HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2012/02/22

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:苦難を乗り越えて

文・後藤菜穂子(音楽ライター)

Beethoven_3.jpg

ウィーン市内ベートーヴェン広場にある像

 ベートーヴェンの音楽は不況時にも強い、とここ数年強く感じます。日本各地での年末の第九の公演はますます盛況の様子ですし、東京文化会館での大晦日の交響曲全曲演奏会もすっかり定着しました。そのほかにも、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲シリーズやピアノ・ソナタ連続演奏会などもしばしば企画されています。

 しかもこれは日本だけの現象ではなく、ヨーロッパでも同じ傾向が見られ、たとえば数年前のロンドンでのバレンボイムのピアノ・ソナタ全曲演奏会やタカーチ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲シリーズなども早々に完売し、こうした時代にこそベートーヴェンの音楽が求められるのだと実感しました。

 その理由のひとつとして考えられるのは、ベートーヴェンの音楽の中に人々は彼の不屈の精神を聴き取るからではないでしょうか。とりわけ、難聴に見舞われるという大きな苦難を乗り越えた上で生み出された傑作群は、多くの人々に生きる勇気と希望を与えてくれるのだと思います。

Beethoven_2.jpg

「ハイリゲンシュタットの遺書」

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)の人生における最大の危機が訪れたのは、彼が30歳を過ぎた時でした。1802年の初夏から秋にかけてウィーン郊外のハイリゲンシュタットに滞在しますが(ちなみに、ヴァイオリン・ソナタ第6~8番 speaker.gif[試聴] はこの時期に作曲されました)、その少し前から深刻な耳なりに悩まされていたベートーヴェンは10月に、のちに「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる、弟たち宛ての手紙をしたためました。そこには、一時期は自ら命を絶とうとまで思いつめながらも、「私の芸術だけがそうした思いを引き戻した」と記されており、彼がいかに深い絶望に直面していたかを読み取ることができます。しかし彼は結局その手紙を出すことはなく、持ち前の不屈の精神で立ち直り、それから20年以上にわたって交響曲《英雄》speaker.gif[試聴] や《運命》speaker.gif[試聴] など、それまでの常識を打ち破るような傑作を次々と生み出していったのです。

 1824年の第九の初演のとき、ベートーヴェンはもうほとんど耳が聴こえず、聴衆の大喝采も気付かなかったと伝えられています。それ以降、1827年に亡くなるまで、彼が作曲したのは実質上、5曲の弦楽四重奏曲(大フーガを含む)だけでした。その最後の作品が、「東京・春・音楽祭2012」でアミーチ弦楽四重奏団の演奏する弦楽四重奏曲第16番 speaker.gif[試聴]です。

 4本の弦楽器が対等かつ緻密に織りなす弦楽四重奏というのは、外向的な交響曲やパーソナルなピアノ・ソナタとは異なり、抽象的かつ純粋な世界であり、自分の頭の中の世界に生きていた晩年のベートーヴェンにとって、これらの弦楽四重奏曲は哲学的な思索の場であったように思います。弦楽四重奏曲第16番には、それまでの苦闘を超越した澄み切った明るさがあり、とりわけ第3楽章にはようやく心の平安を得たベートーヴェンの姿が浮かび上がってくるかのようです。ベートーヴェンの最後の完成された作品にぜひ心を傾けていただければと思います。


~関連公演~


春祭ジャーナルINDEXへ戻る

ページの先頭へ戻る