JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

モスクワ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

リヒテル生誕100年の2015年に、彼と関わりの深い演奏家たちによるコンサートや、その人物像に迫るトーク・イベント、ドキュメンタリー・フィルム上映会など開催

 「東京・春・音楽祭」では2015年に、ロシアが誇る20世紀最大のピアニストの一人、スビャトスラフ・リヒテル(1915-1997)の生誕100年を記念して、「リヒテルに捧ぐ」というシリーズコンサートを行いました。エリーザベト・レオンスカヤやアレクサンドル・メルニコフ、ボロディン弦楽四重奏団など、リヒテルゆかりの演奏家たちが名演を繰り広げましたね。懐かしいです。

 リヒテルはウクライナ地方で生まれ、父親がドイツ人だったことで大変な苦難を経ますが、彼は独学でピアノを練習し、22歳でモスクワ音楽院に入学します。その後のリヒテルの伝説的活躍は改めて説明するまでもないでしょう。演奏は底知れない人智を超えた力をもって迫り、聴き手を時に圧倒、時にあたたかく包む・・・リヒテルのピアノは唯一無二の天才的なものでした。

 広大なロシア=ソ連からは時として、こうした常軌を逸するほどの天才が出るのは何故なのでしょう?それは音楽だけでなく、文学でいえばプーシキンやドストエフスキー、トルストイらも然り。

ロシア連邦の首都モスクワ

 さて、そのドストエフスキーも出身である、ここロシアの首都モスクワ。
 ふと、モスクワってロシアのどのあたりだっけなー?中央よりは西の方だろうけど・・・などと思いながら地図を見ると、えっ!?こんな西だっけ?西洋に憧れて建都されたサンクトペテルブルクがヨーロッパからごく近いところにある、というのは認識していますが、それよりもう少し南東にある程度です。(とはいえ、この2つの都市間は、700キロくらいはありますが)

 モスクワはかなり昔からある都で、13世紀に一度モンゴル帝国に滅ぼされますが、その後モスクワ公国が生まれています。17世紀にロマノフ王朝となってから、代々のロシア皇帝の戴冠はずっとここモスクワで行われました。

 モスクワの街を歩いて、まずは中心にある有名な「赤の広場」に行ってみますと、その広さもさることながら、周りに目を巡らせれば隣にあるクレムリンや、聖ワシリー大聖堂など、威厳に満ちた、同時におとぎ話にでも出てきそうなランプのような形の屋根、原色的色彩を帯びた建物に心惹かれます。またボリショイ劇場やトレチャコフ美術館、プーシキン美術館などの厳かさなどにも。ザ・ロシア!
 街の中心にはモスクワ河が滔々と流れ、クレムリンからモスクワの街は同心円状に広がるわけですが、この派手な色使いというのは、雪に覆われて冬が長いモスクワにとって必要なことだったのでしょうか?建物を地味にしていたら、冬は白とグレーだけになってしまいますし。
 もっとも先述のような建物があるかと思うと、一方では近代的なビルも林立しています。いや、今のモスクワには活気がありますね。


 しかし、その感じを味わうにつけ、30年ほど前までこの国はソビエト連邦という、途方もない社会主義国家であって、大変な艱難の地であったこともまた思い出さざるをえません。20世紀初頭に革命を起こして貴族王朝を倒し、労働者たちすべての人の平等を目指したはずだったのに。何故前の世紀はかくも恐怖の時代になってしまったのでしょう?

 もちろんソ連時代は悪いことばかりではありません。
 オペラやバレエは、このモスクワの冠たるボリショイ劇場でも国家の威信を示すため、大いに力が入れられました。そのため優れた歌手やダンサーが多数輩出され、素晴らしい上演が数多く行われました。その伝統は現代にも引き継がれ、バレエでいえば、今もボリショイのダンサーたちはサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場と並び、世界最高の身体能力や表現力を誇ります。

 オーケストラもそうです。かつてエフゲニ・スヴェトラーノフが率いたソビエト国立交響楽団(現・ロシア国立交響楽団)や、ソ連時代の末期に、読売日響にもよく客演した巨匠ゲンナジ・ロジェストヴェンスキーのために名手を集めて創設したソビエト国立文化省交響楽団などは、驚異的に目覚ましい力量をもっていました。英才音楽教育はもちろんソリストにも同様で、ピアニストでは冒頭にあげたリヒテル、そしてエミール・ギレリス、ウラディーミル・アシュケナージらを育てたモスクワ音楽院やチャイコフスキー国際コンクールもその一環です。

モスクワのスターバックス

 多様な民族を束ねようとするこの広大な国には、元々文化芸術においてヨーロッパを追い越せ、追い抜けという気運がありました。その点ではロシアもまた後進です。音楽でいえば初めて国際的な作曲家となったグリンカは19世紀初期の人。ロマン派のメンデルスゾーンやショパン、シューマンとほぼ同世代となります。
 そう考えると、ロシアと日本、そこは100年くらいしか変わらないのですね。

 ソ連は1991年に解体、民主化され、ロシア共和国になりました。そうなった当時はモスクワの街も、旧西側世界との経済格差で大変だったようです。あのマクドナルドが街に出現したものの、当時ここのビッグマックは普通の人の給料1か月分の値段だったといいます。

 しかしそれも今は昔。
 モスクワの街には活気があふれています。もちろん新型コロナウイルスで大変なのは我々日本人と一緒ですけれど。そして政府の強権政治で、突然政策が変わったりして振り回されるのは相変わらず困りもののようですが。ザ・ロシア!

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