HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2015/02/05

作曲家はなぜ「24の前奏曲」に惹かれてきたのか
特別寄稿:野平一郎(《24の前奏曲》シリーズ出演)

東京・春・音楽祭2015「《24の前奏曲》シリーズ」Vol.4にて、没後100年となるスクリャービンの「24の前奏曲 op.11」を中核とする独自のプログラムを披露するピアニスト・作曲家の野平一郎さんに、多くの作曲家たちの創作意欲をかきたててきたジャンル「24の前奏曲」について、作曲家としての視点を織り交ぜながら解説いただきます。


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 作曲家が何か複数の作品を1つの曲集にまとめようとする場合、その数として24という数字は、これを2で割った12や4で割った6とともに必ず付いて回る。この原因は、もちろん1オクターヴの中に12個の半音があり、調性のシステムだと各々に長調と短調とあるので計24の異なった調があるというわけだ。それでは1オクターヴ12等分平均律以外のシステムで作曲すれば、12や24から逃れられるのかと思うと、どうもそうではないらしい。ロシアからフランスに亡命したヴィシネグラツキーは微分音程によるピアノ曲を書いているが、この中にも「24の前奏曲」がある。20世紀にはいると調性のシステムが崩れて来るから、24の長短調でという前提はくずれてくるが、なおかつドビュッシーは1910年前後に12の前奏曲を2度、計24曲書いたわけだし、24という数には至らなかったものの、やはり多くの調で前奏曲とフーガを書き独自の構成を見せるヒンデミット(「ルードゥス・トナーリス」)、24曲を2回仕上げたショスタコーヴィチ等の名が特に思いだされる。

 さて、24もの異なった調性にあった性格を見つけて作曲するという困難な作業を誰がはじめたのか。言うまでもなく大バッハであって、彼は「平均律クラヴィーア曲集」で生涯に二度もこの計画を成就させた。彼が先鞭をつけなければ、これだけ多くの作曲家があとに続こうとしたかは不明であろう。少なくとも19世紀の作曲家でバッハのことを考えなかった作曲家は皆無だ。彼らは24の前奏曲(とフーガ)をバッハに倣って書いてみようとした、というよりはバッハを尊敬し、彼を中心とした伝統に連なりたいという思いが強かったのである。ベートーヴェンは、オルガンないしピアノを想定して全部の長調をくまなくめぐる前奏曲を2曲も作曲した(作品39)。1曲の中で数小節ごとに調が変わって行く「変わり種」である。彼のバッハとのつながりは、むしろ後期の作品における独特な対位法的書式にあるわけだが、ここはそれを語る場ではない。

 次に重要な「24の〜」を作曲したのはショパンである。ショパンの1つ年長だったメンデルスゾーンもバッハを深く尊敬し、伝統に連なりたい一心で「前奏曲とフーガ」作品35を作曲したが曲集としては6曲どまり。ショパンと同年のシューマンしかり、見事なペダル・ピアノのための「カノンによるエチュード」作品56や「バッハの名によるフーガ」作品60も6曲セットにすぎない。こうした作曲家の興味を根本から変えることになったのはショパンの前奏曲集だろう。

アレクサンドル・スクリャービン
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 そもそも「前奏曲とフーガ」とは何か? もちろん前奏曲は何らかの本体への前奏という性格であることは確かで、おそらくは16世紀あたりのリュート音楽で、まずは何か即興的につま弾いていたのが起源ではないだろうか。しかしバッハの頃にはそこにさまざまな過去や現在の音楽のスタイルや編成の反映が見られる。性格的に多種多様なものが要求され、それが24の長短調の異なった響きとタイアップすることとなった。そして何よりも作曲家にとっては即興起源だということもあり、フーガという束縛の多い形式との対比で前奏曲はより自由度が高い楽曲であったのだ。これが大変ショパンにとって好都合だった。ショパンの小品は創造力のおもむくままに楽想が展開され、特に前奏曲集の場合日記帳のような短い流れの中に鋭い形式感や、凝縮された世界観が表明されている。スクリャービンはショパンの流れを踏襲した。調に与えた性格にも類似したものが見られるほど。晩年の独自の響きにはいまだ至ってはいないものの、ピアノは彼にとってショパンと同じく信仰告白の楽器であり、日常生活の細部まで入り込んだ楽器のその溶けるような柔らかい響きには、すでに神秘性の片鱗が見えている。

 こうしてバッハの影響下に「自由と束縛」の2本立てで行くのか、それともバッハから派生したショパンのように瞬間芸としての24曲に挑むのか、ここに2本の魅力的なラインが作られた。ドビュッシーのような伝統を覆し、たえず新しい音楽を求めて行く作曲家にとって、フーガはあまりに彼が捨て去りたい伝統と結びついていたので、2つめのショパンの側。ひとまとめの曲集には仕上げなかったものの、24の調で前奏曲を書いたラフマニノフも2つめのライン。興味深いのはショスタコーヴィチで、この2つのラインをどちらも満たそうとし、それを難なくやり遂げてしまった恐ろしい作曲家である。

 さてこれほどまでに過去の作曲家を虜にしてきた「24の〜」は、21世紀になっても作曲家を同じように奮い立たせて行くのだろうか。20世紀後半ではショスタコーヴィチに続き、カプースチン、三善晃などがこの難業に立ち向かい、後者は24の前奏曲が連なった1つの独特な構造を持つ「シェーヌ」(1973)を作った。私は、と言えばいつの日か12の中心音を2回ずつめぐるかたちで「前奏曲」は書けるかもしれないな、と夢想する。「フーガ」は、現代のエクリチュールでも可能は可能だろうが(最近ではホリガーの素晴らしいフーガが1999年に書かれた「パルティータ」にある)24もの作品を作れるのか、作って意味があることなのか、よく分からないというのが本音である。もし21世紀に再び「24の〜」が書かれることになったならば、それは明らかにピアノの創作の歴史に新しい一ページを加えるに違いないはずなのだが。

flyer_page_2424.png 〜公演情報〜
《24の前奏曲》シリーズ vol.4
スクリャービン    野平一郎(ピアノ)

【日 時】2015年4月9日(木)19:00開演
【会 場】東京文化会館 小ホール
【料 金】S:¥4,100 A:¥3,100 U-25:¥1,500
※ U-25チケットは、2015年2月13日(金)12:00 発売開始

その他の《24の前奏曲》シリーズ
vol.1 ショスタコーヴィチ ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)
vol.2 ドビュッシー ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)~銘器プレイエル(1910年製)で弾くドビュッシー
vol.3 ショパン ― アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)



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