JOURNAL

プッチーニ集
2022/11/04

血生臭い《トスカ》のドラマを動かす
あまりにも隔たった恋人同士の考え方

血生臭い《トスカ》のドラマを動かすあまりにも隔たった恋人同士の考え方

文・香原斗志(オペラ評論家)

ジャコモ・プッチーニ

あまりに血生臭いオペラ
  《トスカ》ほど血生臭いオペラは少ない。戯曲は1日のあいだに、1つの場所で起きる、1つの物語を追わなければいけない、という古典的な「三一致の法則」を踏襲しているが、たった1日のうちに、登場人物たちの身に降りかかるできごとはあまりにむごい。
 陰謀、拷問、強姦、殺人、処刑、自殺……。それらが織り込まれた奔流に彼らは飲み込まれ、身動きがとれないまま、アンジェロッティ、スカルピア、カヴァラドッシ、トスカと、主要な登場人物4人が相次いでこの世から去る。
 また、《トスカ》は正味2時間のあいだに、いくつものオペラを観たのに匹敵するほど、多彩な展開と感情を味わうことを強いられる。
 たとえば、若い女性歌手が残忍な男に、自分に身をまかせるか、さもなければ恋人が命を落とすかという究極の選択を迫られ、挙句、みずからの命を失うという筋書きは、ポンキエッリの《ラ・ジョコンダ》と重なる。
 小物を使って(アッタヴァンティ夫人の扇子)嫉妬心を煽り、相手を破滅に導くのは、いうまでもなく《オテッロ》におけるイアーゴのやり方だ(イアーゴの場合はハンカチ)。また、革命思想に殉じるという点で、カヴァラドッシはジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》のタイトルロールである若き詩人に擬せられる。

悲劇が淀みなく進行する音楽的お膳立て
 このように凄惨かつ内容の詰まった世界を、緊張感を維持したまま立体的に描くために、ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)は前作《ラ・ボエーム》の日常的で親密な表現とは対照的な音楽を書いた。
 それぞれの楽器の響きは鋭くなって、時に音は融合するよりもむしろ対立させられ、打楽器が多用される。「fff」や「sfz」などの強弱記号が無数に書き込まれ、「con violenza」(激烈に――語義的には暴力的に)などの指示もやたらと多い。そして不協和音が目立ち、調性はめまぐるしく移り変わる。
 さらには、脱獄をして追われる立場のアンジェロッティには、半音階的な響きがもちいられ、悪辣で非道なスカルピアは全音階的な動機で、その威嚇的な性質が表されるなど、音楽的なメリハリも鋭くつけられている。人物のほかさまざまな状況を象徴する示導動機の数も60におよび、数々の場面が音楽的に整理されている。
 悲劇が淀みなく進行するお膳立ては、こうして音楽的に十分に整えられ、実際、ドラマは緊張感をはらんだまま速いテンポで進んでいく。

恋人同士の「考え方の不一致」が悲劇につながった
 だが、そもそも「三一致の法則」が適用できるほど短時日のうちに、これほどおぞましい結果が導かれた最大の原因は、フローリア・トスカとマリオ・カヴァラドッシという恋人同士の「考え方の不一致」にあった。
 それでは、カヴァラドッシはどんな人物か。オペラの原作であるサルドゥの戯曲『ラ・トスカ』によれば、ローマの貴族の血を引き、母親はフランス人。フランス革命の時代のパリで育ち、のちにナポレオンの首席画家になるジャック=ルイ・ダヴィッドから絵の手ほどきを受けている。父親の影響で思想的には自由主義で、もっといえば反王政で、宗教的には無神論者だ。
 一方、トスカは極端なまでに信仰心が深い。たとえば、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会にやってきたトスカにキスをしようとしたカヴァラドッシに向かって、「聖母様の前ではダメ。最初にお祈りをして、お花を供えさせて」と言う。なによりもまず聖母様という女性で、そのうえ政治的には王政支持者。カヴァラドッシと正反対なのである。
 カヴァラドッシもトスカをそういう女性だと理解していて、アンジェロッティに「トスカは善良だが、信心深くて聴罪司祭にも隠しごとができないから」と語っている。脱獄したアンジェロッティをかくまっている、という秘密を彼女に告げると、司祭に話してしまいかねないし、下手したら密告すらしかねない、というわけだ。

無用の嫉妬を招いた原因
 トスカが信心深いのも、彼女の生い立ちを知れば納得がいくだろう。トスカは子供のころ、牧場の羊番をしていたが、それを哀れに思ったベネディクト派の修道女に引き取られ、女子修道院で育った。そして修道院内で音楽的才能を発揮し、彼女の歌を聴いた作曲家のチマローザに見初められ、歌手になっている。
 いわば、ずっと神に仕え、神のために生きてきたが、ある時点から歌のため、芸のために生き、芸を通して神に奉仕してきた。
 そんな女性が、おまけに人一倍嫉妬深かったから、やっかいだった。カヴァラドッシはトスカに隠しごとをしないで済めば、(アンジェロッティの妹である)アッタヴァンティ侯爵夫人と浮気をしているのではないか、などと疑われ、無用の嫉妬を招くことはなかった。ひいては、トスカがスカルピアにつけ込まれる隙もできなかったはずだ。
 これほど考え方が異なる2人が深く愛し合っていたのは不思議だが、とにかく、この「不一致」こそが《トスカ》という凄惨なドラマを推し進める原動力だ。

「恋」ではなく「愛」に生きてきたトスカ
 ところで、第2幕でスカルピアから、恋人の命を助けたければ自分に身をまかせろ、と迫られたトスカは、神にすがってアリアを歌う。「歌に生き、愛に生き、人に悪いことをしたこともなく、惨めな人にはそっと手を差し伸べてきました。いつも真摯に信仰し、私の祈りは聖なる祭壇に届き、祭壇にはお花を供えてきました。それなのにどうして……」。
 地獄の苦しみを負わされている自分を助けてくれない神への恨み節である。このアリアの表題が「歌に生き、恋に生き」と訳されていることがあるが、「Vissi d'arte, vissi d'amore」の「amore」は、「恋」ではなく「愛」である。
 キリスト教には「神への愛」という概念がある。あらゆる人に平等に無償の愛を注ぐ神の恩寵に応えるために、人間は神を愛さなければいけない、というのだ。神への愛を表現する具体的な方法は、第一に隣人愛だとされる。また、トスカのように卓越した歌という技芸をとおして人々に尽くすことも、神への愛になる。
 そんなにも敬虔なトスカと、無神論者のカヴァラドッシ。性格が極端なほど「不一致」だったからこそ、時と場所と物語の「三一致」が容易だったのである。


《トスカ》のあらすじ
 1800年のローマ。画家カヴァラドッシは、消滅したローマ共和国統領で脱獄したアンジェロッティを自分の隠れ家にかくまう。カヴァラドッシの恋人は歌姫トスカで、警視総監スカルピアは彼女の嫉妬深さを利用して恋人の家に向かうように仕向け、尾行してカヴァラドッシを連行する。トスカが恋人の救命を懇願すると、スカルピアは代わりにトスカの肉体を要求。彼女は恋人の命を助けてもらうことを条件に応じるが、その前にスカルピアを刺し殺す。スカルピアとの約束では、カヴァラドッシへの銃刑は見せかけであるはずだった。しかし、刑を見守ったトスカが近寄ると、彼は本当に銃殺されていた。そこにスカルピア殺害に気づいた追手が……。彼女は牢獄であるサンタンジェロ城の屋上から身を投げる。




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