JOURNAL
ハルサイジャーナル
ムーティの《アッティラ》演奏史
・ムーティとヴェルディ初期のオペラ
リッカルド・ムーティの活動のなかでも、《ナブッコ》や《エルナーニ》など、ヴェルディ初期のオペラの魅力と価値を知らしめたことは、とても重要な業績である。ムーティのヴェルディ演奏の魅力である炎のような情熱は、初期作品ではとりわけ不可欠の要素となっているのだ。
歌劇場でのムーティのキャリアそのものが、ヴェルディ初期のオペラで始まっていることは暗示的で興味深い。1968年、27歳でフィレンツェ五月音楽祭(フィレンツェ歌劇場)の首席指揮者に就任したムーティが、翌年に指揮した最初のオペラが、ヴェルディ初期の《群盗》だったのだ。これはムーティにとって、初めて指揮したヴェルディのオペラでもあった。
《アッティラ》も、若き日のムーティが指揮したヴェルディの初期オペラである。そしてそれ以来、半世紀にわたって指揮を続け、大切なレパートリーの一つとなってきた作品なのだ。録音や映像、公演記録を通じて、ムーティによる演奏史をふり返ってみたい。
・1970年代の公演
ムーティが《アッティラ》全曲を最初に指揮したのは、1970年11月にローマで収録して翌月に放送された、ラジオ用の録音のためだった。ムーティと同い年の若きルッジェーロ・ライモンディがアッティラを歌う一方、グェルフィとステッラというベテランがエツィオとオダベッラを歌っている。著作権の保護期間が今より短かった1990年代には、この録音もイタリアなどでCD化されていた。
しかし、真の意味でムーティの意志と意欲が全体にいきわたったのは、1972年12月のフィレンツェ歌劇場での舞台上演から、といってよいだろう。これはフィレンツェ五月音楽祭の自主レーベルから正規にCD化されている。古いモノラル録音だが、表現は細部まできちんと聴きとることができる。
20世紀後半を代表するバス歌手のギャウロフが滑らかな美声で題名役を歌い、知性と声のバランスがとれたカナダ生まれのミッテルマンがエツィオを、ルケッティはイタリア人らしい情熱的な声でフォレストを歌いあげる。そして1950年代からベルカント・オペラ復興の一翼を担ってきたトルコ出身のジェンチェル(ゲンチャー)が、劇性と叙情性の両立を要求される難役オダベッラを見事に歌いきっている。
この歌手たちをしっかりと統率するのが、31歳のムーティの情熱的な指揮だ。規律を保ちつつ、ときにエネルギーをほとばしらせる。その情熱は、つねに自己と共演者への厳しさをともなっている。両者があいまって、演奏に緊張感と集中力、そしてクライマックスでの壮大さを生む。
前奏曲から序幕への暗澹たる悲劇性、第1幕のオダベッラのロマンツァでの小川と月光の叙情的な描写、第2幕フィナーレの嵐の音楽の迫力や、最後のコンチェルタートでのスケールなど、この時点ですでに、ムーティの表現は確立されていたことがよくわかる。
ただし、アリアのカバレッタのダ・カーポ(くり返し)などの慣習的な省略があるのは、時代的な限界だろう。
・ミラノ・スカラ座時代
1986年にミラノ・スカラ座の音楽監督に就任したムーティは、その3年後に《アッティラ》を聴衆なしでセッション録音した(EMI→ワーナー・クラシック)。経験を重ねたムーティの表現は以前より堂々としているが、驚くべきことに、各部分の演奏時間は1972年のライヴ録音とほとんど変わっていない。ただしアリアのダ・カーポはしっかりやるようになり(そのぶんだけ時間は延びる)、完璧主義が徹底されている。
さらに1991年には舞台上演を行ない、こちらは映像収録された。ジェローム・サヴァリーの演出は簡素だがわかりやすい。歌手はフォレストがシコフからカルードフに、レオーネがスリアンからモンレアーレに交代した以外は同一で、セッションとライヴで感興の違いはあるが、レイミーのアッティラの野性味やステューダーの強靱な表現力など、アメリカ人を主体とする歌唱陣の特徴は共通している。
スカラ座時代のムーティの響きは、全体に硬くなる印象があるのだが、《アッティラ》では重厚さと生命力がうまく両立して、充実した音楽になっている。第2幕のエツィオのアリアの後半、”Roma nel vil cadaver”の箇所での弦の、思いがあふれ出すような熱い歌いぶりなどは、さすがにスカラ座だ。
・21世紀へ
21世紀に入ってからは、2010年にメトロポリタン歌劇場(現時点でムーティ唯一のこの歌劇場への出演)、2012年にローマ歌劇場で《アッティラ》を舞台上演している。
ともに正規の映像や録音はないが、ムーティが篤く信頼するロシア出身のアブドラザコフがアッティラ、オダベッラもスラヴ系のウルマーナとスルジャン、対してエツィオとフォレストはラテン系と、各役に起用する声質には共通性がある。
近年の「東京・春・音楽祭」でのヴェルディ演奏から判断するかぎり、若いときの、血気に逸るような奔放さこそ減じたけれど、燃えさかる情熱は衰えていない。そしてオーケストラに若い楽員を起用することで、その鋭敏なセンスと柔軟性、敏捷性をうまく演奏表現に取り込んでいる。
2024年、日本に初めて響くムーティの《アッティラ》は、どんな音楽となるのか。楽しみに待つのみだ。
ムーティの《アッティラ》公演&録音
①1970年(ラジオ用録音) ローマRAI管弦楽団
ルッジェーロ・ライモンディ(アッティラ)、ジャンジャコモ・グェルフィ(エツィオ)、アントニエッタ・ステッラ(オダベッラ)、ジャンフランコ・チェッケレ(フォレスト)
②1972年(舞台上演) フィレンツェ歌劇場(CDあり)
ニコライ・ギャウロフ(アッティラ)、ノーマン・ミッテルマン(エツィオ)、レイラ・ジェンチェル(オダベッラ)、ヴェリアーノ・ルケッティ(フォレスト)
③1989年(セッション商業録音) ミラノ・スカラ座(CDあり)
サミュエル・レイミー(アッティラ)、ジョルジョ・ザンカナーロ(エツィオ)、シェリル・ステューダー(オダベッラ)、ニール・シコフ(フォレスト)
④1991年(舞台上演) ミラノ・スカラ座(DVDあり)
サミュエル・レイミー(アッティラ)、ジョルジョ・ザンカナーロ(エツィオ)、シェリル・ステューダー(オダベッラ)、カルーディ・カルードフ(フォレスト)
⑤2010年(舞台上演) メトロポリタン歌劇場
イルダール・アブドラザコフ(アッティラ)、ジョヴァンニ・メオーニ(エツィオ)、ヴィオレータ・ウルマーナ(オダベッラ)、ラモン・バルガス(フォレスト)
⑥2012年(舞台上演) ローマ歌劇場
イルダール・アブドラザコフ(アッティラ)、ニコラ・アライモ(エツィオ)、タチアナ・セルジャン(オダベッラ)、ジュゼッペ・ジパリ(フォレスト)