春祭ジャーナル 2014/03/05
ワーグナー vs バッハ
「東京・春・音楽祭」の主役ともいえるワーグナーと、 各公演に登場する主な作曲家たちを対決させる連載コラム第5弾、今回は音楽の父J.S.バッハが登場です。

人生とは旅であり、旅とは人生である、というのはサッカーを引退する際に残した中田英寿元選手の言葉だが、バッハとワーグナーも旅人としての人生を送った音楽家である。
バッハはアイゼナハに生まれ、ワイマール、アルンシュタット、ミュールハウゼン、ケーテン、ライプツィヒと様々な土地で職務を得た。ワーグナーも若き日にはヴュルツブルク、マクデブルク、ラウフシュテット、ケーニヒスベルク、リガと各地を遍歴しながら修業時代を送った。一カ所にとどまることなく見聞を広めたことは、音楽家にとって大きな財産となったにちがいない。
なかでも印象深い大旅行がある。
1705年、20歳のバッハは先達ブクステフーデのオルガン演奏を聴くために、アルンシュタットからリューベックまでの徒歩旅行を敢行した。その距離はなんと約400km。4週間の休暇を申請して出かけたバッハだが、リューベックには3カ月も滞在してしまう。
約400kmといえば、フルマラソン10回分ほどの距離である。徒歩にするとどれほどの長旅だろうか。当時と今では条件が異なるだろうが、Googleマップで「徒歩経路」を指定して無理やり経路検索すると、アルンシュタットからリューベックに至るきわめて詳細な道のりが出てくる。Google先生によれば総計77時間の道のりだとか。この気の遠くなるような詳細な案内図に従って追体験をしたいとは思わない。
一方、ワーグナーの大旅行は「夜逃げ」だ。1839年、借金漬けとなっていた26歳のワーグナーは、リガからパリへの大旅行へ向かう。借りた金は踏み倒し、旅費もないまま最初の妻ミンナとともに国境へ向かった。ワーグナーは衛兵の目をかすめて国境を強行突破し、バルト海沿岸の港町ビラウにたどりつき、そこからはコペンハーゲン経由ロンドン行きの貨物船に乗りこんで密航した。船は激しい嵐に見舞われ、ワーグナー夫妻は九死に一生を得て、ロンドンにたどりつき、さらにパリに新天地を求めた。
貨物船で体験した嵐は、後に「さまよえるオランダ人」[試聴]を作曲する際のヒントになったというのだから、旅が人生にどんな実りをもたらしてくれるものなのか、想像もつかない。まさに人生は旅であり、旅とは人生なのだろう。
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