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ピエール・ブルーズ (指揮)インタビュー

取材・文:八木宏之(音楽評論家)

2025年の東京・春・音楽祭の目玉のひとつが、アンサンブル・アンテルコンタンポランによるピエール・ブーレーズの生誕100年を記念したふたつのプログラムだ。たびたび日本でも演奏を行い、コンテンポラリー・ミュージックのファンにはお馴染みのEICだが、新音楽監督ピエール・ブルーズとの来日は今回が初めてとなる。4月の来日を前に、ブルーズにシェフとしての意気込みや、来日公演の聴きどころをじっくりと語ってもらった。

――2023/2024シーズンからアンサンブル・アンテルコンタンポランの音楽監督に就任されましたが、ブルーズさんにとって、コンテンポラリー・ミュージックは幼少期から身近なものだったのでしょうか?

父が作曲家、母が声楽家という音楽一家に生まれたので、幼い頃から音楽は生活の一部でした。私はヴァイオリニスト、指揮者、兄はチェリスト、妹はピアニストになりました。子供時代、父がピアノで作曲する音や、母が練習するシューベルトやシュトラウス、シェーンベルク、ベリオの歌曲が家のなかに溢れていたので、私たち兄妹は多様な音楽言語を自然と身につけることができました。
前回日本で東京交響楽団と神戸市室内管弦楽団を指揮した際には、サン=サーンスやドビュッシー、ラヴェルといったフランス音楽の遺産から、アイヴズやルー・ハリソンのユニークな作品まで、様々なレパートリーを取り上げました。今回の来日ではEICとともにピエール・ブーレーズとミカエル・ジャレルの作品を披露します。このように、コンテンポラリー・ミュージックを含むさまざまな音楽を幅広く紹介していくことが自分の役割だと思っていますし、そうした考えは幼少期に両親のもとで育まれたものかもしれません。

――コンテンポラリー・ミュージックの指揮は、やや専門化された領域という印象がありますが、ブルーズさんにとって、ブーレーズやジャレルを指揮することと、ベルリオーズやシュトラウスを指揮することにアプローチの違いはあるのでしょうか?

現代の作品を指揮することは、未知の土地へ行くこと、あるいは全く新しい言語を学ぶことに似ています。新しい土地で新しい言語を用いてコミュニケーションを取るとき、私たちは集中して、多くの情報を処理しなくてはなりません。けれども、慣れてくると少しずつ会話を楽しめるようになってきます。こうした音楽との向き合い方は、コンテンポラリー・ミュージックに限ったものではないとも思っています。ベルリオーズもシュトラウスも、コンテンポラリー・ミュージックと同じように、新鮮な気持ちで好奇心を持って、まるで新作を初演するかのように指揮することが大切なのではないでしょうか。

――EIC はさまざまな地域でアウトリーチを行い、コンテンポラリー・ミュージックをシテ・ド・ラ・ミュジークの外にいる⼈々にも届けてきました。今⽇のフランス社会のなかで、EICが果たすべき役割とはどのようなものなのでしょうか?

EICが創設された1976年と今日とでは、クラシック音楽をとりまく環境は大きく異なります。EICに求められていることもそれにともなって変化しています。現在フランスは政治的にも経済的にも不安定になっていますが、文化省をはじめとする行政は、EICによるクリエーションの重要性を理解してくれていますし、コンテンポラリー・ミュージックに関心を持ってくれる聴衆も確実に増えています。若い世代は、コンテンポラリー・ミュージックのなかでも特に電子音楽に興味を持っている人が多く、手応えを感じています。
今日、クラシック音楽のコンサートは博物館のようなものになり、どの国のホールやオーケストラも名曲中心の似通ったプログラムを提供しています。クラシック音楽の世界では、すでに知っている作品を聴きに行くことが当たり前になっているのです。しかし1920年代までは頻繁に新しい作品が初演され、コンサートのなかで「問い」や「発見」を得ることができました。私はEICとともに、そういった音楽体験を改めてお客様にお届けしていきたいと思っています。

――今年の東京・春・音楽祭では、ブーレーズの生誕100年を記念したプログラムが予定されています。ブルーズさんとEICにとって、ブーレーズのどのような存在なのでしょうか?

亡くなって9年が経った今でも、フランスの音楽界におけるブーレーズの存在はとても大きなものです。EICの活動にも、創設者であるブーレーズの精神は変わることなく息づいています。ブーレーズの作品は古典としてレパートリーに定着しつつありますし、先日フィルハーモニー・ド・パリで開催されたブーレーズの生誕100年を記念したコンサートでの、彼の音楽に対する聴衆の反応もとても熱心なものでした。
ブーレーズはとてもオープンマインドな芸術家で、指揮者としてはブルックナーにも取り組むなど、常に新しいことに挑戦し続けていました。ブーレーズの生涯やその作品、演奏を振り返ってみると、彼に「恐れてはいけない!」と言われているような気がしてきます。ブーレーズの意思を受け継ぐEICは、コンテンポラリー・ミュージックを怖がらずに楽しんでもらえるように、これからも努力を続けていきます。

――東京・春・音楽祭のプログラムについて、ブルーズさんの考える聴きどころを教えてください。

今回の日本公演では、作曲家ブーレーズを隅々まで知っていただけるように様々な編成の作品を演奏します。どのような編成にも対応できるEICの柔軟な音楽性をお楽しみいただけるでしょう。《シュル・アンシーズ》はEICがもっとも得意とする作品のひとつで、奏者が自らの限界を超えていくような音楽です。《カミングスは詩人である》は合唱を伴うため演奏機会はそう多くありませんが、ブーレーズの音楽の詩的な側面に触れることができます。 またブーレーズだけでなく、スイスの作曲家、ミカエル・ジャレルの作品も取り上げます。生涯にわたって前進し続けたブーレーズを讃えるコンサートでは、現代の作曲家の作品も演奏すべきだと思ったからです。ブーレーズとジャレルには音楽の明晰さやオーケストレーションの緻密さに共通点があり、ブーレーズはジャレルの才能を認めて、そのキャリアを後押ししました。今回が日本初演となる新作《常に最後の言葉を持つのは天のようだ》は、ブーレーズもインスピレーションを受けた詩人、ルネ・シャールのテキストに基づく作品で、《カミングスは詩人である》とほぼ同じ編成で書かれています。ジャレルは私にとって「音楽の詩人」であり、日本のお客様に彼の作品を聴いていただけることをとても嬉しく思います。

――貴重なお話をありがとうございました。演奏会を楽しみに致しております!


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