PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2017-

東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ vol.4忘れられた音楽――禁じられた作曲家たち
〜《Cultural Exodus》 証言としての音楽

人種、宗教、思想など、様々な政治的・社会情勢を理由に、その活動を制限されながらも激動の時代を生きた作曲家たちは、Cultural Exodus――文化的難民とも呼ばれてきました。20世紀初頭のヨーロッパ、当時の混乱した時代の証言を、亡命音楽研究の第一人者であるゲロルド・グルーバー氏による解説を交えながら、彼らが遺した芸術と時代を考察していきます。

プログラム詳細

2017:03:20:15:00:00

■日時・会場
2017.3.20 [月・祝] 15:00開演(14:30開場)
上野学園 石橋メモリアルホール

■出演
企画構成:ゲロルド・グルーバー(ウィーン国立音楽大学教授)ウルリケ・アントン
フルート:ウルリケ・アントン
プレシャス カルテット
 ヴァイオリン:加藤えりな古川仁菜
 ヴィオラ:岡さおり
 チェロ:小川和久
ピアノ:川﨑翔子
お話:ゲロルド・グルーバー

■曲目
フロトホイス:オーバード op.19a
H.ツィッパー:弦楽四重奏のための幻想曲 《経験》
バルトーク(P.アルマ編):ハンガリー農民組曲 [試聴]
M.ヴァインベルク:フルートとピアノのための12の小品op.29 より [試聴]
H.ガル:フルートと弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ op.82

* 当初発表の曲順より一部変更となりました。

【試聴について】
[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。



~春祭ジャーナル~


チケットについて

■チケット料金(税込)

席種 S席 A席 U-25
料金 ¥3,600 ¥2,100 ¥1,500

 ■発売日
  一般発売:2016年11月27日(日)10:00

  ※ U-25チケットは、2017年2月10日(金)12:00発売開始
   (公式サイトのみでの取扱い)


 ■上野学園 石橋メモリアルホール

■曲目解説

ゲロルド・グルーバー(exil.arte 創設者、ウィーン国立音楽大学 exil.arte Center センター長)

ヒトラー勢力の台頭、そしてそれに続く1938年3月のドイツ・ナチスによるいわゆる「オーストリア併合(アンシュルス)」のあと、組織的な脅威や追放により、多くの同胞である市民が人権をはく奪されました。オーストリアやドイツだけでなく、ヨーロッパの多くの人々が故国を去らねばならず、強制収容所で拷問や死にさらされたのです。ナチの文化的な暴虐によって彼らの創造的な行為は何十年もの間、沈黙させられました。もし我々がこれらの作品を忘れ去られるがままにしておくならば、強制収容所を支持した連中や、ナチを信奉し喧伝する連中の目的を達させることになるでしょう。ここにエクシール・アルテは忘却と抑圧に激しく抗議します――たんにナチの暴虐をあらゆる点で失敗させるためだけでなく、文化的な遺産は、魅力的かつ素晴らしい作品の尽きることない源を生み出すからです。およそ10,000ものあらゆるスタイルの音楽作品が忘却へと消えていったようですが、エクシール・アルテはそれらの非常にクオリティの高い作品をレパートリーとして復元しようとしています。

このコンサートには、非常に異なった作曲家とスタイルが含まれます。まずはフルート独奏のための小品「オーバード」ですが、これはマリウス・フロトホイス(1914-2001)の美しい音楽への素晴らしい導入となるでしょう。私が最初にフロトホイスを知ったのは、まだウィーンで学生だった頃ですが、彼のクラシック音楽、特にモーツァルトにおける学識には夢中になったものです。彼は音楽学において偉大な学者でしたが、1942年にオランダを占領したドイツ人たちによって投獄されたときのことは決して語ろうとしませんでした。彼の音楽は、管弦楽や室内楽から、ピアノや合唱のための作品まで幅広いものでした。

ヘルベルト・ツィッパー(1904-97)は、ウィーン芸術音楽アカデミー(現・ウィーン国立音楽大学)で学び、当時すでに将来を嘱望された作曲家及び指揮者のひとりでした。しかし彼はダッハウ強制収容所に入れられてしまいます。そこで彼はあの有名な「ダッハウの歌」を作曲し、オーケストラを組織します。彼は幸運にもその残酷な収容所から出ることができました。そしてアジア(主にフィリピン)へと逃れ、マニラ交響楽団の指揮者となりました。第二次世界大戦後、彼はアメリカに行き、南カリフォルニア大学の芸術学校のプロジェクト監督となりますが、依然としてアジア諸国の音楽教育プロジェクトを行なっていました。「弦楽四重奏のための幻想曲《経験》」は、彼の故郷ウィーンに対する私的で情緒的な絆の、畏敬の念すら抱かせる感動的な記録といえます

ベーラ・バルトーク(1881-1945)は、おそらくこのコンサートで最も知られた作曲家でしょう。しかし愛する故国ハンガリーがナチス・ドイツと同盟を組んでファシストの国となったために、故国を去らねばならなかったことを知る人は少ないと思います。「ハンガリー農民組曲」は、美しい景観、田園と自然に対する彼の愛が詰まった素晴らしい作品例です。

ミェチスワフ・ヴァインベルク(1919-96)は、ユダヤ系ポーランドの作曲家です。彼の一族は1903年及び1905年の「キシナウ・ポグロム(キシナウにおけるユダヤ人虐殺)」において、反ユダヤ主義の暴動の犠牲となりました。ヴァインベルクは12歳でワルシャワ音楽院に学び、第二次世界大戦の開始とともに中央アジアのタシケントへと疎開させられました。その頃、ショスタコーヴィチもまたタシケントを訪れて、二人の作曲家は親交を深めました。特にヴァインベルクの義父が殺され、スターリン自身によって助長された反ユダヤ主義の暴動に再び関連して、1953年にヴァインベルクが逮捕された際には、ショスタコーヴィチは彼の同僚を助けようと努めました。「フルートとピアノのための12の小品」は、この無視された作曲家の卓越した個性が光るスタイルを俯瞰するのに最適な作品です。

最後にハンス・ガル(1890-1987)の音楽ですが、これは私が呼ぶところの、伝統的で混じり気のない「ウィーンの遺産」の平均律的なコンビネーションと言えるでしょう。「フルートと弦楽四重奏のためのコンチェルティーノ」は、その素晴らしい例であり、このコンサートにおける輝かしいフィナーレであります。ガルはまたまったく異なる様々な職業を持っていましたが、それらすべてを100パーセントこなしました。作曲家、音楽学者(ブラームス全集の編集者でもあります)、マインツ音楽アカデミーの監督、そしてシューベルトやワーグナーについて抜群の本を書いた著者でもありました。1933年にヒトラーが勢力を持ったとき、ガルはマインツを離れてウィーンに行きますが、1938年には「アンシュルス」のためにオーストリアを離れ、エディンバラへと逃れます。そこで彼はエディンバラ音楽祭の創設に携わっただけでなく、大学の教授ともなるのです。彼はほぼ1世紀も生き延びましたが、決して作曲を止めたりしませんでした。

主催:東京・春・音楽祭実行委員会 特別協力:上野学園 石橋メモリアルホール 協力:exil.arte center


※掲載の曲目は当日の演奏順とは異なる可能性がございます。
※未就学児のご入場はご遠慮いただいております。
※やむを得ぬ事情により内容に変更が生じる可能性がございますが、出演者・曲目変更による払い戻しは致しませんので、あらかじめご了承願います。
※チケット金額はすべて消費税込みの価格を表示しています。
※ネットオークションなどによるチケットの転売はお断りいたします。

(2017/02/22更新)

ページの先頭へ戻る