JOURNAL

シューマンの人生と作品

文・飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

 ごはん、おかず、汁物は交互に食べましょう。「三角食べ」を給食などで指導された方も多いと思う。しかし、最近は以前ほど「三角食べ」が推奨されていないようだ。ひとつの皿を食べ切ったら、次の皿を食べ切る。そんな「ばっかり食べ」の子どもも珍しくはないのだとか。
 ドイツの作曲家ロベルト・シューマン(1810~1856)は「三角食べ」よりも「ばっかり食べ」タイプの作曲家だ。ある分野の楽曲を作曲するとなったら集中的に同じ分野の曲を書く。シューマンの創作活動を振り返る際に、よく言われるのが「歌の年」「交響曲の年」「室内楽の年」といった言葉。一年間にわたって同じ分野の作品をまとめて書く傾向があるのだ。以下、今年の東京・春・音楽祭で演奏されるシューマンの作品を中心に、創作の軌跡を簡単にたどってみよう。

「ピアノの年」

 1810年、ロベルト・シューマンは書籍商および出版業を営む父のもと、ツヴィッカウで生まれた。少年期のシューマンは音楽に劣らない才能を文学に示し、家庭環境もあって多くの書物を通じて文学的素養を身につけた。ピアノの師はフリードリヒ・ヴィーク。その娘クララは天才少女ピアニストとして名を馳せた。クララはやがて父親の強硬な反対を押し切ってシューマンと結婚する。著名なピアニストであるクララに対して、いまだこれといった地位に就いていないロベルト。名声という点で妻のほうが勝っていた大作曲家はシューマンくらいのものだろう。結婚は1840年、30歳の年。
 結婚までの20代の間、シューマンの創作の中心はピアノ曲にあった。「交響的練習曲」「ダヴィッド同盟舞曲集」「子供の情景」「クライスレリアーナ」「幻想曲」といった有名曲はみんな20代で書かれた青年期の作品だ。「キリル・ゲルシュタイン(ピアノ)の世界 I ー solo」(4月3日)で演奏される「花の曲」と「謝肉祭」もこの時期に書かれている。「花の曲」は可憐で優美。「謝肉祭」は架空の人物や実在の人物が音楽で表現され、輝かしい。いずれも青年シューマンの魅力が凝縮されている。

《リーダークライス》op.39

「歌の年」

 1840年、シューマンは「歌の年」を迎える。一年間で120曲以上の歌曲が生み出されたというから爆発的な創作力というほかない。「クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)&ゲロルト・フーバー(ピアノ) I」(3月19日)で歌われる《5つのリート》op.40、《リーダークライス》op.39、《ロマンスとバラード 第3集》op.53はこの年に作られた作品。また、同じ出演者による「II」(3月22日)で歌われる《ケルナーによる12の詩》op.35、《ガイベルによる3つの詩》op.30もこの年に作曲されている。これらの曲集ではアイヒェンドルフの詩による《リーダークライス》op.39がもっともよく知られる。全12曲からなり、一貫したストーリーがあるわけではないが、愛や孤独を題材にひとつの完結した世界が描かれる。「歌の年」には、ほかに「女の愛と生涯」や「詩人の恋」といった傑作歌曲集も書かれている。
 翌年の1841年は「交響曲の年」。交響曲第1番「春」他が作曲される。歌曲から一転して、言葉を用いない大規模作品に取り組んでいる。

幻想小曲集op.88

「室内楽の年」、そして早すぎた晩年へ

 そして1842年は「室内楽の年」。交響曲のようなオーケストラ曲を書いた後で、編成の小さな室内楽に向き合うのは、順序が逆のようにも思えるが、前年の経験がピアノ五重奏曲変ホ長調やピアノ四重奏曲変ホ長調のようなシンフォニックな傑作に結びついたにちがいない。ピアノ五重奏曲変ホ長調は「シューマンの室内楽 I」(3月16日)、ピアノ四重奏曲変ホ長調は「シューマンの室内楽 II」(3月29日)で演奏される。ともに変ホ長調。ベートーヴェンの「英雄」や「皇帝」と同じ調であり、ヒロイックで雄大な曲想を持つ。「シューマンの室内楽 I」で演奏される幻想小曲集op.88もこの年の作品だ。こちらはピアノ三重奏による親密な性格的小品集といった趣。

 その翌年は「合唱曲の年」となる。以降はさまざまな作品が書かれることになるが、1844年、夫妻でロシア・ツアーに赴いた頃から、シューマンは鬱病の発作に悩まされるようになる。ロシアでクララはピアニストとして大成功を収めた。ロベルトも作曲家として一定の評価を得るが、しばしばその役どころは「著名なピアニストの夫」に留まった。以後、精神の病はシューマンを苦しめることになる。
 シューマンにとって40代はすでに晩年に相当する。「シューマンの室内楽 I」で演奏される、情熱的なヴァイオリン・ソナタ第1番と、「シューマンの室内楽 II」で演奏される、クラリネット、ヴィオラ、ピアノという珍しい編成による「おとぎ話」op.132、「クリスティアン・ゲルハーヘル(バリトン)&ゲロルト・フーバー(ピアノ) II」(3月22日)で歌われる《6つの歌》op.107、《3つの詩》op.119、《6つの歌》op.89、《リートと歌 第4集》op.96は、いずれも早すぎた晩年の作品だ。
 1854年、シューマンは錯乱の末にライン川に身を投げた。このときは漁師に助けられたものの、自らの強い希望で精神病院に入院し、2年間の療養の末、1856年に46歳で生涯を閉じることになった。

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