HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/03/16

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
「三つ子の魂百まで」甘美な美しさをたたえたリヒャルト・シュトラウスの音楽

文・小味渕彦之(音楽学、音楽評論)
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 リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)と言えば、《ドン・ファン》speaker.gif [試聴]《ドン・キホーテ》speaker.gif[試聴]《英雄の生涯》speaker.gif[試聴]など、壮麗なオーケストラの響きが魅力的な交響詩の数々が頭に浮かびます。《ツァラトゥストラかく語りき》speaker.gif[試聴]の冒頭部分は、映画『2001年宇宙への旅』で使われて有名になりました。ただし、これは一つの限られた側面です。交響詩を手がけたのは30歳代までで、40歳代以降には充実したオペラの創作が続きます。《サロメ》speaker.gif [試聴]《エレクトラ》speaker.gif [試聴]で聴くことのできるゴージャスな響きは、交響詩の作風の延長線上でしたが、続く《ばらの騎士》speaker.gif[試聴]で退廃的な魅惑の世界に方向転換し、最終的には15作のオペラを残します。R. シュトラウスが活躍したのは、長く西洋の音楽の基本的な仕組みであった調性音楽が崩壊して行く、19世紀後半から20世紀前半という混迷した時代でした。そんな中で、歴史遺産のように甘美な美しさをたたえて、黄昏時の淡い光のような茫洋たる風景が、彼の音楽には横たわっています。

 このように、後期ロマン派の濃厚な表現の中で自由に作曲活動を展開していたような印象のあるR.シュトラウスですが、実は幼年期には古典派以外の音楽を聴くことが許されなかったそうです。これはミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者であった父親の保守的な方針とのこと。十代の後半に書いた初期作品《チェロ・ソナタ》speaker.gif[試聴]《ヴァイオリン協奏曲》speaker.gif[試聴]《ホルン協奏曲 第1番》speaker.gif[試聴]などには、こうした教育の成果がよくあらわれています。もちろん、好奇心旺盛なリヒャルト少年は成長するにつれ、同時代の音楽が持つ「禁断の」響きに魅了されることになりました。ワーグナーにも夢中になります。ただしどの時期の作品でも、無調の世界には足を踏み入れることがありませんでした。どんなに奔放な音楽を書こうとも、ぎりぎりのところで踏みとどまっていたのです。もしかすると、子供の頃に骨の髄まで叩き込まれた様式感が歯止めになっていたのかもしれません。


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