HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/03/04

【連載vol.2】
才色兼備のプリマが紡ぐ特別な一夜
〜エリーザベト・クールマンへの期待

文・加藤浩子(音楽評論家)

 それは、不思議な声だった。

 地底から沸いてくるようでもあり、天から降ってくるようでもある。遠くから届いてくるようでもあり、耳もとで歌われているようでもある。深く、艶があり、澄んでいるのに、女らしい。そして、深紅のヴェルヴェットのような、色と手触りを感じさせる声。

 昨年の「東京・春・音楽祭」。音楽祭のメインイヴェントである、ワーグナー『ニーベルングの指環』の序夜、《ラインの黄金》で、ヴォータンに忠告する女神エルダを歌ったエリーザベト・クールマンの声に接した筆者は震撼した。奇跡のような声だと思ったからだ。出番の短いエルダ役であることが恨めしかった。

©Marija Kanizaj
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 だから今回、クールマンが「歌曲シリーズ」に登場してくれることを知って、小躍りしている。彼女の魅力にどっぷり浸れる一夜があるのは、とても嬉しい。

 実はクールマンのリサイタルは、今の声楽界でもっとも切望されるリサイタルのひとつである。日本ではまだそれほど知られていないかもしれないが(筆者も昨年の衝撃の出逢いまで彼女の実演に接したことがなかったので、不勉強でお恥ずかしいかぎりだが)、彼女はまさに、今を時めく歌手の一人であるからだ。ただ声が美しく、歌がうまく、容姿に恵まれているというだけではない。クールマンはおそらく、今の時代が生んだ、もっとも知的で魅力的な歌手のひとりなのである。

 オーストリア出身、ハンガリー国境に近いブルゲンラントで生まれたクールマンは、2001年、ウィーンのフォルクスオパーで、《魔笛》のパミーナ役を歌ってオペラの舞台にデビューした。役柄からわかるように、ソプラノとしてスタートを切ったわけだが、後にメッゾ・ソプラノに転向。《フィガロの結婚》のケルビーノから、《カルメン》のタイトルロール、ワーグナーの諸役まで幅広いレパートリーで活躍している。とりわけここ2、3年はワーグナーのオペラで評価され、ドイツの権威あるオペラ誌『オペルンヴェルト』で、2013−14シーズンのベスト歌手のひとりに選ばれた。

 美しいレガート、整ったディクション、カンタービレに富んだ歌のうまさはもとよりだが、彼女の舞台には「華」がある。2013年のザルツブルク音楽祭で、《ファルスタッフ》のクイックリー夫人役を歌った映像があるが、貫禄のあるオバサン(失礼!)風の歌手が歌うことが多いこの役が、クールマンが歌うと華やかでコケティッシュな女性になってしまうので驚いた。それでいて、違和感はまったくないのだ。クールマンは、役柄を自分の一部にしてしまう才能を持っている。

©Julia Wesely
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 天から授かったものに磨きをかけることについて、クールマンは貪欲だ。インタビューなどを読むと、彼女が飽くことを知らない向上心と知性の持ち主であることが分かる。数年前、不慮の事故で声帯を傷つけて3ヶ月間の休養を余儀なくされたときも、絶望せず、「20年ぶり」の「休暇」だと受け止めて、読書や自己洞察にあてたという。その結果「私はいっそう落ち着き、自分の目的がわかるようになった」(『Kurier』誌のインタビューより)。

 仕事上のアイデアが「たくさんあり」、自分の振幅が「とても広い」と語るクールマン。そんな彼女が、オペラと並んで歌曲リサイタルに情熱を注ぐのは分かるような気がする。通常の形式のリサイタルにとどまらず、アマルコルド弦楽四重奏団と共演したマーラーの歌曲や、ヴェルディとワーグナーの「セレナード」をテーマにしたコンサートなど、アイデア豊富な彼女らしい試みも好評だ。今やクラシック界に欠かせないメインストリームである古楽のレパートリーも幅広く、アーノンクールやヘンゲルブロックら、この分野の巨匠ともたびたび共演している。

 日本初となる今回のリサイタルでは、クールマンの魅力がたっぷり堪能できるプログラムが組まれている。シューベルトやシューマンの有名歌曲から、パリ・オペラ座で歌って以来得意としている《オルフェオとエウリディーチェ》のアリア、ワーグナーの《ヴェーゼンドンク歌曲集》まで。さらに、昨年聴衆を魅了した《ラインの黄金》の〈エルダの警告〉も聴けるというのだから贅沢なかぎりだ。小ホールの親密な空間で、ピアノとともに紡ぎ出されるエルダの歌は、大オーケストラを突き抜けて響いた昨年とはまた別の趣があるのではないだろうか。昨年聴いた方も、今年初めての方も、必聴である。


【連載vol.1】星降る夜に〜「東京春祭 歌曲シリーズ」の魅力

〜公演情報〜
東京春祭 歌曲シリーズ
vol.15 ロバート・ディーン・スミス(テノール)
vol.16 エリーザベト・クールマン(メゾ・ソプラノ)



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