JOURNAL

連載《ローエングリン》講座

~《ローエングリン》をもっと楽しむために vol.1

2018年の「東京春祭ワーグナー・シリーズ」では《ローエングリン》を上演します。そこで、音楽ジャーナリストの宮嶋極氏に《ローエングリン》をより深く、より分かりやすく解説していただきます。連載初回は《ローエングリン》のアウトラインについてです。

文・宮嶋 極(音楽ジャーナリスト)


 リヒャルト・ワーグナーのオペラや楽劇を毎年1作ずつ、演奏会形式で上演していく「東京春祭ワーグナー・シリーズ」、2018年はワーグナーの創作活動の中でターニングポイントとなった《ローエングリン》が登場します。指揮はドイツ語圏の歌劇場でワーグナーのスペシャリストとして高い評価を得ているウルフ・シルマーが、演奏は同シリーズを通してワーグナー作品に相応しい重厚なサウンドで好評を博しているNHK交響楽団が引き続き担当します。本稿は、東日本大震災のため中止となった2011年の《ローエングリン》の公演のために執筆した拙稿を改訂したもので、物語と音楽を同時並行的に追いながら、ワーグナーがそこに込めたメッセージについて考えていきます。多くの方に《ローエングリン》の魅力を理解していただけるよう、これまで筆者が取材した指揮者や演出家らの話なども参考にしながら、4回に亘って進めていきます。なお、台本の日本語訳については、日本ワーグナー協会監修 三宅幸夫/池上純一翻訳『ワーグナー ローエングリン』(五柳書院)を、譜面はドーバー社刊のフル・スコアとPETERS版のボーカル・スコアを参照しました。

《ローエングリン》のスタイル

 《ローエングリン》は、ワーグナーの作風が一層充実し、楽劇というスタイルに進化・発展していく過渡期に作られたオペラである。題材との出会いは1841年から42年にかけてとされ、台本の執筆を経て1848年に総譜(スコア)を完成させている。この間の45年に前作《タンホイザー》を初演(ドレスデン版)しているが、その5年後に初演された《ローエングリン》では、作曲・作劇の両面で一層の進歩を遂げていることが分かる。

リヒャルト・ワーグナー(1813-83)

 《ローエングリン》についてワーグナー自身は「3幕からなるロマンティック・オペラ」と名付けてはいるものの、その実は限りなく《ニーベルングの指環(リング)》などと同じ「楽劇」に近いスタイルで書かれている。その第一は、各幕ともに途中にアリアやアンサンブルを挟むことなく、音楽に息の長い連続性を持たせることで、言葉との関連性をより緊密なものとしている点。これは後の「無限旋律」につながる手法といえる。音符と言葉が密接に絡んで、お互いを補完し合うことによって、ドラマを集約していく楽劇ならではのスタイルに近づいている。

 第二には、「ライトモティーフ(示導動機)」の概念をより明確にし、多用し始めている点。「ライトモティーフ」という作品全体に共通する「音楽言語」を設定することで、作品を貫く主題がより鮮明に提示されている。例えば《リング》の「アルベリヒ呪いの動機」にあたるのが、《ローエングリン》においては「禁問の動機」と位置付けることができよう。

 第三には、《タンホイザー》まで存在した序曲(Ouvertüre)を採用せずに、より短い前奏曲(Vorspiel)に置き換えている点。前奏曲は、序曲に比べて簡潔にその幕の性格を表現できるのと同時に、音楽のみが延々と続くことがない分、本編に対する観客・聴衆の集中度が増すことにもつながる。

 第四は、オーケストラの編成の拡大。オペラ史上初の完全3管編成を必要とし、バンダ(舞台上や舞台裏などに配置する別働隊)も活躍する。オーケストラの編成を大きくしたことで、より多彩な響きを創り出すことが可能になったばかりでなく、2010年の本連載の《パルジファル》で詳述したように、調性を細かにコントロールしていくことでさまざまな劇的・心理的な効果を意図していることをうかがわせる箇所がいくつも存在する。

多くのワグネリアンを虜にした傑作

 《ローエングリン》と《パルジファル》はともに「聖杯伝説」をもとにした物語となってはいるが、前者の方がより歴史的な裏づけがなされており、実在した人物も複数登場する。このため、時代も10世紀前半、さらに絞って930年代ごろと推定することも可能だ。

 初演は1850年8月28日で、この日はゲーテの101回目の誕生日であった。初演時、ワーグナー自身はドレスデン蜂起に失敗し、スイスに亡命中の身であった。この初演は、《タンホイザー》のヴァイマール初演を通してワーグナーの才能を高く評価していたフランツ・リスト(当時ヴァイマール宮廷楽長)が、楽譜の出版から公演の資金集めまで奔走した結果、実現したのであった。ゲーテの誕生日に初演が行なわれたのも、ヴァイマールの地に縁の詩聖ゲーテの記念日を選ぶことで話題作りを図ろうというリストのアイデアであったとされる。後にワーグナーはこの時の感謝の意を表わすために《ローエングリン》のスコアの表紙に「もうひとりの自分へ」との添え書きをして献呈している。さらに後年、2人は図らずも義理の父子関係になってしまうことからも、両者の間には目に見えない強いつながり(因縁?)があったのかもしれない。

 初演はまずまずの成功という程度であったが、充実期に向かうワーグナーの手によるこの作品が、ドイツのみならずヨーロッパ各国で人気演目として現在に至る不動の評価を獲得するまでに、さほどの時間を要することはなかった。上演回数が増えるにつれて、この作品の魅力の虜となった歴史上の人物も多い。音楽の世界では、ベルリオーズやチャイコフスキーらが強い感銘を受けたことを書き記すなどしている。リヒャルト・シュトラウスが、その創作活動において強い影響を受けていたことも有名である。さらにトーマス・マンやシャルル・ボードレールの心酔ぶりも有名だ。

ノイシュバンシュタイン城

 歴史を動かすほどに大きな影響を受けた人物の代表格としては、ワーグナーの熱烈なファンであり大パトロンでもあったバイエルン王国のルートヴィヒ2世、そしてアドルフ・ヒトラーが挙げられる。ルートヴィヒ2世は《ローエングリン》の世界をこの世に再現しようとノイシュバンシュタイン城を建設したほどの熱狂ぶりであった。この城はバイエルン州フュッセン南方の山の上にそびえ建つ白亜の城郭で、ドイツ旅行ガイドブックやパンフレットの表紙などにしばしば使われるなどドイツの観光、とりわけロマンティック街道の象徴的建築物となっている。ちなみに東京ディズニーランドの象徴である「シンデレラ城」のモデルになったのもノイシュバンシュタイン城だったとされている。ルートヴィヒ2世は、ワーグナーに対する莫大な経済的支援や巨費を投じた城造りなどが一因となり、1886年6月12日に大臣たちによって強制的に退位させられ、その翌日に幽閉先のシュタルンベルク湖畔で主治医とともに水死体で発見されるという謎の死を遂げている。

 一方のヒトラーは熱心なワグネリアンであったばかりか、バイロイトの4代目当主となったヴィニフレート(英名ウィニフレッド)・ワーグナーと親密な関係にあったことでも知られる。ヒトラーもワーグナー作品との出会いは《ローエングリン》だったとされる。第2次世界大戦前のナチスによるワーグナー作品やバイロイトの政治利用について触れることは、別の機会に譲るとして、ヒトラーの思想や考え方に大きな影響をもたらしたことは多くの研究者が確認している事実でもある。

 これらのことを別の視点から捉えると《ローエングリン》は、歴史を動かすほどの魅力を持った作品と位置付けることができる。日本でも結婚式の定番となっている「結婚行進曲」は《ローエングリン》第3幕冒頭で歌われる合唱曲だし、その直前に演奏される第3幕への前奏曲もクラシック音楽ファンなら知らない人がいないくらいの名曲である。


☆作品データ

作曲:
1846~48年
原作:
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩「パルツィヴァール」
コンラート・フォン・ヴュルツブルクの「白鳥の騎士」
グリム兄弟の「ドイツ伝説集」     ほか
台本:
1841〜45年、作曲家自身の手によるドイツ語のオリジナル台本
初演:
1850年8月28日、ヴァイマール宮廷劇場
指揮:
フランツ・リスト
設定:
10世紀前半のアントワープ
スヘルデ河畔の裁きの場(第1幕)
アントワープの城内・外(第2幕)
アントワープ城内→スヘルデ河畔の裁きの場(第3幕)

☆登場人物

ハインリヒ・デア・フォーグラー
ドイツ王
ローエングリン
白鳥に曳かれて現れ、エルザを助ける謎の騎士。神がかり的なパワーを持つ。その素性はおろか、名前さえ明かさない。
エルザ・フォン・ブラバント
ブラバント公国の公女。濡れ衣を着せられ絶体絶命の危機に直面している。
ゴットフリート公
エルザの弟。ブラバント公国の正当な継承者。(子役)
フリードリヒ・フォン・テルラムント
ブラバントの実力伯爵。妻のオルトルートにそそのかされ、ブラバントの簒奪を企む。
オルトルート
テルラムントの妻。魔力を持ち奸計に長けた女性で、夫を焚きつけて公国の乗っ取りを企む。
王の伝令
ブラバントの貴族4人
小姓4人
ザクセンとチューリンゲンの伯と貴族たち
ブラバントの伯と貴族たち
高貴な女性たち     ほか

☆オーケストラ楽器編成

フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(3番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3(3番はバス・クラリネット持ち替え)ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ1、シンバル、トライアングル、タンバリン、ハープ1、弦5部
舞台上・裏のバンダ(ピッコロ1、フルート2〜3、オーボエ2〜3、クラリネット2〜3、ファゴット2〜3、ホルン3〜4、トランペット4〜12、トロンボーン3〜4、ティンパニ、シンバル、小太鼓、トライアングル、オルガン、ハープ)


次回は第1幕への前奏曲と第1幕を詳しく紐解いていきます。

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