PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭2019

東京春祭 歌曲シリーズ vol.16エリーザベト・クールマン(メゾ・ソプラノ)

実力と美貌で「第3のプリマドンナ」としてネトレプコ、ガランチャ に並びウィーンで話題を集め、一躍世に認めらたクールマン。いまや ヨーロッパを代表するメゾ・ソプラノのひとりとして人気絶頂の彼女が 東京春祭でリサイタル。世界中の劇場が待ち望む美声をこの春、東京で。

プログラム詳細

2015:04:11:19:00:00

■日時・会場
2015.4.11 [土] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール

■出演
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・クールマン
ピアノ:エドゥアルド・クトロヴァッツ

■曲目

リスト:
 私の歌は毒されている S289
 昔、テューレに王がいた S278

ワーグナー:
 《ヴェーゼンドンク歌曲集》 より
  温室にて
  悩み
  夢
 エルダの警告~逃れよ、ヴォータン(舞台祝祭劇《ラインの黄金》 より)

リスト:
 私は死んだ (《愛の夢》第2番 S541-2 ) (ピアノ・ソロ)

グルック:
 ああ、われエウリディーチェを失えり
 (歌劇《オルフェウスとエウリディーチェ》 より)

リスト:
 愛し合うことは素晴らしいことだろう S314

シューマン:
 彼に会ってから (《女の愛と生涯》 op.42 より)

リスト:
 われ汝を愛す S315

シューマン:
 私にはわからない、信じられない (《女の愛と生涯》 op.42 より)
 満足 (《子供の情景》 op.15 より)(ピアノ・ソロ)
 やさしい友よ、あなたは見つめる (《女の愛と生涯》 op.42 より)
 私の心に、私の胸に (《女の愛と生涯》 op.42 より)

シューベルト:
 子守歌 D.498

シューマン:
 あなたは初めての悲しみを私に与えた (《女の愛と生涯》 op.42 より)

シューベルト:
 夜の曲 D.672
 死と乙女 D.531
 精霊の踊り D.116
 小人 D.771

[アンコール]
リスト:3人のジプシー
日本歌曲:さくらさくら(三ツ石潤司 編曲)
リスト:愛とは?


エリーザベト・クールマンが出演するその他の公演
東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.6
『ニーベルングの指環』第1日《ワルキューレ》
 

出演者

エリーザベト・クールマン Elisabeth Kulman エリーザベト・クールマンは、同世代を代表するメゾ・ソプラノ歌手、アーティストと見なされている。聴衆や評論家に、舞台におけるカリスマ的な存在感や多彩な音楽性とともに、そのかけがえのない表現豊かな声によって、説得力に富んだ印象を与えている。
▼続きを見る オーストリア出身のクールマンは、ウィーン国立音楽大学に学んでヘレナ・ラザルスカに師事し、優秀な成績で課程を修めた。まずフォルクスオーパー、それからウィーン国立歌劇場で頭角をあらわし、「聴衆のお気に入りナンバーワン」(『プレス』紙)にまで急速にのぼりつめた。イタリア語・フランス語・スラヴ語・ドイツ語の役に通じると同時に、自らの引き出しに頼ることなく、練り上げられた解釈をもって、常に新しい物差しを用いている。世界的なオペラの舞台で演じた重要な役どころとしては、《カルメン》カルメン、《ワルキューレ》フリッカ、《神々の黄昏》ヴァルトラウテ、《トリスタンとイゾルデ》ブランゲーネ、《サロメ》ヘロディアス、《ファルスタッフ》クイックリー夫人、《仮面舞踏会》ウルリカ、《ボリス・ゴドゥノフ》マリーナ、《こうもり》オルロフスキー等が挙げられる。ドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》スメトンのズボン役では、アンナ・ネトレプコ、エリーナ・ガランチャに次いで「第3のプリマドンナ」として世に認められた。2010年のザルツブルク音楽祭では、グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》オルフェオで、リッカルド・ムーティ指揮のもと、熱狂的に歓迎されたデビューを飾ったが、この役はすでに05/08年にパリ国立オペラで歌ったものであった。クールマンの演技の幅の広さは、バロック・オペラであるジョヴァンニ・レグレンツィ《イル・ジュスティーノ》のタイトル・ロールで一度ならず証明されている。これは07年シュヴェツィンゲン音楽祭で上演され、専門誌『オペルンヴェルト』の評論家アンケートにおいて「再評価すべきオペラ・オブ・ザ・イヤー」を得る結果となった。とりわけ注目を浴びたのは、2010年ウィーン国立歌劇場におけるアリベルト・ライマン《メデア》世界初演でのゴラ役である。
オペラと並んでコンサートの分野にも、音楽活動の重点を置いている。世界的にも高く評価されているソリストとして、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、バンベルク交響楽団、南西ドイツ放送交響楽団、ベルリン放送交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン等のオーケストラや、ニコラウス・アーノンクール、ズービン・メータ、クリスティアン・ティーレマン、マレク・ヤノフスキ、フランツ・ウェルザー=メスト、トーマス・ヘンゲルブロック、ミヒャエル・ギーレン、セバスティアン・ヴァイグレといった指揮者と定期的に共演している。
またクールマンは、リート歌唱にも非常な熱意を寄せている。この多彩な顔を持つ歌い手は、古典的な「リートの夕べ」のかたわら、世界的なジャズ・カルテットと「ムソルグスキー Dis-Covered」、アマルコルド・ウィーンと「マーラーの歌曲」等、従来の型にはまらないプロジェクトを実現させている。このプログラムはどちらもCD化され、いくつもの賞を受賞している。11年にはピアノ奏者エドゥアルト・クトロヴァッツとリストのCDを発表し、12年にはバンベルク交響楽団とハンス・ゾマーのオーケストラ歌曲、またロシア人ピアノ奏者キリル・ゲルシュタインとムソルグスキーの歌曲集《子供部屋》を初録音した。13年には、ルツェルン郊外のトリプシェンにあるワーグナー自身のピアノを用いて、「アルテ(arte)」放送のためにワーグナー《ヴェーゼンドンク歌曲集》の映像を撮影した。同年、クールマンは最新プロジェクトであるフル・オーケストラとソリストのための「Hungaro Tune(ハンガリーの歌曲)」をウィーン楽友協会で上演したが、これはハンガリー音楽とその受容に貢献した。

©Julia Wesely
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エリーザベト・クールマン Elisabeth Kulman

ピアノ:エドゥアルド・クトロヴァッツ Piano:Eduard Kutrowatz 音楽家として、常に多方面で重要な活躍を見せている。ピアノを学んだだけでなく、打楽器や合唱にも長年注力している。 フランツ・ルップ、カール・ウルリッチ・シュナーベルのもとで学ぶ。1987年より、ウィーン音楽院大学にて、パフォーミングアーツを教える。 兄ヨハネスとピアノデュオを結成、国際音楽祭やコンサートホールで演奏し、成功をおさめていることでも知られる。▼続きを見る 歌手、合唱、また様々な形で室内楽に関わっており、 ピアニストとしての活動においても重要な挑戦をしている。 アンゲリカ・キルヒシュラーガー、エリーザベト・クールマン、イイディコ・ライモンディ、ジュリアン・バンス、アニャ・シルヤ、アドリアン・エレート、ロバート・リッペルトといった歌手の伴奏のほか、ウィーン室内合唱団、ロシアのノヴォシビリスク室内合唱団にも関わる。 ソリストとして、また指揮者として、ウィーン・コンツェルト・フェライン、ウィーン放送交響楽団、クラメラータ・バルティカ室内弦楽奏団、ジェール・フィルハーモニー管弦楽団、新ソウル・フィルハーモニー管弦楽団、ノヴォシビリスク室内合奏団、東京フィルハーモニー管弦楽団などと共演している。 近年では、作曲家としての活動も本格化させている。 ヨハネスと共に、ライディングのリスト音楽祭、山中湖国際音楽祭の芸術監督をつとめている。

©Ferry Nielsen
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ピアノ:エドゥアルド・クトロヴァッツ Piano:Eduard Kutrowatz

■曲目解説

 リストの歌曲「私の歌は毒されている」は1842 年、ハイネの詩に付曲。冒頭の不協和音から不安な緊張に満ちている。「昔、テューレに王がいた」は、文豪ゲーテの詩による1842年の作。『ファウスト』第1部、ヒロインのグレートヒェンが語るテューレの王様のエピソードで、哀愁ただよう旋律が印象的。
 ワーグナーの《ヴェーゼンドンク歌曲集》は、パトロンだった実業家ヴェーゼンドンクの妻マティルデから贈られた 5 つの詩を用いて1857年に作曲。その第3曲「温室にて」は、かなわぬ望みを温室の植物に託して歌う。第4曲「悩み」は、沈みゆく太陽に自らの気持ちをなぞらえる。第5曲「夢」は、《トリスタンとイゾルデ》の第2幕“愛の二重唱”にその楽想が転用された曲で、恋の切なさが果敢ない夢に喩えられて静かに幕を下ろす。1869年に初演された《ラインの黄金》の第4場で歌われる「逃れよ、ヴォータン」では、知の女神エルダが指環に固執する主神ヴォータンに「指環を手放し呪いを避けよ」と警告を発する。
 リストは自作の歌曲3つをピアノ独奏用に編曲し、《愛の夢》(「3つの夜想曲」)としてまとめた。第2曲の原曲「私は死んだ」は、ウーラントの詩によって1845年頃に書かれた歌曲で、愛のなかに甘美な死を見出す内容となっている。
 《オルフェウスとエウリディーチェ》は、18 世紀にウィーンとパリで活躍したグルックの代表作。「ああ、われエウリディーチェを失えり」は、第3幕第1場で歌われる有名曲。冥府から妻エウリディーチェを連れ戻す途上、オルフェウスは禁を破って後ろを振り返ってしまい、再び妻を失う。深い後悔の念が心を打つアリアである。
 リストの歌曲「愛し合うことは素晴らしいことだろう」は、レトヴィッツの詩による1857年の作。清らかな陶酔感のある旋律は、リストの生前から愛唱されたという。
 1840年はシューマンの「歌の年」と呼ばれ、代表的な歌曲のほとんどが生み出された。連作歌曲集《女の愛と生涯》も同年の作で、ドイツの作家シャミッソーの詩による全8曲からなり、一人の女性の恋の出会いに始まり、結婚・出産、夫との死別までを描く。その第1曲「彼に会ってから」は、初々しい恋の予感を歌 っている。
 リストが 1857年に付曲した「われ汝を愛す」は、訥々と愛の言葉が繰り返されるリュッケルトの詩をもとに、素朴な抒情を奏でる。
 シューマン《女の愛と生涯》の第3曲「私にはわからない、信じられない」は、恋に夢中になっている女性の気持ちを歌う。1838年のピアノ曲集《子供の情景》(全13曲)は、30歳を目前に充実期を迎えたシュ ーマンの名曲が詰まっている。その第5曲「満足」は、幸せに満ちた子供の気持ちを表現している。「やさしい友よ、あなたは見つめる」は《女の愛と生涯》の第6曲。恋が成就し、婚礼を経て、お腹に新しい命が宿ったことを夫に打ち明ける。続く「私の心に、私の胸に」も《女の愛と生涯》の一篇(第7曲)で、愛しい子に対する母の喜びがあふれている。
 日本でもよく知られたシューベルトの「子守歌」は1816年、シューベルトが19歳のときに作られた(作詞者は不詳)。
 シューマン《女の愛と生涯》の終曲(第8曲)「あなたは初めての悲しみを私に与えた」では、夫に先立たれた寡婦の孤独が歌われる。歌唱が終わった後奏で第1曲の伴奏が現れ、遠い恋の始まりを回想する。
 シューベルトが1819年に作曲した「夜の曲」は、親しい友人でもあったマイルホーファーの詩を用い、老人が迎える穏やかな死を歌う。「死と乙女」は1817年に書かれた作品。クラウディウスの詩により、死を怖れる乙女と彼女を甘い言葉で誘う死神との対話からなる。1814年作の「精霊の踊り」は、マティソンの詩をもとに墓所に跳梁する精霊(幽霊)を描く。1822年頃の作である「小人」は、幻想怪奇に彩られたコリンの詩に付曲している。


主催:東京・春・音楽祭実行委員会 後援:オーストリア大使館
※未就学児のご入場はご遠慮いただいております。
※やむを得ぬ事情により内容に変更が生じる可能性がございますが、出演者・曲目変更による払い戻しは致しませんので、あらかじめご了承願います。
※チケット金額はすべて消費税込みの価格を表示しています。
※ネットオークションなどによるチケットの転売はお断りいたします。

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