JOURNAL

永遠の未完成としての《アルペジオーネ・ソナタ》

「シューベルトの室内楽 ~ミハル・カニュカ(チェロ)&関西弦楽四重奏団」に寄せて

文・渡辺 和

  1824年秋の初め、現スロヴァキアのジェリエゾフツェで夏を過ごしたシューベルトは帝都に戻る。11月、帰京後初の大作として、ギターと同じ調弦の六弦ヴィオラ・ダ・ガンバ「アルペジオーネ」のための二重奏ソナタを完成。この楽器の教則本を書いた名人が初演したものの、シュタウアーが考案したこの楽器は成功せず、作品も1871年に出版されるまで埋もれたままとなった。

 現在では音楽ファンに大人気の《アルペジオーネ・ソナタ》だが、何故か重鎮研究者は言及を避ける傾向がある。初のシューベルト総目録を作成したドイッチェの全集版には、「オリジナル譜はやっつけ仕事で作品への愛が感じられない」などと言わずもがななコメントが。ブラウンは評伝で「シューベルトはさほど真剣に考えておらず、さっさとシュタウアーに放り投げた」と酷評し、著名な校訂者ガルやギュルケもほとんど無視だ。

 とはいえ、自身のサークル「シューベルティアーデ」でのインディーズ活動からメイジャーなプロに転身しようとしていたシューベルトが、《ロザムンデ》や《死と乙女》など傑作室内楽を連発した年に綴った大規模デュオである。ピアノの扱いなど完成度を求めれば物足りない部分もあろうが、創作の頂点に至りつつあったシューベルトの旋律美は誰にも否定できまい。チェロの上森祥平曰く、「リートの世界に近いですね。それをチェロや弦楽器で弾けるのは幸せだと思います」。

 躊躇いつつこの作品を愛するのはミハル・カニュカも同様だ。 ピアノのバランスに問題があると感じ、自ら弦楽合奏に編んでいる(披露される版はその楽譜に手を加えたもの)。古楽器の名手による復刻アルペジオーネや五弦チェロでの実演には違和感があるという小峰航一も、音域が不足するヴィオラでのより良い再現をするため調弦を変え演奏するという。「《アルペジオーネ・ソナタ》はそこが魅力だと思います。シューベルトって、基本的に未完成な作家だと思うのです。この楽器に目を付けたところがすごくシューベルト」(小峰)。

 どうやら、この作品の理想像を探求し努力を重ねる音楽家は、楽譜をねじ伏せても聴衆に満足感を 与えようとする独奏者タイプとは志向が異なるのかも。カニュカにしても、ミュンヘンARDコンクールで2位最高位(ケラスが3位だった)を獲得しソリストへの切符を得ながら、マルティヌー弦楽四重奏団 のチェロ奏者を皮切りに、今や名門プラジャーク・クヮルテットの中心人物として室内楽を拠点に活動 するマルチタレントだ。ヴァイオリンの田村安祐美も、「室内楽だからこう弾く、コンチェルトの伴奏だからこう弾く、というのではなく、曲のキャラクターに応じた演奏をしたい」と語る。

 ある音楽学者は、《アルペジオーネ・ソナタ》をして「シューベルトの醜いアヒルの子」と呼んだ。「憧れですよね、あの曲をどう完成させるか。《アルペジオーネ・ソナタ》は、どう弾けば良いかよく判らない。だから、クィンテットで弾く、それもカニュカさんという名手と弾くことで、本質が見えるんじゃないでしょうか」(小峰)。

(「東京・春・音楽祭2020」公式プログラムより転載)
渡辺 和 Yawara Watanabe

国際基督教大学博士課程前期修了。室内楽や演奏史を中心に、ジャーナリストとして活動。著書に、『ゆふいん音楽祭35年の夏』(木星舎)、『クァルテットの名曲名演奏』(音楽之友社)など。




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