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青い瞳と厚い唇〜“イケメン”ブラームスの肖像

青い瞳と厚い唇〜“イケメン”ブラームスの肖像

文・飯田有抄

 学校の音楽室にずらりと並ぶ作曲家たちの肖像画を覚えているだろうか。バッハやモーツァルトやベートーヴェンそしてシューベルトの「あの顔」を思い出せる有名な絵がある。ブラームスの顔はどうだろう。すぐ思い浮かぶとすれば、端正な顔立ちのやや内気そうな青年の顔か、それとも髭をたくわえた恰幅のいい中年男の顔か。ブラームスの肖像といえば、そのどちらかになるだろうが、双方のギャップはけっこう大きい。言われなければ同一人物とは思えないくらいだ。


(左)20歳頃のヨハネス・ブラームス、(右)50代のヨハネス・ブラームス

 そう、若いころのブラームスは“イケメン”である。若き日の肖像画はどれも、長めの髪を後ろに撫で付け、デリケイトな眼差しで遠くを見つめている。けっこう母性本能をくすぐるタイプだったのではないだろうか。実際ブラームスは控え目で内向的な青年だった。故郷ハンブルクでは、貧しい家庭を支えるために、まだ10代だというのに夜な夜なダンスホールのピアノ弾きをやっていた。繊細な音楽性を持ちながら、決して健全ではない夜の仕事を重ねた彼は、やがて心身に不調をきたしてしまった。そうした日々は、少なからず彼の人格形成にも影響を与えただろう。当時の不安がそのまま瞳の奥に宿ってしまったのだろうか。どこか憂いを帯びたその瞳は、青い色をしていたという。
 その才能を正しく“発見”し、音楽界デビューへと導いてくれたのはロベルト・シューマンであった。デュッセルドルフのシューマン邸に二十歳のブラームスが不安そうな面持ちでやってきた時の様子を、シューマンの弟子で、のちにブラームスのよき友人となったアルベルト・ディートリヒは次のように記している。
「この若き音楽家の風貌は独特だった。地味なグレーの夏用ジャケットを着こみ、金髪を長く伸ばし、かん高い声で話す。そして引き締まった口元と深みのある青い目が、とりわけ印象的だった」
 かん高い声! ブラームスの重厚な音楽からすると、やや意外な感じもするが、本人も違和感を感じていたのか、その声を隠そうと、わざとガラガラ声を出してしゃべって、ディートリヒをイラつかせたこともあったようだ。しかし、「青い目はキラキラ輝き、“天才”がはっきりと顔に表れている」とディートリヒは認めていた。
 クララ・シューマンの弟子フローレンス・メイは、38歳の時のブラームスを「まさしく男盛りだった」と述べている。
「身長はやや低めで体格はがっしり。しかし後年特徴になる、肥満の傾向はまったく見られなかった。ドイツ人らしいブロンドを、こめかみから後ろへなでつけ、髭はきれいに剃っていた」と伝え、顔で目立っていたのは「頭脳の明晰さを表す青い瞳」であり、「厚めの下唇」は肖像画のベートーヴェンを連想させたという。



左から若い頃のヨハネス・ブラームス、クララ・シューマン、ロベルト・シューマン


 恩師シューマンが精神を病み、ライン川に投身する事件を起こして倒れてからというもの、ブラームスはクララと子供たちを献身的にサポートし続けた。シューマンのおかげで自分の楽譜の出版が実現し、楽壇での活躍もいよいよこれからという重要なタイミングで、彼は若き日々をシューマン家に捧げ尽くした。一流ピアニストであるクララへの敬愛は、やがて情熱的なものへと膨らみ、時折抑えきれない感情が爆発しそうになった。穏やかな彼が、クララや子供たちの前で時に不機嫌に振る舞い、クララを傷つけるほど粗暴な言動に出ることもあったようだ。だが、根底にある深い愛情と尊敬は、クララにも子供たちにも伝わっていた。後年、シューマン家の四女オイゲーニエは、「君たちのお母さんはね…」とクララについて愛情をもって語る優しいブラームスのことを、子どもたちはみんな大好きだったと語っている。「その青い目には、純粋さと穏やかさが表れていた。若々しく男らしい、生粋のドイツ人ブラームスが好きだった」と。

 ところで、後年の恰幅のよいブラームスへと変貌していく過渡期は、おそらく40代に訪れたのではないだろうか。歌手のジョージ・ヘンシェルによれば、41歳のブラームスは「広い胸板の持ち主で身長は低め、太り気味だった」という。髪は金髪ではなく茶色がかった直毛だったというが、この頃はまだ髭はきれいに剃られていた。そして変わらぬ温厚な人柄は「厚い下唇」に表れていたと伝えている。

参考文献:「ブラームス回想録集1:ヨハネス・ブラームスの思い出」「ブラームス回想録集3:ブラームスと私」(天崎浩二、関根裕子 訳、音楽之友社)



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