JOURNAL

ハルサイ的「世界街歩き」

クラクフ

プラハ、ウィーン、バイロイト 、ラヴェンナ…。
2005年に「東京のオペラの森」としてスタートし、2009年より「東京・春・音楽祭」として新たな幕開けをした音楽祭。
その16年の歩みの中で縁の生まれた、世界の街の数々をご紹介していきます。さあ、一緒に世界旅行へ。

ポーランド南部にある古都クラクフ

 今回は東欧のポーランド。この国の首都はあのワルシャワですが、最南端には京都のような古都、クラクフがあります。
 「クラコウ」「クラカウ」・・・などと表記されていたこともありますが、今は「クラクフ」で定着していますね。多分発音としてはそれらの中間くらいなのでしょうが、外国の言葉を日本語で表すのはとかく難しいものです。完全な正解はありません。

 ショパンの生まれ育ったところはワルシャワで、彼の作曲した曲に「ロンド・クラコヴィアク」という、なにやらクラクフに似た響きの名があります。それもそのはず・・・「クラコヴィアク」はクラクフの民俗舞曲です。
 しかし調べてみると、クラクフ出身の文化人、たくさんいますねー。映画監督のアンジェイ・ワイダや、スピルバーグの映画でも有名なオスカー・シンドラー、2度も映画化されたSF小説『ソラリス』の著者、スタニスラフ・レム。うんと遡れば天文学者のコペルニクスが。そして音楽家ではN響を育てた指揮者のジョゼフ・ローゼンストックがおり、「東京・春・音楽祭」のワーグナー《ニーベルングの指環》でアルベリヒを歌ったり、シンフォニエッタ・クラコヴィアと共演したバス・バリトンのトマス・コニエチュニーがクラクフの人間です。
 どうですか?そういう意味でもなかなかの街ですね。

 チェコ国境に面したクラクフは、プラハほどの都会ではありませんが、奥ゆかしく、中世以来の落ち着いた佇まいを見せる古都。しかしその歴史をひもとくと、ポーランドという国全体がそうだったのと同じで、周囲の大国に翻弄されるものでした。ポーランド以前にはボヘミアの一部でしたし、13世紀にはモンゴル帝国によって破壊。16世紀にはポーランド・リトアニア共和国、18世紀にはオーストリアの帝国領でありました。そして早くからユダヤ人が多く住んだ街だったため、その文化レベルが高かった反面、第2次世界大戦でソ連、そしてドイツの占領下にあるときには、アウシュヴィッツなどと同じく数々のユダヤ人収容所(ゲットー)が作られ、凄惨なる悲劇が生まれた場所でもあります。
 戦後のポーランドはソ連の勢力圏にあり、ソ連の解体まで“東側諸国”であったことはご存じの通りです。

 先に挙げたクラクフ出身の文化人たちに硬骨な人物が多いのは、なんとなくわかる気がします。
 しかし、そんな重い歴史を忘れてしまうくらい、クラクフの街は美しいもの。旧市街地は世界遺産に登録されています。旧王宮だったヴァヴェル城や聖マリア教会、シンドラーゆかりの歴史博物館などは、ぜひ一度見ておきたいものです。

クラクフの朝の風景

 ヨーロッパでも、殊に東欧は古い情緒ある建物、街並みが残っているところが多く、その歴史に心馳せます。しかし、なぜ東欧に多いのでしょう?自分なりに一考してみるのも価値ある時の過ごし方かもしれません。

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