JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

ナポリ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

南イタリア最大の都市・ナポリ

 「ナポリタン」というスパゲティが、実はナポリの料理ではなく日本オリジナルのもの・・・というのは今や誰もが知っていることだと思いますが(そしてスパゲティも今は普通に「パスタ」汗)、「ナポリを見て死ね」という少々強烈な言葉は本当です。あの、海に山に風光明媚な景観、ミラノやローマ、フィレンツェとも違った街の美しさは格別!

 ナポリ湾や近くのアマルフィやソレントから見る海の突き抜けた青さには惚れ惚れとしますし、遺跡として残る古代都市ポンペイを一夜で滅ぼしたヴェスヴィオ火山の雄姿、古代ローマ時代をもほうふつとさせる彫塑的な教会や城などの建造物の数々。ナポリから1時間くらいのカプリ島には絶景スポット「青の洞窟」も!
ナポリ・・・やはり生きているうちに一度は見ておきたいものです。


ピッツァの代名詞「マルゲリータ」はナポリ発祥

 また、私たちが抱くイタリア人のイメージを最も感じさせてくれるのはナポリの人々ではないでしょうか?「アモーレ、カンターレ、マンジャーレ(愛、歌、食)」、人生を楽しみカンツォーネを歌い上げる陽気な人々、といったイメージを。

 そんなイタリア南部のナポリですが、ここは地中海の中でも近くのシチリア島と共に気候がよく、また海上交通の要衝です。そのため遡れば紀元前のはるか昔、古代ギリシャ人の植民地として拓かれたナポリ(「ナポリ」の語源は「ネアポリス(新しいポリス)」と考えられている)は、その後古代ローマ帝国、東ローマ帝国、ノルマン人・・・そしてフランス、アラゴン、スペイン、オーストリアといったその時代時代の列強に、代わる代わる支配されるという運命を辿ります。13~19世紀はナポリ王国となってはおりましたが、19世紀後半のリソルジメント運動でイタリア半島が統一されるまでは、ずっと他国に統治されていたのです。支配と解放の繰り返し。ヨーロッパにはそうした歴史をもつ地域が少なくありません。その繰り返し。
それでも・・・と言いますか、それに耐えてきたからこそナポリ人は強く明るくあるのだ、とも言えるかもしれませんし、ラテンやゲルマン、イスラムなど文化が重層的に織り交ざることになったのかもしれませんね。日本ではちょっと考えられないような。

 音楽でもそうです。

 「東京・春・音楽祭」の今やメンター(師)である指揮者リッカルド・ムーティもここナポリの出身で、ここからは作曲ではスカルラッティ兄弟やオペラ「道化師」を書いたレオンカヴァッロらも生まれていますし、歌手では大テノールのカルーソーもそう。ムーティはハルサイで来日すると折に触れて、「ナポリ楽派」の重要性を強調します。「18世紀はナポリが世界の音楽の中心であり、当時のヨーロッパ有数の作曲家でここに来ない人はいたのだろうか?」と。

 ナポリ楽派・・・作曲家でいえば先に挙げたスカルラッティやドゥランテ、チマローザやヨンメッリなどがいますが、18世紀初頭、とても大雑把に書けば、彼らは特にオペラにおいて、シンフォニア(急-緩-急の構成のイタリア風序曲)を作ったことや、レチタティーヴォとアリアを組み合わせて劇を進行させる手法を確立しました。これは皆さまも知る通り、この世紀の後半にはモーツァルトでもロッシーニでも皆このスタイルでオペラを書くことになり、西洋音楽の世界全体に絶大な影響を与えています。

 ・・・ここでロッシーニの名前がでましたが、彼はここナポリのサンカルロ歌劇場の劇場付き作曲家&音楽監督をしていたことがあり、《アルミーダ》や《ゼルミーラ》、《湖上の美人》などのオペラがここで生まれました。

 このサンカルロ歌劇場は18世紀の前半にオープンして以来、なんと今もそのままの姿を残しています。ヨーロッパでも「現役最古」のオペラハウスです。2018年にはムーティが34年ぶりにこの劇場でオペラの指揮をした、と話題にもなりましたね。

 オペラの礎のひとつは、間違いなくこのナポリから出発したのです。

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