HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/12/01

アーティスト・インタビュー
~アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)

2015年「東京・春・音楽祭」の《24の前奏曲》シリーズの3公演で、ショスタコーヴィチ、ショパン、ドビュッシーの《前奏曲》を演奏するアレクサンドル・メルニコフ。 ここでは、歴史的ピアノへの愛着、スヴャトスラフ・リヒテルの教え、そして3つのプログラムに対する想いなどを聞いた。


 Melnikov1201.jpg 「間違い」からはじまった歴史的ピアノとの出会い

  歴史的ピアノをたくさん持っているそうですね。
メルニコフ 実際に演奏するために集めているもので、コレクションが目的ではありません。今のところ、スタジオに5台あって、6台目がまもなく入ります。すでにある5台は全てオリジナルの古楽器で非常に高価なものばかりです。古い楽器は、輸送の際などに破損しやすいため、6台目はレプリカにしました。

  演奏会などにも、自分の楽器を持っていくのですか?
メルニコフ そうですね、持っていく機会も多いです。ほとんどは録音用に使っていますが、演奏会で弾くために持っていったこともあります。

  歴史的ピアノを弾くようになったキッカケは?
メルニコフ 私がまだ18歳で学生の頃ですが、モスクワで一緒に勉強していたヴァイオリニストにすすめられて、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂でジョン・エリオット・ガーディナーが指揮したモンテヴェルディ《聖母マリアの夕べの祈り》(古楽器による演奏)を聴いて、強烈なショックを受けました。次に、俳優のジェラール・ドパルデューが18世紀の音楽家(マラン・マレ)を演じている『めぐり逢う朝』(1991)という映画を見て、歴史的楽器に大きな魅力を感じました。そして、古楽器を演奏する鍵盤楽器奏者、アレクセイ・リュビモフやアンドレアス・シュタイアーらと知りあったことなど、様々な出会い・キッカケを挙げることができます。

  はじめて古楽器を弾いたのはいつですか?
メルニコフ 1992年にドイツでモーツァルトのピアノ・ソナタを弾いたのが最初でした。実はそのとき、"間違って"「なんて自由で弾きやすいんだ!」と思ってしまったのです(笑)。しかし、それは本当に大切な"間違い"であって、それを修正していくことがその後の私にとって非常に重要な作業になりました。「モーツァルトはこう弾くべきだ」というステレオタイプの教則から逃れるキッカケが、このとき得られたのです。

  どんな楽器を弾いたのですか?
メルニコフ アントン・ワルターのレプリカでした。お世辞にも良い状態の楽器とは言えなかったですけどね(笑)。でも、演奏していて気分がとても昂揚したのです。

  東京・春・音楽祭でも歴史的ピアノを演奏する予定ですか?
メルニコフ 上野学園に1910年製のプレイエルがありますので、それでドビュッシーの《前奏曲集》を弾きます。プレイエルがとても好きなのです。プレイエルはフランスのメーカーですが、当時のイギリスの優れた技術も採り入れていて、イギリスのメカニックがフランスのプレイエルのなかで完成されたかたちを見せています。


時代とともに変化するリヒテルへの想い

  ピアノとの最初の出会いは、いつ頃ですか?
メルニコフ 6歳のとき、アパートの2階上に住んでいたおばさんが最初のピアノの先生でした。あと、姉がピアノを習っていて、隣の部屋で練習しているピアノの音を聴くのがとても好きでした。姉は今でも作曲をしていて、ピアノも弾きます。

  ご両親も音楽家だった?
メルニコフ いえ、祖父と祖母は作曲家でしたが、両親は違いました。

  スヴャトスラフ・リヒテルの"最後の弟子"と言われていますが、リヒテルとの関係を教えてください。
メルニコフ リヒテルの演奏は何度も聴きましたし、譜めくりをしたこともあります。ただ、具体的に曲を教えてもらったことはないので、「先生」とは言えないでしょう。リヒテルの前で弾いたことはありますけどね。
 今になって、彼の前でもっと弾いておけば良かったと思うのですが、当時はとても近寄りがたかったですからね(笑)。アドバイスをもらったことはあったので、それなら「先生ではないのか?」と言われるかもしれませんが、生前、リヒテルは「ぼくは教えたりしないからね」と言っていましたので、私も彼のことを「先生」とは呼ばないのです。
 リヒテルは若い頃、モスクワ音楽院から「生徒に教えて欲しい」と強く請われたことがあるそうです。そこでリヒテルが渋々折れて、音楽院で教えることにして、いざ契約書にサインしようとしたら、そこには「私が教えることを願う(申請する)」みたいな文言があった! 当然、リヒテルは「それはまったく事実に反する」と怒って、結局、サインしなかったそうです(笑)。

  教えることは好きではなかったのですね。
メルニコフ 私自身、5年間、イギリスでピアノを教えたことがあって、自分では演奏家よりも教師のほうが向いているのでは? と思うこともあるのですが(笑)、その経験を踏まえて言うと、生徒にピアノを教えるのは、本当に大変な作業です。真剣に教えようとすると、非常に多くのエネルギーを吸いとられてしまいます。リヒテルもそれを嫌っていたのではないでしょうか。

Richter1201.jpg   今でもリヒテルを尊敬していますか?
メルニコフ もちろん尊敬しています。しかし、時代が変わりましたし、私も歳をとりました。かつてはものすごく大きな影響を受けていましたが、今は昔ほど感じなくなりました。まったく影響がなくなったわけではありませんが。
 リヒテルはいつも「楽譜を正確に読みなさい」「作曲家に忠実でありなさい」ということを強調していたので、私もそう思いながら勉強していました。ただ、同じ曲を弾いても、演奏家によって解釈が異なりますし、実際の演奏も一人ひとりスタイルが違いますよね。最近は「それでいいのだ」と思うようになったのです。

  それは、古楽器との出会いも影響しているのでしょうか?
メルニコフ 繰り返しになりますが、時代が変わった、ということです。情報が豊富にあり、それを誰でも自由に入手できます。世界中の様々な演奏を聴くことができます。それによって、私自身のスタイルも変わっているのです。

ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》
大曲を弾くむずかしさ、聴くむずかしさ

  ショスタコーヴィチの《24の前奏曲とフーガ》は、よく演奏しているのですか?
メルニコフ はい。《24の前奏曲とフーガ》は、現在、私の"名刺代わり"と言っていい作品です。2010年にこの曲を録音してから4年ほど経ちましたが、ショスタコーヴィチを弾いて欲しいというリクエストも増えてきて、世界中で演奏しています。ただ、最近は「もうそろそろいいかな・・・」と思いはじめています(笑)。
 これは私の性格なのですが、ひとつのことだけでなく、いろいろなことをやってみたいのです。これだけたくさん演奏していると、他の曲にも挑戦したくなってきます。もちろん、《24の前奏曲とフーガ》は今でも大好きですし、いったん忘れてしまうと、なかなか思い出せないような複雑な作品ですから、これからも折に触れて弾いていくとは思います。

  約3時間を要する大作ですが、聴きどころなどはありますか?
メルニコフ むずかしい質問ですね(笑)。では、私の次のような体験を答えの代わりにお話ししたいと思います。以前、ミハイル・プレトニョフが長いブランクを経て、ピアニストとして復帰したときのコンサートを聴きました。その公演でプレトニョフは、オーケストラと2つ協奏曲を演奏したあと、アンコールとしてスクリャービンの《24の前奏曲》を弾いたのです! 40分はかかる曲ですよ! 彼はアンコールを弾く前に「今からスクリャービンの《24の前奏曲》を弾きますが、途中で疲れた方は、いつでもお帰りになって結構です」と挨拶しました(笑)。
 私は同じ言葉を、ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》の公演に来る方にもお伝えしたいと思います(笑)。

  結局、プレトニョフの演奏は最後まで聴いたのですか?
メルニコフ もちろんです。その公演は、私がこれまでに聴いたピアノのなかでも特に強い印象を残したもののひとつです。たしかそのとき、プレトニョフは7年ほどピアノ・コンサートから遠ざかっていたはずです。その公演は、ピアニストのニコライ・ルガンスキーも一緒に聴いていて、「我々は多くの偉大なピアニストの演奏に接してきたけど、どんな人にも好不調の波があった。しかしプレトニョフは、多くの人が待ち望んでいたこの日のために、以前にも増して格段に素晴らしい演奏を披露してくれた。いったい彼はどんな精神の持ち主なのだ!」と二人で驚嘆したものです。今でもあの演奏の全ての音が頭のなかに入っていて、何度でも噛みしめて味わいたくなります。それくらい見事なコンサートでした。

ショパン《24の前奏曲集》
ショパンが《前奏曲》を作曲した理由

  ショパンの《24の前奏曲集》は、J.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》からの影響が指摘されています。しかし、ショパンとバッハは、音楽的になかなか結び付きにくいと思うのですが・・・。
メルニコフ たしかに二人の音楽はまったく異なっています。ただ、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》は、練習曲のような作品ですから、例えば「宗教曲」などバッハの他の作品とは少し違って、演奏家のレパートリーから外れることがなかったと思うのです。そういう意味で、ショパンはもちろん、それ以外の演奏家・作曲家の側にずっとあり続けた作品だと言えるのではないでしょうか。

ドビュッシー《前奏曲集 第1&2巻》
まずは音楽に耳を傾けよう

  ドビュッシーの《前奏曲集》に対する想いを聞かせてください。
メルニコフ ドビュッシーの《前奏曲集》を聴くとき、大切なことがあります。この曲集は1曲ごとにタイトルがついていますが、それは楽譜のなかでは各曲の終わりに置かれています。つまり、先に音符(音楽)があって、最後にタイトル(言葉)がくるのです。そのことについて、リヒテルが交響詩《海》を例に挙げて、上手に説明してくれました。「ドビュッシーの《海》は、本物の海を見るよりも、もっと強い印象を我々に与えてくれる」と。
 つまり、ドビュッシーの《前奏曲集》を聴く人はタイトルに目が行きがちですが、まずは音楽に耳を傾けて、そのあとで言葉を見るようにして、作品から受ける印象を大切にして欲しい。願わくは、(タイトルなど)何も知らない状態で、ドビュッシーの素晴らしい音の表現力に接して、「この音楽は何を表現しているのだろうか?」と想像力を働かせて、感じていただきたいのです。
~関連公演~

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