JOURNAL

《タンホイザー》の「版」問題について

第3回 続・バイロイトで出会った巨匠たち

文・岡田安樹浩(音楽学者)

「ドレスデン版」成立まで

 《タンホイザー》をどの版で上演するのか? それはワグネリアンにとって重要な問題である。一般に「ドレスデン版」と「パリ版」と呼ばれる2つの版が存在するが、これらは「音楽的要求」のために混合されることも珍しくない。すなわち、「パリ版」における第1幕の「バッカナーレ」(第1場)と「タンホイザーとヴェーヌスの場面」(第2場)の魅力的な音楽を捨てきれないために、「ドレスデン版」を基本としつつも、これらの場面だけは「パリ版」を用いる、という折衷案である。

 《タンホイザー》の作曲は1843年の夏に着手され、1845年4月13日に総譜が完成した。ワーグナーはリトグラフ印刷用の特殊な紙で総譜を作成し、ここから初版総譜が印刷された。しかし、同年10月19日の初演後、少なくとも1853年頃まで、大小さまざまな変更が加えられた。なかでも重要なのが第3幕最終場の変更で、現在知られている"Zu dir, Frau Venus, kehr' ich wieder, in deiner Zauber holde Nacht;"(あなたのもとへ、女神ヴェーヌスのもとへ帰るのだ、その魔法のように魅惑的な夜のなかへ)以降の歌詞と音楽は、1847年になって書き直されたものである。この変更によって、第3幕にヴェーヌスが再登場することとなり、舞台裏の別働隊が左右に分けて配置され、フィナーレの合唱は増強された。幕切れのエリーザベトをめぐる演出指示は二転三転し、1853年に至ってもなお試行錯誤が続いていた。そのほかの微細な変更は枚挙に暇がないほどだが、あまり知られていない例として、ハープの演奏不可能なパートが修正された点を挙げておこう(ただし修正後も極端に演奏困難な箇所がある)。

 ワーグナーは、一連の修正を反映した総譜を出版するために出版社と交渉を重ね、1860年にドレスデンのヘルマン・ミュラー社から刊行が実現した。作曲者自身の校正を経たこの総譜は、当時のワーグナーの最終意図を反映した総譜であると言って差し支えない。我々が「ドレスデン版」と呼んでいるのは、この総譜とその後継版のことである。従って、これを「1860年稿」と言い換えることもできようが、この版で採用された第2幕最終場における2つの案、すなわちタンホイザーの告解の場面で、題名役以外の歌唱パートを休止とする措置と、その後のクライマックス部分を24小節短縮する措置は、今日の上演では実施されないこともあるため、「ドレスデン版」での上演がすべて「1860年稿」とは限らない。

パリ版」≠「ウィーン版」

 ところがこの直後、ワーグナーはパリ・オペラ座での上演のために大規模な改訂を施すことになる。彼は第1幕のはじめの2つの場面を作曲し直したほか、第1幕の間奏曲や第2幕の序奏、第3幕のフィナーレなどのオーケストラ部分に変更を加え、第2幕「歌合戦」の構成にも手を加えた。だが、問題なのは1861年3月に行われた3回のパリ上演の実態である。筆者はパリ・オペラ座に所蔵されている当時のパート譜を閲覧したことがあるが、いたるところに施されたカットやオーケストラ・パッセージの簡略化などによって、作品は痛々しいほどに切り刻まれていた。《タンホイザー》のパリ上演が「パリ版」とは異なっていたことはしばしば指摘されてきたが、実際に鳴り響いた音楽は、「パリ版」とはまったく別のものと言っても過言ではない。

 しかし、この時ワーグナーが施した音楽の改訂は、彼にとって芸術上の必然であり、パリでの改訂をドイツの劇場での上演に適した形にアレンジして《タンホイザー》を上演することは急務であった。それはようやく1867年8月にミュンヘンで実現するが、ワーグナーは上演の準備に直接かかわらず、すべては弟子のハンス・フォン・ビューローに委ねられた。そのためか、この上演も我々の知る「パリ版」とは若干異なるものとなった。

 1875年11月、ワーグナーはハンス・リヒター指揮によるウィーン宮廷歌劇場における《タンホイザー》公演にリハーサルから出席し、パリでの改訂を反映した上演を見届けることができた。作曲者の生涯において、これが《タンホイザー》上演との最後の接点となったのだが、実はこの時、「パリ版」には反映されていない微細な修正が加えられていた。従って、厳密には「パリ版」と1875年のウィーン上演とは同一の形態ではなく、「パリ版」を「ウィーン版」と呼び替えるのは誤りなのである。

 では、「パリ版」とは一体何なのか。実のところ「パリ版」の原稿は、《タンホイザー》の「改訂版」としてワーグナーの監督のもとで準備され、このウィーン上演よりも前にベルリンのアドルフ・フュルストナー社へ送られていた。 「パリ版」とは、このフュルストナー社による「改訂版」の総譜とその後継版を指しているのだが、フュルストナー社が刊行をヴァーグナーの死後まで先延ばしにしたため、彼はついに校正の機会を得られなかった。そのため、「パリ版」はウィーン上演における修正が反映されないまま出版されることとなってしまった。 なお、現在マインツのショット社より刊行されている新全集版は、ワーグナーが最後に作品に関与した1875年のウィーン上演を《タンホイザー》の最終形態と考えている。だが、ワーグナーの妻コジマの『日記』によれば、晩年のワーグナーは「タンホイザーに手を加えたいのに、総譜がない」(1882年11月13日)ために作業ができないと漏らしており、彼自身「パリ版」の不完全さを認識していたようである。

「ドレスデン版」の魅力

 そもそも「パリ版」は、この作品が本来もっていた音楽とドラマの密接な結び付きを犠牲にした上に成り立っており、部分的には魅力的な音楽が配置されていても、それらは全体の関連の中では異質なものとなっている。

 例えば、第1幕第2場でヴェーヌスがタンホイザーを誘惑するアリアはシャープ6つの嬰ヘ長調、第3幕第2場でエリーザベトが歌うアリアはフラット6つの変ト長調と、両者は共に調号6つの「限界調」であると同時に、異名同音の関係にある。ここには、ドラマの上では相反する2つの世界、すなわちヴェーヌスベルクとキリスト教世界を体現する2人が、実は表裏一体の関係にあるという暗示が込められているのである。さらに第3幕最終場では、タンホイザーが嬰ヘ長調でヴェーヌスのアリアの旋律を歌うことで、主人公が再びヴェーヌスに獲りこまれようとしている様を調性が裏打ちし、さらに主題の回帰によってライトモティーフ的な効果もあげている。しかし、「パリ版」ではヴェーヌスのアリアがフラット1つのヘ長調へ移され、拍子も変更されており、こうした効果はすべて失われてしまっている。

 ヴェーヌスベルクの音楽(第1幕第1場)が明確なホ長調で作曲されていることも重要で、タンホイザーの「ヴェーヌス讃歌」は、これよりも半音低い変ホ長調で歌われる時(第1幕第2場)、ヴァルトブルクの世界(=キリスト教世界)へ帰還することを希求するが、反対にヴェーヌスベルクに言及する際(第2幕「歌合戦」)にはホ長調となる。そして第3幕最終場、タンホイザーが息絶えた後に「救済」が歌われるフィナーレの調性は変ホ長調なのである。だが、パリで改訂された第1幕冒頭の「バッカナーレ」は、しばしばトリスタン風とも評されるように、調性が曖昧にされているために、作品が本来もっていた音楽的ドラマトゥルギーの礎を失ってしまったのである。

 結局のところ、ワーグナーの意図を確実に反映して刊行された総譜は、1860年の「ドレスデン版」しか存在せず、この資料的な事実は不変である。「パリ版」はその真正性も疑われるが、すでに見た「音楽的」な観点からも、今日の《タンホイザー》上演の形態として、「ドレスデン版」はもっとも妥当な選択であろう。

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