JOURNAL
春祭ジャーナル
プッチーニの旋律美 ―映画音楽への系譜
文・小室敬幸(音楽ライター)
オペラを鑑賞したことがなくても、エンニオ・モリコーネによる『ニュー・シネマ・パラダイス』や、ニーノ・ロータによる『ゴッドファーザー』といった往年の名作映画を彩った音楽に心動かされたことがあるという方は、きっと少なくないはず。なぜ、彼らの音楽はたった数秒、数十秒で心をギュッと掴んでしまうことができるのか? それは、彼らがイタリアオペラの遺産――特にジャコモ・プッチーニ(1858-1924)の旋律美を受け継いでいるからだ。
少しばかりイタリアの音楽史を振り返ってみよう。19世紀にジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901)が演劇性を高めることでオペラを新しい領域に導いた後、世紀末に登場した世代が《カヴァレリア・ルスティカーナ》で知られるマスカーニや、その友人であるプッチーニであった。後者はイタリアらしい明朗な旋律にドイツのワーグナーによる濃厚な音楽表現をあわせて成功を収め、ヴェルディ亡き後の20世紀初頭のイタリアオペラを牽引した。
そんなプッチーニも咽頭がんの手術後に容態が悪化して、1924年11月29日に65歳で亡くなってしまう。未完の《トゥーランドット》を、遺されたスケッチをもとに誰が補筆するべきか話し合われるなかで、出版社リコルディはマスカーニの弟子であり、プッチーニと作風も比較的近いリッカルド・ザンドナーイ(1883-1944)を推した。だがプッチーニの息子トニオはそれを望まず、より裏方に徹してくれそうなフランコ・アルファーノ(1875-1954)に作業を依頼した。現在、一般的に上演されているのはアルファーノの補筆に、初演の指揮者トスカニーニの意見でカット・変更を加えたバージョンだ。
ここが重要なのだが、(ザンドナーイを除く)アルファーノ、イルデブランド・ピツェッティ(1880-1968)、アルフレード・カゼッラ(1883-1947)といった1880年前後に生まれたイタリアの作曲家は、プッチーニをもう古いとみなし、ポスト・ワーグナー世代であるドビュッシーやリヒャルト・シュトラウス等から新しいサウンドを取り入れた。こうしてプッチーニのような明瞭な旋律をもつ音楽は、イタリア音楽の主流から外れてしまう。
ところが、これら1880年前後に生まれた作曲家の弟子にあたる世代から、プッチーニのように詩情豊かで旋律が魅力的な音楽が蘇ってゆくのが興味深い。ピツェッティの門下からはニーノ・ロータ(1911-79)が登場し、カゼッラの孫弟子にはモリコーネ(1928-2020)、そしてなんと米国のジョン・ウィリアムズ(1932-)もいるのである。
この3人はクラシック音楽も作曲しているのだが、特に若い頃の作品では抒情的なメロディは使わず、(モリコーネだけは1980年代半ば以降の)映画音楽を手掛けた時にだけプッチーニのような濃厚な旋律を用いた。イタリアの旋律美とワーグナーの重厚なサウンドを結びつけたプッチーニの音楽は、時代を超えて映画音楽の源泉となったのだ。大胆に言い換えれば、映画は好きだけどオペラは観たことがないという方にはプッチーニがうってつけだとも言えるはずだ。