JOURNAL

20th Anniversary Special Talk

対談 vol.10 リッカルド・ムーティ(指揮)×鈴木幸一

東京・春・音楽祭実行委員長、鈴木幸一による対談シリーズ。最終回となる10人目のゲストはイタリアが誇る巨匠リッカルド・ムーティです。2006年に東京春祭の前身である「東京のオペラの森」でヴェルディの《レクイエム》を指揮して以来、音楽祭には欠かせない大きな存在となっています。対談は2024年4月のオペラ公演、ヴェルディ《アイーダ》のリハーサル期間中に行いました。マエストロは時折ペンを取り、直筆のメッセージをしたためながら、音楽への情熱を語ってくださいました。

©平舘 平/リッカルド・ムーティによる《仮面舞踏会》作品解説(2023年撮影)

「音楽は私たちを美しい調和へ導いてくれる」

リッカルド・ムーティ(以下ムーティ) まず、(ペンを持ちながら)鈴木さんへのメッセージをここに記します。 「親愛なるお友達の鈴木さん。あなたを心から尊敬しています。あなたの音楽文化への貢献、そして非常に大きなお仕事をなさっていることに対して、私は心から感謝しています。」

鈴木幸一(以下鈴木) 過分なお言葉、お恥ずかしい限りです。

ムーティ 今年は東京・春・音楽祭20周年の記念の年です。これはとても大事なことだと思います。この20年もの間、コンサート、オペラ、アカデミーを開催し、重要なアーティストを招いてこられました。そして日本の皆さんに対して音楽文化を紹介してこられました。これほど長い間続けられたのは、これをやりたいという強い意思と情熱、そして音楽文化に対する深い愛情を持っているということの証です。これらすべてをお持ちだったのが唯一、この鈴木さんだということです。
東京春祭は20周年を迎えましたが、今、世界中が大変悲劇的な状態にあると言っても過言ではないと思います。簡単に悲劇的と言いますが、これは私たちにとって明日をも知れないというぐらい本当に切羽詰まった状況にあります。現代はハーモニー、つまり調和がどの世界においても必要な時だと考えます。
そういう意味で申しますと、音楽はハーモニーが重要です。人間の気持ちの奥深いところに触れることができるのは、やはり音楽のハーモニーなのだと思います。ハーモニーは社会の調和にも必要ですし、社会の調和を助けてくれてものでもあります。
イタリア語で「美」という意味の「bellezza」、私はこのbを大文字にして「Bellezza」と強調したいほど、音楽は私たちを美しい調和へ導いてくれると私は信じています。誰もがこの調和を持つということが大事だと思います。
だから、 鈴木さんのやっていらっしゃる仕事は、音楽文化のために貢献されているばかりではなく、人間に対して平和や兄弟愛のような関係を築くための源になっている。それほど大切な仕事をされていると思います。
今年は、ベートーヴェンの交響曲第9番も初演から200年という記念の年です。シラーの詩「歓喜に寄す」には、世界中の人々がともに腕を組んで、抱擁をし、兄弟のように愛し合おうということが書かれています。「第九」はウィーンで1824年5月7日に初演されましたが、200年記念祭として私は5月4~7日にウィーン・フィルによる「第九」公演を指揮することになりました。非常に光栄なことでうれしいことですが、今年20周年という東京春祭にもお招きいただき、ここで演奏できることを心からうれしく思っています。音楽家として、また一人の人間として、私は心から鈴木さんにお礼を申し上げたい。今までなさってきたこと、今なさっていること、そしてこれから先になさるであろうことに、心から感謝の気持ちを表したいと思います。
鈴木さんに質問ですが、この音楽祭はこの先も続けていかれますよね?

鈴木 そうですね。大袈裟な言葉ですが、私が生きている限り。
なんとか音楽祭を始めて、2年目の2006年、初めてムーティさんに来日していただき、ヴェルディの《レクイエム》を指揮していただきました。リハーサルや演奏会の後、3日ほど、続けて食事もご一緒しました。その時に、私は「全く音楽業界を知らないのですが、音楽祭にとって、最も大切なことは何ですか」と尋ねました。そうしたら「一番難しくて大切なことは、続けることですよ」と、マエストロの答えは明快でした。私はその言葉に忠実に従って、ここまでやって来たというか、続けることができた。もう一つ、ムーティさんは、調和という言葉を使われますが、ムーティさんのおっしゃる調和というのは、厳しい緊張感があって、初めて、「美しい調和」となるわけで、だらしなくやっていても美しくはないですよね。

ムーティ 厳密なものがベースにあって、調和は生まれるのだと思います。この世の中の全ては調和で成り立っています。それがなかったら大惨事が起きます。
鈴木さんが音楽祭の意義にちょっと疑いを持ったような時、私はとにかく続けることが大事だと申し上げました。なぜそう申しあげたかというと、鈴木さんと付き合ってみて分かったことは、あなたは知性の高い方であると同時に、 非常に繊細な心を持っているということが分かったからです。強い意志を持っていらっしゃるけれども、とても繊細な方なのだと。音楽祭を続けていくということは、本当に戦いだと思います。音楽への希望、そしてハーモニー。これら全てをまとめ、続けていくためには力も必要です。本当だったら、政治家がこういう気持ちで国をまとめてくれれば良いのですが。

鈴木 政治がかかわると、調和が崩れてしまうかな。

ムーティ それもよくわかります。
古代ローマ時代の南イタリアの詩人、ホラティウスの良い言葉があります。この言葉は鈴木さんのためにきっと役に立つと思うので、ラテン語で記しておきます。
Nihil sine magnō vīta labōre dedit mortālibus.」(※人生は、人間に大いなる苦労なしには何も与えない)
何かをやろうと一生懸命努力した者でない限り、何も与えられない。大きな仕事に対して自分がこれをやるのだという意思がない限りは、人生に何も与えられない 。これは、鈴木さんに当てはまる言葉だと私は思います。

鈴木 過大なお言葉です。

©平舘 平/リッカルド・ムーティ指揮《仮面舞踏会》(2023年撮影)

聴衆は魂のこもった音を求めている

ムーティ 昨今は誰もがすべてを簡単に済ませようとする社会になってきています。若者が目的に向かって邁進するかというと、そうではない若者が多すぎます。コミュニケーションもどんどん失われています。レストランのテーブルで席に着いていながら、家族もそれぞれがスマートフォンを見て、会話がないような世の中になってしまいました。しかし、音楽会に2000人の聴衆が集まれば、2000人が一つの気持ちになって音楽を聴きます。
今、一つ懸念があります。東京文化会館が大規模改修で長期間閉館するかもしれないと聞きました。そして、神奈川県民ホールも。日本の中央で同時に劇場が閉まるということはその期間、音楽文化に接する機会が若者たちから奪われてしまうことになります。私は日本を非常に尊敬していますが、この国にとってこれは重大な間違いだと思います。
だから、鈴木さんのような方が戦いを続けてくださっているっていうことに、私は感謝したいと思います。

鈴木 私は、演奏会に行き、音楽を聴くことが日常になっています。

ムーティ 私たち音楽家は、職業として演奏しているわけではないのですね。ミッション、つまり使命としてやらなくてはいけないことだと思っています。
私がイタリアで設立した若い音楽家たちによるオーケストラ「ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団」で、私は彼らにいつもこう言っています。劇場にやって来るお客様はただ美しい音を聴くためじゃない、魂のこもった音を求めているのだと。だから、習慣として演奏するということは、音楽をやるうえで最も大きな敵だと思います。
昨日の《アイーダ》の稽古中のことですが、ヴァイオリン奏者たちがとてもきれいな音を出しました。「あなたたちの音は素晴らしい。美しい。だけど空っぽだ」と私は言いました。音に魂が宿っていなかければ美ではありません。

鈴木 ムーティさんの稽古を見ているとね、若い演奏家が本当に育っていると感じます。それはなぜかというと、ムーティさんの言葉でいえば、「魂が籠もっているかどうか」ですね。普段、日本にいると、あの緊張感を経験できることはない。

ムーティ 私は、日本人の胸の内がどういうものか少しずつ分かってきました。日本人は感情を内面に留めておくことが多いですよね。表に出さない、発散しない。それはそれで素晴らしいことだと思います。感情をすぐに表現しないのは、冷淡さではないということも分かってきました。
私は若い人たちに、例えばヴェルディであれば、地中海的な感情を理解してもらいたいし、表現してもらいたいし、そういう感情を持って演奏してもらいたいと思います。自分の内に感情を留めるのではなくて、それが音になって出てくるようであってほしい。
鈴木さんは若い人たちのために大きな心を持って、音楽の扉を開けてくださっています。私には、中世の時代に「templari」と呼ばれた神殿の見張り役の騎士たちの姿と重なって見えます。

鈴木 ムーティさんは実際に教えながら若い人たちを変えるばかりでなく、聴衆も変えています。これはすごいことだと思います。私みたいに音楽をあまり知らない人間に対しても、ムーティさんがおっしゃったことは音楽から伝わってきますよ。

ムーティ 鈴木さんは、もう音楽家よりももっと音楽を心に持っていらっしゃるじゃないですか。特に音楽評論家よりも。音楽を理解する素晴らしい心を持っていると思います。

鈴木 やっぱり、私はムーティさんのリハーサルの場にいる機会が多いので、それが伝わってくるのですよ。

ムーティ それは、鈴木さんに何かを学ぼうとする気持ちがいつもおありになるから。
私はよく知っていますよ、あなたがワグネリアンだっていうことを。ところがこのところヴェルディアーナにもなってきたじゃありませんか。

鈴木 最近は、ヴェルディを聴く機会があると、ムーティさんはこうやっていたのに…ということがいつも頭に浮かんで比べちゃう。そうするとなかなか楽しめなくなってしまうのですよね。

イタリア・オペラの教育、60年に及ぶ戦い

ムーティ 今回の《アイーダ》は、今まで東京春祭でやってきた中でも一番興味深い仕事ができました。東京春祭オーケストラや合唱団の理解はどんどん深まっていると思います。
《アイーダ》というと100頭もの象が登場したり、200人ものエキストラが出たりする壮大な見世物のように捉えている人が多いと思うのですね。第2幕の「凱旋の場」が最高だと思っている人が多いと思いますが、なぜ「凱旋の場」が作られたかというと、それはスエズ運河が開通したことへのお祝いの気持ちもあったからでしょう。ですが、この作品は室内楽の要素が強いオペラです。オーケストラも重厚というよりも、モーツァルトやシューベルトに近い。「凱旋の場」を除けば、2人か3人の対話で成り立っている作品なんですよね。ヴェルディの中でも特に洗練された作品と言っていいと思います。
以前この作品をピラミッドのそばで上演しようという話がありましたが、私は大きな間違いだと思います。ヴェルディは一度もエジプトへ行ったことがありません。《アイーダ》で描かれているのは、二つの民族の違い、二つの文明の違い、二つの文化の違い。アイーダはエチオピア人で、アムネリスはエジプト人です。2人の間で愛をめぐって敵対する心、ライバル意識とでも言いましょうか、これはとても内面的な作品なのです。
私はイタリアの偉大な演出家ジョルジョ・ストレーレル(1921~1997)と一緒に《アイーダ》の上演に向けて準備をしたことがあります。ところが、彼はそれを完成させる前に亡くなってしまったので、実現はしなかった。彼は「凱旋は音楽に書かれている」と言っていました。「凱旋の場」に象やラクダはいらないのだと。
今回若い音楽家たち、オーケストラも合唱団も、《アイーダ》がデリケートな作品だということをすぐに理解してくれたと私は確信しています。

鈴木 私もそう感じました。

ムーティ 日本にとっても今回の《アイーダ》の演奏は素晴らしい機会になると私は思っています。 だから本当にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。

鈴木 リハーサルの場にいるだけで、今おっしゃっていたことがよく分かりました。本当に素晴らしいです。

ムーティ 世界中でイタリア・オペラというと、大きな声でもって叫ぶようなイメージがあるでしょう。モーツァルトとかR.シュトラウスとかワーグナーのオペラの演奏では、作曲家に対する尊敬の念が失われていないのに。しかし残念なことにイタリア・オペラというと、いまだ歌手たちのショーのような観点から見られてしまいます。
私は60年もの間、この大変な戦いに挑んでいます。イタリア・オペラはそうじゃない! ワーグナーのオペラで超高音を待ち望む聴衆がいるかと言えば、誰もいないじゃありませんか。ところがヴェルディというと高音をどうやって出すか、と注目されてしまう。ヴェルディは一度として超高音なんて書いていないわけです。だからお願いですから、日本の人たちにもイタリア・オペラの教育をすることを助けてください。

鈴木 ムーティさんのリハーサルに、多くの人が立ち会えるといいですね。

ムーティ ゲネプロをオープンにできたらいいですね。みんなとてもよくやっていますから。

鈴木 演奏家を志す人にね、ぜひ見ていただきたい。

ムーティ 若い人たちって、まだまだ変わる可能性がありますから。だけど、正しい教育法で変えていってあげないと、取り返しがつかなくなってしまいます。

鈴木 高齢者の私だって変わりますよ。

ムーティ あなたは若いじゃないですか。私より若いんですよ。

©増田雄介/リッカルド・ムーティ指揮《仮面舞踏会》作品解説(2023年撮影)

「ムーティさんと出会ったから音楽祭を続けられた」

鈴木 音楽祭の20周年の話に戻るとね本当にムーティさんに会わなかったら、もうやめていたような気がします。

ムーティ 本当ですか? 何かに絶望したの?

鈴木 色々ありましたよ。僕は音楽の世界なんて知らなかったから。でも、ムーティさんに怒られるけど、二つの理由で音楽祭を続けてきました。一つはムーティさんと出会ったこと。もう一つはワーグナーを聴きたかったこと。

ムーティ 私が指揮したワーグナー《ワルキューレ》は聴いたことがありますか?

鈴木 ありません。

ムーティ 今、ミラノ・スカラ座のチャンネル(LaScalaTv)で私が指揮をした1994年の《ワルキューレ》が配信されていますよ。

鈴木 イタリアの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867~1957)もたくさんワーグナーを指揮していますね。

ムーティ 彼らは本当にワーグナーの指揮をたくさんしています。ワーグナー自身はイタリアで、イタリア語で演奏されることを好みました。イタリア語はメロディーに乗りやすい音楽的な言語なので、あの時代にそれをとても楽しんでいたそうです。
ワーグナーは南イタリアのアマルフィ海岸に近いラヴェッロという町で《パルジファル》を書きました。ラヴェッロには第2幕の「クリングゾルの庭」を着想したと言われている美しい庭園があります。ワーグナーファンなら絶対に行くべきですよ。

鈴木 一度ムーティさんと食事をしている時に、「《パルジファル》の第2幕なら振ってもいいよ」と口にしたことがありましたよね。いつか東京で……。

ムーティ もし生きていればね。イタリアの偉大な指揮者たちのワーグナーの演奏は素晴らしいですよ。ザルツブルク音楽祭でのトスカニーニの《ニュルンベルクのマイスタージンガー》や、ヴィクトル・デ・サバタ(1892~1967)がバイロイト音楽祭で振った《トリスタンとイゾルデ》はいまだに語り草になっています。イタリア人は歌心がありますから。ワーグナー自身も、国が違えばその母国語で歌っていい、それで内容がわかるじゃないかと言っている。

鈴木 彼はイタリア好きだったのね。

ムーティ ヴェネチアで亡くなったぐらいだから。イタリアの魅力に取り付かれていたんですよ。

©増田雄介/リッカルド・ムーティ指揮《仮面舞踏会》作品解説(2023年撮影)

「鈴木さんにはまだ大きな宿題が残されていますよ」

鈴木 ムーティさんが2015年からイタリア・ラヴェンナで始めた次世代の音楽家のための教育プロジェクト「イタリア・オペラ・アカデミー」を、2019年からは東京春祭でも始めました。ムーティさんが体現している音楽を、緊張感も含めてこのアカデミーで若い人たちに教えていくと、日本の音楽界もオーケストラも変わっていくかもしれません。

ムーティ 今回の《アイーダ》、本当に素晴らしい演奏ですよ。アカデミーのおかげで、ヴェルディのスタイルをみんなが身につけてきたのではないかと思えたぐらい、本当に素晴らしい。コーラスもいい。
だから、日本の人たちは自分たちがこの先どれほどの可能性を持っているか、もっと自信を持つべきだと私は思います。 そして、ヨーロッパの偽物を信じたりすることはやめた方がいいと思います。もちろんヨーロッパから来る素晴らしい音楽家はたくさんいますよ。ですが、ただ日本に演奏旅行に来るのを楽しんでいる人たちだっています。今の日本は、ヨーロッパの人たちが征服する土地というようなものではありません。日本人が自分たちの力で独立し、良い音楽を作っていく、そういう時が来ていると思います。ヴェルディ、プッチーニ、ロッシーニ……、自信を持って演奏することができると信じて勉強していくべきです。

鈴木 でもね、ムーティさんみたいな人がいないと、本当に勉強をしたい演奏家も困るし、聴く側も緊張感のある感動をする機会が消えてしまう。

ムーティ 大丈夫。ただね、誰もかれも信じてはいけませんよ。大事なことは、本当に良い人を選ぶということです。私はこれからキャリアを作る人ではなくて、もう終盤だから色々なことが言えるのですよ。経験も随分積んできましたから。
私が最初に日本に来たのは1975年でした。ウィーン・フィルと来日しました。 来年2025年で50周年になります。だから、この50年間で日本の音楽界がどういう風に変わってきたのかこの目で見てきたと思います。素晴らしい進歩をしています。世界に影響を与えるような人たちも出てきました。だけど、無駄にお金を捨ててしまうような団体を日本へ呼んでいるのも見てきました。
だから、自分たちの力を信じて日本でできること、これから先に進んでいくことが大事だと思います。ですから、鈴木さんにはまだ大きな宿題が残されていますよ。

鈴木 ムーティさんにはこれからも力を貸していただいて、もっと具体的に色々と実現していただきたいです。

取材・文:出水奈美

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