JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

ライプツィヒ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

ドイツ連邦共和国ザクセン州ライプツィヒ

 ライプツィヒは、以前ご案内したドレスデンと同じく、ドイツ東部のザクセン州にあります。かつてはベルリンと並ぶドイツ最大の都市でした。
「かつて・・・」と書きましたが、もちろん今だって大きな街です。(ドレスデンよりも人口が多い)

 ここは中世から、ヨーロッパ交通の要衝ということもあり、神聖ローマ帝国の中でも屈指の商業都市として栄えたところで、やがてそれが工業にも発展します。これだけの歴史がありますから、バッハがカントル(音楽監督)を務めたかの聖トーマス教会をはじめ、古く厳かな建物もたくさん。文豪ゲーテもライプツィヒ生まれです。16世紀の宗教改革において、マルティン・ルターが論争を繰り広げたのもここですし、私たちには何と言っても20世紀末、記憶にも鮮やかなあの歴史的事件、ドイツの民主化・再統一へのきっかけとなったベルリンの壁崩壊もライプツィヒがきっかけとなったことはあまりにも有名です。ちなみに、あのメルケル首相はライプツィヒ大学で物理学を修めていました。

 このように、バッハやルター、ゲーテで有名だし、これだけあたかも「歴史」を体現するような街だと、歩いているだけでさぞや重厚古雅な思いあふれるだろうなァ・・・と思いきや(もちろんそういった趣もありますが)、意外にモダンで整然としたところですし、ある意味軽みがあるくらいの活気がライプツィヒにはあります。建物の並びの外観がちょっとパリみたいなところもあり、面白いです。流行のレストランやカフェなどもいっぱい。さすが東独時代、ベルリンに次ぐ都市の面目がここに。

 そもそもライプツィヒの人たちは商工業を営む「市民」が多いですから、同じ州でも「貴族」文化漂うドレスデンには随分と対抗意識があるようです。実際、「ドレスデンの奴らには負けねーよ」と陶器職人さんなども言うらしいですし、オーケストラの面々もそう思っているフシが。
 そう、ライプツィヒと言えば音楽ファンにとっては、バッハやメンデルスゾーンとともに、なんといってもライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。市民発のシンフォニー・オーケストラとしては世界最古で、まもなく創立280年を迎えます。280年前は日本でいえば江戸時代、8代将軍徳川吉宗の頃。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

 このオーケストラの「カペルマイスター(楽長)」という呼び方も、実に由緒ある趣でいいですよね・・・1835年にはメンデルスゾーンがこのカペルマイスターになり、J.S.バッハの《マタイ受難曲》や、シューベルトの交響曲《ザ・グレイト》の復活蘇演をしたことは有名ですし、ほかにベートーヴェンの交響曲全曲演奏はもちろん、彼のピアノ協奏曲《皇帝》や、メンデルスゾーン自身の楽曲、シューマンの交響曲の初演も行っています。
うーん、なんだかクラクラします。

ライプツィヒ音楽院

 このメンデルスゾーンが1843年に創立したのがライプツィヒ音楽院。シューマンやリストも関わったこの音楽院こそ、ヨーロッパではパリ音楽院と並ぶ重要な音楽教育機関です。そしてパリ音楽院のオーケストラと、メンデルスゾーンによってつながるライプツィヒ音楽院とゲヴァントハウス管こそが、先の楽曲たちを含め、19世紀ヨーロッパの音楽文化推進に最も寄与した組織のひとつともいえるでしょう。

 ところでゲヴァントハウス管は、現在もコンサートだけではなく、ライプツィヒ歌劇場(現在の音楽監督は、「東京・春・音楽祭」のワーグナー・オペラ上演や合唱の指揮でもおなじみのウルフ・シルマー)のピットにも入ってオペラも上演しますし、聖トーマス教会ではカンタータやオラトリオを演奏しますから、忙しいことこの上なし。そのあたり、ウィーン・フィルのメンバーと同じくらいタフかもしれません。
 そしてゲヴァントハウス管のモットーとして、ライプツィヒのゲヴァントハウス大ホールに掲げられている言葉にはいつも感動が。

 「真摯たることがまことの喜び」。

 今の世、殊に座右の銘にしたい思いです。

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