春祭ジャーナル 2014/02/12
ワーグナー vs ベートーヴェン
「東京・春・音楽祭」の主役ともいえるワーグナーと、 各公演に登場する主な作曲家たちを対決させる連載コラム第4弾、今回はベートーヴェンが登場です。

ワーグナーといえばオペラの作曲家であるが、彼にとって最大のアイドルは偉大なる交響曲作家ベートーヴェンである。音楽一家の出身でもなければ、音楽の英才教育を受けたわけでもないワーグナーが作曲の道に歩むことになったのは、少年期に接したベートーヴェンの交響曲のおかげだ。
とりわけ決定的な役割を果たしたのが《第九》》
[試聴]。17歳のワーグナーは、当時まだ広く知られるには至っていなかった《第九》のスコアを研究し、ピアノ用の編曲譜を楽譜出版社ショットに送って出版を打診している。さすがに無名の青年の出版依頼は断られたものの、後にショットは有名作曲家となったワーグナーの楽譜出版を引き受けることになる。
19歳となったワーグナーは、交響曲ハ長調
[試聴]を作曲した。全4楽章からなるこの作品にはベートーヴェンの影響が色濃い。ワーグナーはこの作品をプラハで、さらにライプツィヒで演奏してもらうことに成功する。聴衆にはフリードリヒ・ヴィーク(後のシューマン夫人クララ・ヴィークの父)もいた。少女クララはシューマンに宛てた手紙で、父から評判を聞いてこの曲について「ベートーヴェンの交響曲第7番
[試聴]にそっくり」と形容している。これはもちろんほめ言葉ではなく、「なんだ、パクリなのね」的なニュアンスだろう。
24歳でリガの劇場の音楽監督となったワーグナーは、ベートーヴェンの交響曲の大半を指揮する機会を得た。しかし合唱入りの大曲《第九》を指揮するチャンスが巡ってくるのはさらに先のこと。
29歳で出世作となるオペラ《リエンツィ》 [試聴]がドレスデンで予想外の大成功を収め、ワーグナーは一躍時の人となる。これをきっかけにワーグナーはザクセン宮廷劇場の指揮者のポストを獲得した。ここでワーグナーはついに《第九》を指揮する夢をかなえる。劇場支配人は当時いまだ知られざる作品であった《第九》の演奏に反対したが、ワーグナーはこれを押し切った。少年時代から接してきた《第九》をようやく指揮できるとあって、ワーグナーの使命感は並ならぬものだったにちがいない。その情熱のおかげか、《第九》演奏は大成功を収めた。
ワーグナーはその後、バイロイト祝祭劇場の定礎式でもベートーヴェンの《第九》を指揮している。以来、こけら落としや音楽祭のハイライトなど、特別な機会に《第九》が上演されることが習わしになっている。現在わたしたちがたびたび《第九》の演奏に接することができるのも、ワーグナーの《第九》崇拝のおかげといえるかもしれない。
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