JOURNAL

20th Anniversary Special Talk

対談 vol.4:セバスティアン・ヴァイグレ(指揮)×鈴木幸一

東京・春・音楽祭実行委員長、鈴木幸一の対談シリーズ。第4回のゲストは指揮者セバスティアン・ヴァイグレです。2019年から読売日本交響楽団の第10代常任指揮者を務め、2024年の東京春祭では読響を率いてR.シュトラウスのオペラ《エレクトラ》を演奏します。世界の歌劇場や音楽祭をよく知るヴァイグレと、これからのオペラや音楽祭の理想形について語り合います。

 

演奏会形式でオペラを上演する強みとは

セバスティアン・ヴァイグレ(以下ヴァイグレ) まずは東京・春・音楽祭20周年、おめでとうございます。私も東京春祭に参加させていただくことができて光栄です。

鈴木幸一(以下鈴木) ヴァイグレさんは2013年の東京春祭ワーグナー・シリーズvol.4《ニュルンベルクのマイスタージンガー》でNHK交響楽団を指揮していただきました。果たしてあの長いオペラを演奏会形式でお客さんが最後まで見てくれるのか、僕は心配だったんですよ。でも素晴らしかった。ヴァイグレさんが2007年にバイロイト音楽祭にデビューされた際の演目も《マイスタージンガー》でしたね。

ヴァイグレ あれから随分と時間が経ちました。東京春祭はとても楽しかった記憶があります。確かにお客さまがあの長いオペラを耐え抜いて、最後まで聴いてくださったということは称賛に値しますね。舞台の後方にはストーリーに合った映像が投影されていて、物語の時代を想起させるような雰囲気を醸し出していました。お客さまも世界観に入りやすいだろうと思いました。熱狂的なワーグナーのファン、いわゆるワグネリアンではない方にとっても、映像は時代背景の理解を深めていただくために有効な手段だと感じました。



©︎青柳 聡/東京・春・音楽祭2013 ヴァイグレ氏が東京春祭に初登場した2013年のワーグナー・シリーズ《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、共演はNHK交響楽団。

©青柳 聡/東京・春・音楽祭2013 公演時には背景に映像が投影された。


鈴木 「ワーグナーの演奏会形式の公演に映像は必要ない」という考えの指揮者もいらっしゃいまして、それもまた一つの意見ですので、今は映像なしで上演しています。

ヴァイグレ なるほど。それはそれでいいと思います。私自身も映像は必要ありません。現在のオペラ演出は、作品が描かれた時代とは全く違う解釈で上演するということが非常に顕著になっています。作曲家が想像していたものとは違う舞台が出来上がるということが起きています。そういう意味で演奏会形式の強みは大きいと思います。

鈴木 僕は毎年のようにバイロイト音楽祭へ行きますが、音楽は良いのですが舞台を見ると疲れることが多いので、最近は目をつぶって聴いています。音楽祭の総監督、カタリーナ・ワーグナーさんは友人だから申し訳ないのだけれど。

ヴァイグレ それも一つの方法ですね。私はオペラをご覧になる方々に申し上げることがあります。もしも目に入ってきたものが気に入らなかったら、ただ目を閉じて、音楽や素晴らしい歌い手たちの声を楽しんでください。そして自分の頭の中でその場面を描いてくださいと。そのためには素晴らしい音響が必要なのですが、バイロイト祝祭劇場の音響は非常に良いのでそのように薦めています。

鈴木 僕もあの音響に魅せられてバイロイトへ通っています。

ヴァイグレ お客さまの中には、ワーグナーの作品がどのような現代的演出で上演されるのかを楽しみにしている方もいらっしゃると思います。ですが、私自身はバイロイトでは素晴らしい音楽と歌い手の方たちの声が非常に楽しみです。バイロイト祝祭劇場はオーケストラピットにふたをかぶせたような特殊な構造が知られていますが、指揮者が登場しても拍手はありません。《ラインの黄金》を例にとると、まず客席が暗くなり、静かに音楽が始まり、木造の劇場全体が共鳴してだんだんと床が細かく揺れ動くバイブレーションを感じながら主題がどんどんつながっていく……その感覚が本当に素晴らしいです。


©読売日本交響楽団/2023年10月22日に東京芸術劇場で開催された、読売日本交響楽団 第261回日曜マチネーシリーズの公演写真。終演後、柔らかな表情を浮かべて楽団員に拍手を贈るマエストロ


「読響とは良い関係を築いています」

鈴木 僕は読響を1962年の創設間もない頃から聴いていて、ベルギーの指揮者アンドレ・ヴァンデルノート(1927~1991)が振っていたことも覚えています。昨日の読響のコンサート(2023年10月22日、第261回日曜マチネーシリーズ)はヴァイグレさんの指揮でしたが、素晴らしかった。読響はどんどん良くなっていますね。

ヴァイグレ そう言っていただけるとうれしいです。読響の楽団員は、好奇心旺盛で新しいことを試したいという気持ちが強い。それに熱心で情熱があります。私がリハーサル中に何か言った時も笑顔を返してくれます。オーケストラの奏者が、特に日本では、指揮者に対して笑顔を返してくれるということは、決して当たり前のことではありません。読響とは非常に良い関係を築けていると思います。

鈴木 僕たちの音楽祭は2005年、R.シュトラウスの歌劇《エレクトラ》で始まりましたが、その《エレクトラ》を東京春祭20周年でヴァイグレさんと読響の演奏で聴けるのはとてもうれしいです。



©︎読売日本交響楽団/リハーサル時、東京春祭とも縁の深い長原幸太さんと譜面を確認している一コマ。

©池上直哉/2005年上演時のパンフレットを手にし、その豪華歌手陣に驚きのヴァイグレさん。


ヴァイグレ 2022年に読響で《エレクトラ》の公演を企画していましたが、パンデミックの影響で残念ながら中止になりました。今回はその時に予定していた素晴らしいキャストで臨みます。私は《エレクトラ》を何度も振っていますが、今一番エレクトラ役にふさわしいのは今回歌っていただくエレーナ・パンクラトヴァさんだと思います。クリソテミス役のアリソン・オークスさんはオーラがあり、輝くようなソプラノです。この2人の協演は役柄的に非常に合うのではないでしょうか。オレスト役のルネ・パーペさんは、私がホルン奏者としてオーケストラピットで演奏していた頃からの友人です。パーペさんのドイツ語のディクション(歌唱発音)はとにかく素晴らしい。できることならば他のドイツ人の歌い手も、そういうディクションで歌ってくれればと思うぐらいです。

鈴木 クリテムネストラ役の藤村実穂子さんは、2011年の東京春祭で《第九》のソリストとして出演していただきました。ズービン・メータさんの指揮で東日本大震災直後の被災者支援チャリティー・コンサートでしたが、藤村さんは感極まって涙を流していました。感情豊かな方ですね。

ヴァイグレ 私はバイロイトで初めて藤村さんの歌声を聴きましたが、日本人の歌い手が素晴らしいドイツ語でこれだけの感情を持って歌うのか、と非常に驚いたものです。


©青柳 聡/東京・春・音楽祭2011 ズービン・メータ指揮/NHK交響楽団 特別演奏会 公演写真。黙祷を捧げ、上演しました。


「ヴァイグレさんと東京春祭で新しい試みができれば」

鈴木 ヴァイグレさんは2008年から2023年までの長きにわたり、ドイツ・フランクフルト歌劇場の音楽総監督を務められました。僕はよくCDを聴いていましたが、レパートリーが幅広く、現代のオペラを意欲的に取り上げている印象を持っていました。僕らは劇場を持っていないけれど、何か新しい試みをヴァイグレさんと一緒に出来ないか、そんなことを思っています。

ヴァイグレ ありがとうございます。とても光栄に思います。私はフランクフルト歌劇場時代に、確かに現代音楽と言われるものを数多く指揮していました。もちろん、ワーグナーもロマン派のオペラも指揮をしています。それらがCDとして残っているのはありがたい限りです。
ワーグナーのオペラ作品は全部で13作品ありますが、初期の《妖精》《恋愛禁制》《リエンツィ》を含め全てを振ったことがある指揮者は、それほど多くはいないだろうと自負しています。《リエンツィ》は演奏会形式だとちょっと短縮する必要があるかと思いますが、私はとてもいいバージョンを持っていて、フランクフルト、ブダペスト、バルセロナで上演しました。《妖精》《恋愛禁制》については、まだロッシーニやドニゼッティの影響が感じられるような作風ですが、非常に面白い作品ですね。

鈴木 いつか東京春祭で取り上げたいと思っているのは、《三文オペラ》で知られるユダヤ人作曲家クルト・ヴァイル(1900~1950)。ナチス・ドイツから逃れて亡命する前、まだドイツにいた頃の初期の作品などは、日本ではほとんど聴く機会がありません。

ヴァイグレ それは残念ですね。クルト・ヴァイルは素晴らしい交響曲もありますし、《ロシア皇帝は写真を撮らせ給う》は短いオペラですが、ちょっとした演出を入れて上演しても面白いと思います。

鈴木 僕は、経済界ではアヴァンギャルドだと思われていて、本業のインターネットではいつも新しいことをやってきました。IIJ(インターネットイニシアティブ)という会社は1992年に創業した、インターネットの世界では2番目に歴史の古い会社です。
一方、東京春祭は20周年を迎えますが、こちらはあまり新しいことに踏み出せていないと思っています。音楽は完成度が高い芸術です。素晴らしい時代があり、素晴らしい作曲家がいて、1900年頃に最後の隆盛期があった。その後は作曲家に自由がなくなったような気がしています。ここまで到達した芸術は、これからどうあるべきなのか。とても難しいのだけれど、人との新しい繋がり方ができるといいなと思う。それが、僕の音楽祭の考え方です。

ヴァイグレ 自由という言葉が出ましたが、現代の作曲家は自由度が減っていると思います。自分らしい、何か新しいことをやろうと思っても、必ず比較対象があって、この部分は誰々が書いた音楽に似ているなどと言われてしまいますね。


音楽のジャンルを超えたつながりを

鈴木 僕は専門家じゃないけれど、バロック音楽を代表するフランスの作曲家ジャン=フィリップ・ラモー(1683~1764)の面白さなんて、当時も相当な知識がないとわからなかったと思う。ベートーヴェン(1770~1827)が大衆に向けた作品を発表するようになって、今はその延長線上にあります。だけど、ああいう天才は滅多に出ないからね。ショスタコーヴィチ(1906~1975)で終わっちゃったかもしれない。ラモーの時代には貴族が教養を身につけて音楽を楽しめていたかもしれないけれど、今はそんな時間のゆとりも知識もない。
現代の音楽家は、19世紀前後にせっかく大衆も楽しめるようになった音楽を、専門家の中に閉じ込めて逃げちゃっているようにも見えます。特殊な訓練を受けた専門家たちだけがとてつもない知識を持っていて、その面白さは他の世界の人たちには伝わらない。現代音楽は今、そういうことになっているんじゃないかと思う。そういう意味で、音楽のジャンルを超えてつながっていけないかなあと思うんですよ。

ヴァイグレ ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)が今、非常にオープンになってきましたよね。現代の作曲家に対して、社会的なテーマ、例えば人種差別や奴隷制度などを題材にした作品を依頼しています。こうしたテーマに、現代の作曲家は映画音楽的な要素、ダンス音楽的な要素、ジャズ的な要素などを織り込んで、15分ごとにお客さまの誰かが「自分に向けられた音楽」だと思えるような作品を書いています。それでMETは成功を収めていると思います。

鈴木 実は先日、METのピーター・ゲルブ総裁のお招きで、アメリカ人作曲家ジェイク・ヘギー(1961年生まれ)による《デッドマン・ウォーキング》を見ました。これは映画で有名になったノンフィクション小説を基にしたオペラです。指揮はヤニック・ネゼ=セガン。音楽もきれいでした。シンプルな舞台ですが、ゾッとするような衝撃的な演出もあり、僕らが昔から見ているようなオペラの感動とか気持ち良さはあまりない。でもお客さんは満員で、終演後はスタンディングオーベーションでした。僕の隣に座っていた女性からも「素晴らしかったですね」と話しかけられ、聴衆の熱気に驚きました。そういう意味でMETはすごいと思う。日本ではあれをクラシック音楽とは認めないかもしれませんけれど。

ヴァイグレ 私も《デッドマン・ウォーキング》の初演の頃にアメリカで見たことがあります。METの演出とは違うかもしれませんが、終わった時にはもう息ができないくらいに震えてしまいました。


©︎池上直哉/終始身振り手振りを交えながら、其々の想いを話すヴァイグレさんと鈴木。


鈴木 METはパンデミックで2020年3月から1年半も劇場を閉鎖して、再開後も以前のようにはお客さんが戻っていない。ゲルブ総裁も大変だと言っていました。しかし、今回のような現代作品を上演して、METのお客さんの受けが良かったということは、従来とはちょっと違う客層も取り込めているのかもしれない。

ヴァイグレ きっと新しい客層を開拓しようとしているのだと思います。

鈴木 東京春祭もここまで続けてきたので、そういうジャンルを超えた作品、新しい試みをヴァイグレさんと一緒にやりたいと思っています。オペラもこれまでのやり方からはみ出していかないと、今後は難しい面もあると思う。

ヴァイグレ 素晴らしい考えですね。私たちの考えている方向性は一致していると思います。

鈴木 ヴァイグレさんからさまざまな提案をいただいて、ディスカッションを重ね、何か一緒にできればうれしいです。僕がいる間に東京春祭で新しい挑戦をしたいと思っています。


©︎池上直哉/対談後のヴァイグレさんと鈴木


取材・文:出水奈美
セバスティアン・ヴァイグレ Sebastian Weigle

1961年ベルリン生まれ。82年にベルリン国立歌劇場管弦楽団の首席ホルン奏者となった後、巨匠バレンボイムの勧めで指揮者へ転身。2003年には、ドイツのオペラ雑誌「オーパンヴェルト」の年間最優秀指揮者に選ばれ注目を浴びた。04年から09年までリセウ大劇場の音楽総監督を務め、評判を呼んだ。08年から今夏までフランクフルト歌劇場の音楽総監督を務めた。在任期間中に、同歌劇場管が「オーパンヴェルト」誌の年間最優秀オーケストラに、同歌劇場が年間最優秀歌劇場に度々輝くなど、その手腕は高く評価された。
読売日本交響楽団には16年8月に初登場し、19年から第10代常任指揮者を務めている。近年もメトロポリタン歌劇場でムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》を、バイエルン国立歌劇場でR.シュトラウス《影のない女》を指揮するなど、国際的な活躍を続ける。23年7月には、フランクフルト歌劇場で最後の公演としてルディ・シュテファン《最初の人類》を振り、大きな話題を呼んだ。これまでに、バイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭に出演したほか、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、英国ロイヤル・オペラなどに客演。ベルリン放送交響楽団、ウィーン交響楽団、フランクフルト放送交響楽団などの一流楽団とも共演を重ねている。コロナ禍には何度も隔離期間を経て、読響と充実した演奏を繰り広げ、ファンを魅了した。

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