PROGRAMプログラム

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2014-

原田禎夫 チェロ・シリーズ vol.6原田禎夫 チェロ・リサイタル
~ベートーヴェンを弾く

プログラム詳細

2014:04:04:19:00:00

© 青柳 聡
■日時・会場
2014.4.4 [金] 19:00開演(18:30開場)
東京文化会館 小ホール

■出演
チェロ:原田禎夫
ピアノ:加藤洋之 [インタビュー]

■曲目
ベートーヴェン:
 チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2 speaker.gif[試聴]
 チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 op.102-1 speaker.gif[試聴]
 チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 op.102-2 speaker.gif[試聴]
[アンコール]
シューマン:幻想小曲集 op.73

【試聴について】
speaker.gif[試聴]をクリックすると外部のウェブサイト「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」へ移動し、
プログラム楽曲の冒頭部分を試聴いただけます。
ただし試聴音源の演奏は、「東京・春・音楽祭」の出演者および一部楽曲で編成が異なります。


~原田禎夫チェロ・シリーズ~
~関連コラム~
「チェリスト・原田禎夫」

出演者

チェロ:原田禎夫 Sadao Harada NHK交響楽団のチェロ奏者だった父から手ほどきを受けた後、齋藤秀雄氏に師事。桐朋学園大学卒業。東京交響楽団の最年少首席チェリストを務めた後ジュリアード音楽院に入学、クラウス・アダム、ロバート・マン、ラファエル・ヒリヤー各氏に師事し室内楽の研鑽を積んだ。東京クヮルテットを結成し、ミュンヘン国際音楽コンクール等で圧倒的な優勝を飾り世界の注目を浴びた。▼続きを見るミラノ・スカラ座、アムステルダム・コンセルトへボウ、ニューヨーク・カーネギーホール等、世界の一流の舞台でベートーヴェン・チクルス等の名演を残し、録音でも数多くの賞に輝いた。1999年に30年間在籍した東京クヮルテットを離れ、ソリストとしてはNHK交響楽団(指揮:準メルクル)、新日本フィルハーモニー交響楽団(指揮:小澤征爾)、札幌交響楽団等と共演。室内楽では、ロバート・マン、アルバン・ベルク弦楽四重奏団、ジュリアード弦楽四重奏団、上海クァルテット、ジェシー・ノーマン、ピンカス・ズッカーマン、アイザック・スターン等と共演。その他、サイトウ・キネン・オーケストラ等に定期的に出演。
現在は水戸室内管弦楽団のメンバーを務める他、2006年に結成したアミーチ・カルテットとして、日本各地、アムステルダム・コンセルトへボウ、イタリアやドイツ各地、アメリカ・ワシントンD.C.等で演奏、室内楽講習会を続ける。また後進の育成にも大きな情熱を注ぎ、小澤国際室内楽アカデミー奥志賀、プロジェクトQ、スイス国際室内楽アカデミー、タングルウッド音楽祭室内楽マスタークラス、北京室内楽講習会等、数々の講習会や音楽祭で若い音楽家達を指導している。アメリカ・イェール大学音楽学部教授、ドイツ・トロッシンゲン国立音楽大学教授を経て、現在は上野学園大学音楽学部教授を務める。

© 齋藤清貴 ▲プロフィールを閉じる

チェロ:原田禎夫 Sadao Harada

ピアノ:加藤洋之 Hiroshi Kato 東京藝術大学器楽科を卒業。在学中に「安宅賞」を受賞。ハンガリー国立リスト音楽院でイシュトヴァン・ラントシュ氏に師事した後ケルンに移り、パヴェル・ギリロフ氏の下でも研鑽を積む。1990年ジュネーヴ国際音楽コンクール第3位入賞。これまでブルガリア国立放送響、ブダペスト・フィル、ヘルシンボリ響、ハンガリー国立響と協演するほか室内楽、リサイタル等の演奏活動を▼続きを見る ヨーロッパ各地で行っている。
特にウィーン・フィルのライナー・キュッヒル氏とは長年に渡り共演を重ね、2002年のウィグモアホール(ロンドン)へのデビューは"THE TIMES"紙上にて絶賛を博す。2010年にはウィーン・ムジークフェラインにてベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタ全曲演奏会が行われ、大成功を収めた。 ▲プロフィールを閉じる

ピアノ:加藤洋之 Hiroshi Kato

■曲目解説

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ
 ベートーヴェンは5曲のチェロ・ソナタを残しているが、書かれた時期は3分される。初期(20代半ば)に書かれた作品5(第1番、第2番)と、交響曲「運命」や「田園」などと同じ中期に書かれた作品69(第3番)、そして楽曲の内容も規模も重厚複雑になっていく後期の入り口に書かれた作品102(第4番、第5番)である。このように曲数は少なくとも、ほぼ創作の全時期をカバーしているのは、生涯を通じて、ロンベルクやデュポール兄弟、あるいはリンケといった名チェロ奏者との幸運な出会いがあったからだろう。

チェロ・ソナタ 第4番
 作品102が書かれたのは1815年だが、この年はベートーヴェンにとって大きな転換期だった。交響曲で言うと「第7番」「第8番」はすでに完成しており、後期の作風が姿を見せ始めた頃である。特にこのチェロ・ソナタ第4番は楽章構成も変わっていて、5つの部分からなる単一楽章と見ることもできるし、前半・後半の間にあるフェルマータの休止で区切って2楽章形式と見ることもできる。内容的には、より幻想性の強い内的な方向に踏み込んでおり、それが楽曲構成にも反映されているのかもしれない。

チェロ・ソナタ 第2番
 ベートーヴェンが成功を夢見てウィーンに出てきたのは1792年のこと。第2番のチェロ・ソナタは1796年の半ば、ウィーンからボヘミア、プロイセンに旅行した際にベルリンで書かれた。プロイセン王ヴィルヘルム2世の宮廷で、ベートーヴェンは名チェリストであるデュポール兄弟と親交を結んだのである。この作品は2楽章構成となっており、緩徐楽章を欠いている。その代わり、第1楽章の主部であるアレグロ・モルトの前に、流麗な旋律を朗々と歌うアダージョ部分が序奏として置かれ、目まぐるしく気分が入れ替わる終曲のロンド楽章へと続く。

チェロ・ソナタ 第5番
 作品102の2曲はどちらもチェロ奏者ヨーゼフ・リンケのために書かれた。リンケは、ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲の初演もいくつか行なったシュパンツィヒ弦楽四重奏団の名チェリストだった。チェロ・ソナタ第5番は、3楽章構成となっており、第1楽章は序奏なしに始まり、勢いのあるピアノ前奏に続いて、自由な空気を呼吸するかのようにチェロが歌い出す。そして深い哀しみのなかにも慈愛に満ちた美しい緩徐楽章を経て、最終楽章はフーガとなる。ここで展開される緻密なフーガは、後期ベートーヴェンの幕開けのようにも聴こえる。


主催:東京・春・音楽祭実行委員会

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