JOURNAL
ハルサイジャーナル
対談 vol.2:長原幸太(ヴァイオリン) × 鈴木幸一
東京・春・音楽祭の創設者で実行委員長の鈴木幸一が、音楽祭ゆかりのアーティストや関係者と対談するシリーズ。第2回のゲストは、日本の若手演奏家で特別編成する「東京春祭オーケストラ」のコンサートマスター、長原幸太(読売日本交響楽団コンサートマスター)。東京春祭オーケストラは、巨匠リッカルド・ムーティが手がける「イタリア・オペラ・アカデミーin東京」の管弦楽を担当するほか、ムーティの指揮で交響曲を中心にしたコンサートを開催するなど、マエストロの信頼厚いオーケストラです。
ムーティと春祭オーケストラの幸福な出会い
長原幸太(以下長原) 僕と東京・春・音楽祭の出会いは2011年でした。「男ばかりで室内楽をやってみたい」とお願いして、「若き名手たちによる室内楽の極(きわみ)」というタイトルのコンサートでブラームスの弦楽六重奏曲2曲を演奏しました。1回きりかと思ったら「来年はどうしますか」と声をかけてもらって。それ以来、このシリーズはずっと続いています。
鈴木幸一(以下鈴木) 長原さんはリーダーシップがあり「親分」のような人ですね。初めに春祭オーケストラに参加してくれたのは2013年秋、ヴェルディ生誕200年記念でムーティが《ナブッコ》や《運命の力》などのオペラの序曲やアリアを演奏した「ムーティconducts ヴェルディ」でした。
長原 あの頃はまだオーケストラの呼吸もそろわないし、何よりマエストロが怖かった(笑)。でも、音楽家の卵たちにこんなにも懸命に教えてくれるのかと気づいてからは、怖いというよりも愛情深い人だという気持ちが強くなっていきました。
鈴木 僕はムーティと出会って間もない頃、3日連続で一緒に食事をしましたが、3日目に「あなたはヴェルディのレクイエムをどうしてあんなに明るく演奏をするのか」と聞きました。ムーティにそんなこと言う人は普通いないと思いますが。そうしたら「最後に明るさがないと救われない、ヴェルディはそれを分かっている人だ」と話してくれたのを覚えています。
長原 鈴木さんはいつも正直に思ったことを言いますよね。噓をつかない。だから、ムーティも、マレク・ヤノフスキも腹を割って話すんでしょうね。
鈴木 僕がね、音楽祭をやっていて、うれしかったことのひとつは、春祭オーケストラを作れたこと。ムーティも春祭オーケストラを気に入ってくれているし、ムーティと長原さんの信頼関係も素晴らしい。
長原 ムーティと春祭オケの関係性で、僕が転機になったと感じているのは2016年春。この年の春祭オケは、ムーティが地元イタリアで創設した若手奏者による「ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団」との合同演奏でした。イタリア人が多くいたためか、ムーティはイタリア語でリハーサルを始めました。このままでは日本人メンバーは理解できない、時間を無駄にしたくない。だから僕は思い切って「マエストロ、英語でお願いします」と切り出した。そうしたら周囲のイタリア人は「ムーティになんてこと言うんだ!」という空気になっちゃって。
©︎増田雄介/東京・春・音楽祭2023 「リッカルド・ムーティによる指揮《仮面舞踏会》作品解説」の1コマ。
鈴木 あの時は練習場にすごい緊張感があったね。
長原 結局、ムーティは英語に変えてくれました。ムーティがそうしてくれた以上、僕たちは一言も聞き逃してはいけないし、本当に真剣にやらないといけない。ピリッと引き締まった空気になりました。あの時のことは忘れられません。その年の夏には、ムーティが深く関わっているイタリアのラヴェンナ音楽祭に合同オケで出演しました。またラヴェンナ音楽祭には出たいですね。
鈴木 春祭オケは常に全員が集中してリハーサルに臨むから、ムーティはこのオーケストラが大好き。日本人の演奏家は素晴らしいと言ってくれるし、コンサートマスターもナンバーワンだと言う。たまに興奮して「ウィーン・フィルより良かった」とお世辞を言ってくれることもあります。
長原 うれしいです。
「ムーティの教えを日本の音楽界に浸透させたい」
鈴木 僕が忘れられない演奏は2021年4月、モーツァルトの交響曲第35番《ハフナー》と交響曲第41番《ジュピター》。新型コロナウイルスが急速に広がり、3回目の緊急事態宣言が出る数日前に開催できた演奏会でした。実に素晴らしい演奏でした。
長原 あの本番前、サウンドチェックを終えた舞台上でムーティがオーケストラのメンバーに「来年もみんなで会おう。同じメンバーで」とスピーチをしてくれたんですよ。ステージにいる人みんなが感動していました。
鈴木 春祭オケはメンバーを少しずつ変えながら、日本の才能ある若者に機会を与え、ムーティの考え方を浸透させるという発想でやっていますが、僕自身はムーティの指揮でメンバーがある程度固定化するのも賛成。メンバーが変わると演奏水準も空気も変わりますからね。
長原 僕は「ムーティ・ワクチン」と呼んでいますが、ムーティから受ける影響やムーティの考え方をどのように浸透させていくか、やり方は人それぞれです。例えばコンサートマスターの僕だったら、読響に戻った後で弦楽器の人たちにムーティの音楽づくりについて話をする機会も多い。管楽器のメンバーは、ムーティの素晴らしさはもちろん理解した上で、1人1人がソリストですし、その時々の指揮者の考えもあるので、常にムーティのやり方を演奏に取り入れられないかもしれない。でも、自分の生徒にレッスンなどで伝えてあげることもできる。
鈴木 ムーティのリハーサルは厳しいですね。楽譜に書かれた指示をおろそかにした歌い手には本当に厳しい。
長原 現場にいると、ムーティは子どもに熱心に教え込んでいるように見えることもあります。オーケストラへの指示も厳しいだけでなく、「もっとこうすればできるよ」というようなアドバイスをくれる。できるまでやらせるけれど、愛情にあふれている。あれを怖いと思うのであれば音楽をやめた方がいいって思う。普通リハーサルで指揮者が管楽器のプレーヤーにできるまでやらせようとすると、どんどんできなくなってしまうことが多いけれど、 ムーティの場合はできるようになる。そして最後には「失敗しても舞台では顔に出すなよ。大丈夫、気づかれないから」と言ってみんなをリラックスさせる。アメとムチの使い分けがうまい。僕はついにムーティのレッスンの模様を収めたDVDボックスを買いましたよ。
鈴木 ムーティは、本当は優しい人ですよ。そして音楽こそ我が命だという人。東京春祭のことはもう家族のように思ってくれているし、とても大切にしてくれる。やっぱり音楽家って、互いに尊敬し合って何かを創り上げる時の気持ちが素晴らしい。春祭オケは僕の誇りですよ。
ムーティの細かい要求にすべて対応できる春祭オーケストラ
長原 ムーティはオーケストラに細かい要求をした後に必ず彼自身も変わる。指揮者が振り方を変えないと、オーケストラも同じ音しか出せない。ムーティは言ったことには自分で責任を取ります。これができる指揮者はそういません。
鈴木 オペラ指揮者としても高名なフィリップ・オーギャンが春祭オケの練習を見に来てくれた時に「鈴木さん、このオーケストラを振りたい。ムーティの細かい要求に全部応えている。素晴らしい」と言ってくれたことがあって、僕は本当にうれしかった。オーギャンは本番も聴きに来てくれた。いい演奏ができて、お客さんが感動してくれると、ホールの空気まで特別なものになります。
長原 2022年のシューベルトの交響曲第8番《未完成》もすさまじい演奏でしたね。僕はムーティのせいで、2度と弾きたくない曲がどんどん増えるんですよ(笑)。あれ以上の演奏はできないと思うから。僕は、この先65歳までオーケストラで弾いたとしても、ムーティと演奏した《ジェピター》や《未完成》を超える本番が出来るのか……と考えてしまう。ムーティとの演奏を覚えているなら同じようにやればいいと思うけど、目の前に違う指揮者が立つと、やっぱりできない。
鈴木 あの《未完成》の本番前、「鈴木さんはどの楽章が好き?」とムーティに聞かれました。僕は「1楽章がいい」と答えましたが、演奏後にもう一度同じことを聞かれ「《未完成》の2楽章は祈りなんだ。あの2楽章の後には誰も曲を作れない」と自信たっぷりに言われました。「僕の演奏でその意味が理解できたでしょう」と。
ムーティをあそこまで本気にさせたのは長原さんたちですよ。ムーティは東京春祭のプログラム全体もよく見ていて、長原さんがずっと室内楽をやっているのも知っています。
長原 室内楽は、鈴木さんが「やりたいことをやってごらん」と言ってくれるので、ヒンデミットやコルンゴルトなど普段演奏する機会がない、思い切ったプログラムが組めます。本番は僕たちも熱が入っていましたが、鈴木さんが「ヒンデミットが良かった」と言ってくれて、そんな風に聴いててくれたんだと思うとうれしかったですね。
©︎平舘平/東京・春・音楽祭2022の開幕公演となった「リッカルド・ムーティ指揮 東京春祭オーケストラ」。
モーツァルト:交響曲 第39番、シューベルト:交響曲 第8番《未完成》/イタリア風序曲 を演奏した。
24年の春祭はヴァイグレ×読響《エレクトラ》のコンサートマスターとして
©︎飯田耕治/長原さんと鈴木。(2023年9月対談時撮影)
鈴木 読響には2024年、東京春祭20周年としてR・シュトラウスの《エレクトラ》を演奏していただきます。指揮は読響常任指揮者のセバスティアン・ヴァイグレ。
長原 はい。2022年にヴァイグレと読響で《エレクトラ》の演奏会を企画していましたが、パンデミックで中止になりました。24年の東京春祭は、僕は春祭オケをお休みして、読響の《エレクトラ》に出演させていただきます。
今、東京春祭に出たいという音楽家が世界中にいっぱいいます。いつも鈴木さんは「ムーティから、音楽祭は続けることが大事だよと言われたから続けてきた」って言うけれど、使命として音楽祭を続けてくださって20周年。本当にすごいと思います。
鈴木 これは僕の道楽だから。だけどね、いつか僕がいなくなった後に音楽祭が途切れるようなことになるのだけは嫌だ。
長原 日本各地にいろいろな音楽祭がありますが、だんだんと様変わりしている音楽祭もあります。その様子を見るのがつらくて、参加するのをやめようかと思うこともある。でも東京春祭はどんどん良い方向に発展していっています。ずっと続いてほしい。
鈴木 日本にはドネーション(寄付)の文化がありません。でも続けていく以外に、価値はないからね。世界の音楽祭に呼ばれるようなオーケストラを作りたいと思うし、実際に春祭オケは世界中の指揮者が指揮したくなるオーケストラになってきています。
最後に聞きたいんだけど、長原さんはこれからどんな人生にしたいと思っていますか。
長原 僕は東京春祭でムーティから、読響でメンバーやヴァイグレから、たくさんのことを学びました。それら全部をひっくるめて、オーケストラを定年になった後、地元の広島に持って帰りたい。広島は単なる観光地じゃなくて平和のシンボルの街です。広島は世界に知られた素晴らしい街なのに、オーケストラがあることは世界であまり知られていません。広島が文化的にもちゃんと復興しているという事を世界に知ってほしいのです。音楽が平和な世界を作るツールである事を世界中に再認識してもらいたいと思っています。僕はプレイング・マネージャーでもいいし、音楽監督という立場でもいいので、広島交響楽団を世界に知られるオーケストラにしたい。ムーティのリハーサルのDVDを買ったのも勉強のためです。ムーティと出会って、いい指揮者が来たらいいオーケストラができるとわかりました。今までの指揮者がどうというわけではなく、広島に良い指揮者が来てもらえる環境作りをしたい。今は東京で人脈を作って吸収できることは吸収して、いつか広島に帰りたいと思っています。
長原幸太 Kota Nagahara
1981年、広島県呉市に生まれる。東京藝術大学附属音楽高等学校を卒業後、同大学に進学。その間、全額スカラシップを受け、ジュリアード音楽院に留学。92/93年と連続して全日本学生音楽コンクール全国第1位。94年ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール17歳以下の部第3位。98年、日本音楽コンクール最年少優勝。