素性に関する)確かなことを知る手立てを教えてやろう」と耳打ちする。騎士が慌てて割って入り、「下がれ! 呪われた者たちよ」とテルラムントとオルトルートを追い払う。

 騎士はエルザを導きながら礼拝堂の石段を登っていくと、中から2人を祝福するオルガンの調べが聞こえてくる。人々の祝福の合唱の中、エルザがふと下を見るとオルトルートが勝ち誇ったように片腕を天に向け突き上げていた。そこに金管楽器が「禁問の動機」をフォルティシモで強奏する。ハ長調の荘重な響きの中にヘ短調の「禁問の動機」が暗い影を投げ掛ける。ちなみにヘ短調は暗く重たい情熱のような雰囲気を表わす時に使われる調である。2人の前途にオルトルートによる暗い呪いが覆いかぶさっていることを示し、幕となる。

Copyrighted Image