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ベートーヴェンの後継者としてのマーラー

ベートーヴェンの後継者としてのマーラー

文・小室敬幸(音楽ライター)

ベートーヴェン(1824)

 合唱を編成に組み込んだ交響曲は19世紀初頭からいくつかあったが、後世に絶大な影響を及ぼしたのはもちろんベートーヴェンの交響曲第9番(1824年初演)で間違いない。とはいえ(日本人にとっては馴染みがありすぎて忘れられがちだが)、いまだに「第九」でさえも特異な作品だとみる向きがあるのも事実。その理由のひとつが、「第九」後に交響曲+合唱の作品が多数書かれたものの、取り入れ方が作品ごとにバラバラで、お約束の構成、のようにはならなかったからだ。

 「第九」の影響を受けつつ、そこからかけ離れた交響曲の代表例が、序盤から声楽が登場するベルリオーズの劇的交響曲《ロメオとジュリエット》(1839)だ。交響曲と銘打たれてはいるが、実態は宗教色のないオラトリオに近い。対して、メンデルスゾーンの交響曲第2番《讃歌》(1840)は全4楽章構成で、最終楽章で声楽が加わる、ぱっと見は「第九」に似た展開なのだが、肝心の第4楽章が全9曲のオラトリオ風になっていて、「第九」以上に第1〜3楽章と第4楽章の分断を感じてしまいがちだ。他にも、最終楽章に合唱が加わる例としてはリストのファウスト交響曲(1854/57〜61/80)が挙げられるが、全3楽章の内実は連作交響詩だ。

 現在も世界中で演奏されている交響曲のレパートリーのなかで最も「第九」に近いのは、おそらくマーラーの交響曲第2番《復活》(1888〜94/1903)である。合唱と管弦楽の圧倒的なパワーでクライマックスを迎えるというシンプルな共通点だけでなく、“生きる意味”についての解を与えてくれるという点も近しい。また「第九」同様、何かしらの節目となる機会に演奏されることが多いのは、きっと最終的に皆が同じ気持ちを共有しやすいからだろう。

マーラー(1896)

 「第九」のように明快な第2番《復活》に比べ、交響曲第3番(1895〜96)でのマーラーは、言いたいことがやや分かりづらいかもしれない。だが、第4楽章でアルト独唱、第5楽章で合唱が加わるという展開は《復活》の流れをくむもの。ただし第3の場合、第4楽章でニーチェの苦悩に満ちた詩(『ツァラトゥストラはかく語りき』からの引用)が歌われるのだが、「神は死んだ」と述べた彼の思想はマーラーにとって受け入れ難かったようで、続く第5楽章では、ニーチェを否定するように天使が天上の喜びを説く。そして声楽の出番がなくなる第6楽章には当初「愛が私に語ること」と名付けられていたのだが、マーラーが当時の婚約者に語ったところによれば、これは愛という形でだけ認識可能な「神」についての音楽なのだという。中間部では(それこそニーチェのように)神の存在に疑いの目がむけられるが、それを乗り越えた先に救済が待つという『苦難を乗り越えて歓喜へ』の筋立てが見えてくる。

 実はこの楽章の元ネタとなっているのは、ベートーヴェンの実質的に最後の作品である弦楽四重奏曲第16番の第3楽章。どちらも変奏曲になっており、主題となる旋律を並べてみると類似性が際立つ。「第九」に近しい構成をもつ《復活》のあと、「第九」より後に書かれた弦楽四重奏曲を参照したマーラーは、意識的にベートーヴェンの後継者になろうとしていたのではないだろうか。



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