HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/03/22

【連載vol.3】
驚異のヘルデンテノール、多彩な才能を聴く
〜ロバート・ディーン・スミスへの期待

文・加藤浩子(音楽評論家)

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 ロバート・ディーン・スミスは、驚嘆すべき歌い手である。

 1997年にバイロイト音楽祭にデビューして以来、同音楽祭の常連として華々しく活躍しているのは、ワーグナー・ファンならご承知の通り。他の歌劇場からのオファーも絶えず、ほぼ20年近く第一線で活躍している。これだけでも十分に驚異的だが、とりわけ2008年のメトロポリタン歌劇場へのデビューは語り草になっている。この時ディーン・スミスは、急病のベン・ヘップナーに代わって《トリスタンとイゾルデ》の主役を依頼され、大成功を収めたのだ。その映像はライブビューイングとして映画館でも配給されたが、くせがなく伸びやかで豊かな声、驚異的なスタミナ、表現の幅の広さ、美しいドイツ語のディクションに圧倒された記憶がある。

 だがスミスの活躍は、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスといった後期ロマン派のドイツ・オペラにとどまらない。イタリア・オペラのドラマティックな役柄でも、それに劣らない成功を収めているのだ。最近も、ワーグナーやシュトラウスの諸役と並んで《蝶々夫人》のピンカートンや、《アイーダ》のラダメスといった役で絶賛され、近く《オテロ》の主役デビューも予定されている。

 このようなバランスのとれた活動は、彼の本領たるワーグナーの歌唱にも、いい効果を与えているのではないだろうか。実際スミスはあるインタビューで、イタリア・オペラを歌うことは、彼にとってペースを変えるという点でとてもいいことだ、と語っている。 アメリカ出身で、声に独特の明るさがあるスミスは、ピッツバーグ大学で複数の教師に指導を受け、キャリアの初期にはドイツの歌劇場の専属歌手としてさまざまなレパートリーを身につけた。このようなキャリアを上手くこなしてきたことが、彼のバランスのとれた理想的な活動に結実しているように思える。

 筆者がイタリア・オペラの歌い手としてのスミスに惹かれたのは、新国立劇場で、《運命の力》のタイトルロールに接した時である。初演でこの役を歌った強靭な声のテノールにあわせたため、イタリア・オペラのもっともドラマティックなテノール役のひとつになった主役のドン・アルヴァーロは、ワーグナー・テノールによって歌われることがかなり多い。そのなかには正直なところ、イタリア的な美感や言葉のディクションの点で物足りないテノールもいる。だが、ディーン・スミスは違った。高い技術のもとでよくコントロールされ、安定した声は豊饒で、イタリア的な明朗さが宿り、発声も整って言葉の響きが美しい。特筆すべきなのは、この役に必要な暗い情熱を意欲的に表現し、作品の主題や美学を明確に理解していたことだ。幅が広いと同時に知性と洞察力を備えた歌手であることがよくわかったのである。

 スミスが自分の声を理解し、大切にする知的な歌手であることは、彼の生活ぶりからも想像できる。現在、スイスのイタリア語地域に住んでいるスミスは、もと歌手だった妻の指導のもと、声を徹底的に大事にし、公演中は過度な付き合いやしゃべることを避けているという。だからこそ、驚異的なキャリアを続けていられるのだろう。

 今回の「東京・春・音楽祭」でも、ディーン・スミスの活躍ぶりはずば抜けている。《ワルキューレ》はもちろん、ベルリオーズの《レクイエム》、そして歌曲シリーズへの登場と、まさに八面六臂。リサイタルのプログラムも、《ヴェーゼンドンク歌曲集》からイタリア歌曲まで、雰囲気も歌の構造も異なる作品が網羅されている。シェーンベルクの《2つの歌》作品1など、あまり聴く機会のない作品が聴けるのも嬉しい。歌い盛りの歌手が選んだ「歌の森」を体験できる、願ってもないリサイタルである。


【連載vol.1】星降る夜に〜「東京春祭 歌曲シリーズ」の魅力
【連載vol.2】才色兼備のプリマが紡ぐ特別な一夜〜エリーザベト・クールマンへの期待

〜公演情報〜
東京春祭 歌曲シリーズ
vol.15 ロバート・ディーン・スミス(テノール)
vol.16 エリーザベト・クールマン(メゾ・ソプラノ)

東京春祭ワーグナー・シリーズ vol.6
『ニーベルングの指環』第1日《ワルキューレ》(演奏会形式/字幕・映像付)

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.2
ベルリオーズ 《レクイエム》~都響新時代へ、大野和士のベルリオーズ



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