HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2014/02/12

ようこそハルサイ〜クラシック音楽入門~
どちらもベートーヴェン!

文・小味渕彦之(音楽学、音楽評論)
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)と聞いて、多くの人が思い浮かべるのが、髪を振り乱し、目は中空を見据え、楽譜のノートを片手にペン持ってポーズをとる肖像画でしょう。1819年に、フランクフルトの実業家であるフランツ・ブレンターノ、または夫人のアントーニエ(1812年に書いた「不滅の恋人」への手紙を宛てた女性)が、肖像画家として知られたヨーゼフ・シュティーラーに発注したものでした。耳が不自由だったベートーヴェンが使っていた「筆談帳」によれば、1820年の2月、もしくは3月に、シュティーラーのアトリエへ出向いています。この肖像画が50歳を迎える作曲家の風貌をどこまで写し取っているのかはわかりませんが、「大きな苦難を乗り越え、傑作を生み出す」というイメージに最も近いのは確かでしょう。絵の中で手にするスケッチ帳には、《ミサ・ソレムニス》speaker.gif [試聴]と書かれています。ちょうどこの大作に取り組んで、1年ほどが過ぎた時期でした。最後の3つのピアノ・ソナタ(ピアノ・ソナタ 第30番~第32番 speaker.gif [試聴])も、1820年から22年と同じ時期に手がけています。「交響曲第9番《合唱付き》speaker.gif [試聴]」は1824年に完成しました。

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ベートーヴェンはハイドンやモーツァルトと共に、ウィーン古典派の作曲家として分類されます。ただし、これらの作品群が書かれた晩年には、後の時代であるロマン派の音楽を先取りした孤高の様式を確立していたと考えるのが、今日では一般的です。作風は時代ごとに大きく変化していて、例えば、1796年作曲の「チェロ・ソナタ 第2番 speaker.gif [試聴]」には快活な歩みが響いていますし、1802年作曲の「ピアノ・ソナタ 第17番《テンペスト》 speaker.gif [試聴]」には、ほのかにロマンティックな色合いが薫ります。1802年は、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いて、音楽の創造へと向う強い意志を自覚した年でもありました。髪を振り乱したベートーヴェンはまだ存在していません。同じ年にクリスティアン・ホルネマンが象牙板に書いたミニチュア画には、意気揚々たる32歳の作曲家の容姿が写し取られています。



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