JOURNAL

東京春祭 歌曲シリーズ vol.48 クリストフ・プレガルディエン&渡邊順生 公演に寄せて

文:渡邊順生(チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノ奏者、指揮者)

渡邊順生

 

 私は、クリストフ・プレガルディエンとは、彼が初めて来日した1991年の10月に、シューベルトの《美しき水車小屋の娘》で2回ほど共演し、その美しい歌声に魅了されました。それから35年、今回シューベルトの《白鳥の歌》で再び共演できることになったのは喜ばしい限りです。
《白鳥の歌》の第7曲「別れ」という歌曲をご存じですか。馬のひづめの音も軽やかにこれから楽しい旅に出ようという曲で、その馬のひづめの音を模したピアノ伴奏のとても印象的な曲です。私の頭の中では、その軽快な響きがくるくると回っています。歌ももちろんですが、シューベルトは何と美しいピアノ伴奏のパートを書いたのでしょうか。それは彼が愛用していた当時のピアノでなければ出すことのできない音なのです。
 今回の公演で私が特に嬉しく思っているのは、ナネッテ・シュトライヒャーの製作したフォルテピアノの音を皆さんに聴いて頂ける、ということです。ナネッテ・シュトライヒャーは、19世紀の最初の四半世紀のウィーンにおける最高のピアノ製作者で、彼女の作り出す、玉を転がすような軽快さと重厚な渋みを兼ね備えたピアノの音はベートーヴェンを熱狂させました。ナネッテ・シュトライヒャーのピアノは現存数が少ないために録音でも聴ける機会はなかなかありません。プレガルディエン氏の美しい声とシュトライヒャー・ピアノの音色は、シューベルト自身が思い描いていた歌曲の響きの理想を皆様にお聴かせできるのではないか、と今からわくわくしています。

ナネッテ・シュトライヒャー製作 フォルテピアノ/ウィーン、1818年製


ナネッテ・シュトライヒャー製作 フォルテピアノ

 このコンサートで使用するピアノには、1818年にウィーンでナネッテ・シュトライヒャーによって製作された音域FF-f4(6オクターヴ)のフォルテピアノ。ナネッテ・シュトライヒャー(1769-1833)は、ウィーン式アクションの創案者である天才的ピアノ製作家J・A・シュタインの娘として南ドイツのアウクスブルクに生まれたが、94年ウィーンに移り、当代随一のピアノ製作家としての声望を誇った。このピアノは、シュトライヒャーが1820年頃に至るほぼ10年間、基本的な使用を変えずに作り続けた、彼女としては最も成功したモデル。今日、19世紀前半のウィーンのピアノでは、コンラート・グラーフの製作した楽器を最高と考える専門家が多いが、シュトライヒャーの方が精妙かつデリケートなニュアンスに富んでいるという点ではるかにグラーフの楽器を凌いでいる。シュトライヒャーのピアノは現存数が少ないため、実際にその生の音色に触れた経験ある人は欧米でも非常に少なく、ピアノの歴史に名を残した製作者として、あるいはベートーヴェンと親交深かった友人の一人として、謂わば歴史的存在としてのみ記憶されている場合が多いのは非常に残念なことである。

フォルテピアノのハンマーヘッド

 フォルテピアノは、現代のピアノに比べると弦の張力がずっと弱いので、振動体である響板の反応が敏感で、音量は小さいが弱音の微妙なニュアンスの豊かさが特徴。構造体に鉄骨などはまだ用いられていないので、木質の温かい音色をもつ。高音部では玉を転がすような軽快な音色をもっている一方、低音部の鮮明さもまた現代のピアノと比べて優れている点である。ベートーヴェンは、1800年頃までのウィーンのピアノの弱音における表現力を高く評価しながらも、「フォルテ」(強音)の非力さには不満も大きかった。だが、1803年、音量の大きなフランスのピアノ(エラール社製)を贈られると、その力強さに魅了されながらも、弱音における表現力の不足に悩まされ、ピアノ独奏曲の作曲から遠ざかってしまう。
 そのベートーヴェンを再びピアノの世界に引き戻したのが、このタイプのシュトライヒャーのピアノであった。小型のピアノにおけるニュアンスの微妙さと力強い量感を兼ね備えたこのピアノは、ベートーヴェンが長らく待ち望んだピアノとして、彼を驚喜させ、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》をはじめ、ピアノ独奏曲や室内楽曲とする数々の名作を生み出す原動力となったのである。
 シュトライヒャー夫妻のベートーヴェンとの親交は40年の長きにわたるもので、単に楽器作者としてのみならず、彼の生活の全般にわたって種々の助言と助力を与え、彼にとって最も力強い友人であり続けた。
(筆:渡邊順生)

関連公演

東京春祭 歌曲シリーズ vol.48
クリストフ・プレガルディエン(テノール)&渡邊順生(フォルテピアノ)

日時・会場

2026年4月7日 [火] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール

出演

テノール:クリストフ・プレガルディエン
フォルテピアノ:渡邊順生

料金

全席指定:¥8,000 U-25:¥2,000

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