HARUSAI JOURNAL春祭ジャーナル

春祭ジャーナル 2013/02/12

チェリスト・原田禎夫
第5回 東京クヮルテットとの別れ

ノンフィクションライターの一志治夫さんが、チェロ奏者・原田禎夫の音楽活動の軌跡をつづるシリーズ『チェリスト・原田禎夫』。1995年、原田禎夫は、30年間在席した東京クヮルテットを離れ、新たな音楽人生を歩み始めた。

文・一志治夫(ノンフィクションライター)

 原田禎夫が大事にしたいと思っていたのは、音楽のクォリティだった。東京クヮルテットという名を掲げて、誇り高く積み重ねてきた日々が褪せていくのは耐え難いことだった。

 1990年代に入って、原田の中で次第に膨らみ始めていたカルテットに対する違和感は、もはや抑えようのないものになっていた。原田幸一郎、ピーター・ウンジャンという2人のヴァイオリニストが抜けたあとの状態に納得できなかったのである。原田は、質が保てないのであればインターバルをあけ、自分たちの音楽ができるようになってからやればいい、「東京」に相応しいメンバーを迎えてリセットするべきだという考えを持っていた。しかし、演奏会は休むことなく続けられた。

 そしてついに、1999年5月、宮崎のフェスティバルでの演奏会を最後に、原田は30年間在籍した「東京」から脱退する。

 「哀しいという感慨はなかった。むしろいろんなことからやっと解放されて、ほっとしたという感じでした。ただ、自分はこれからどういうふうに生活していくかという明確なものもなかったので、仕事の心配もあったんです。カルテットを30年やっていて、それ以外のことはほとんど知らないわけだし。ソロ弾くったって大変な作業だし、そんな簡単にはできない。新しくカルテットをつくるという作業もとても難しいことでしたし。やめた直後は、いったい自分には何ができるんだろうと思っていました」。

 それでも、その年の夏、原田は新たな一歩を踏み出す。師と仰ぐロバート・マンからベートーヴェンのカルテットに以前から誘われていて、これに応えたのだ。舞台はサイトウ・キネン・フェスティバル。そして、ここから原田とサイトウ・キネンとの新たな歴史が始まる。青春時代のトラウマとなっていた齋藤秀雄の名を冠したフェスティバルに加わることになったのである。

 「マンさんとはずっと一度はやってみたいと思っていたし、ベートーヴェンの後期を演奏することはすごいいい経験だった。『東京』を苦しんで辞めたことによって、こんなご褒美もあるんだという感じでした。20代のときにカルテットをやるきっかけをつくってくれたマンさんと、この年になって一緒に音楽をできることが本当に嬉しかったんです」。

 これ以降、原田はマンとの演奏会を毎夏、松本で開くことになる。シューベルト、モーツァルト、ドボルザーク......。それは原田にとって珠玉の時間だった。

 「マンさんは音楽に打ち込むときのコンセントレーションがすごかった。本番ではもちろんなんだけど、練習のときから手を抜かない。マンさんがあの年で、打ち込んで、フィンガリングを考えたり、ボウイングをかえたり、そういう工夫を絶えずやっていた。年をとると体力の問題もあって、集中力が落ちてくるんだけど、あの人は絶対に落とさなかった。とりわけチェロでもピアノでもなく、(不自然な姿勢で弾く)ヴァイオリンという楽器でそれができたことはすごかったと思う」。

 原田は、その一方で、2000年末からサイトウ・キネン・オーケストラにも参加し始める。

 「松本でマーラーのシンフォニーをやったんです。桐朋時代のひっかかる思い出もあったし、ものすごく恐れながら参加したんだけど、マーラーは素晴らしいし、何十年ぶりかで参加したフル・オーケストラにはすごくエキサイトした。音を出すタイミングがカルテットとは違っていて、最初は面食らったけどね。でも、みんなもすごい親切にしてくれたし、ああ、考えていたほど(齋藤スクールも)ひどいもんじゃないぞと思ったんです」。

 原田は、こののち、サイトウ・キネン・オーケストラの欠かせぬ奏者のひとりとなり、同時に小澤征爾との関係を深めていく。小澤が主宰する奥志賀の音楽塾でも若い演奏家たちを教え始めるのである。それは、原田にとっても新たな境地だった。教えることの面白さを味わうことになるのである。そして、ほぼ同時に、ドイツと東京の大学でも教壇に立つようになる。

 「僕は、技術的にどうこうよりも、音楽にどこまでパッションがあるかという部分を大事にしたいと思って教えていた。若い人がひたむきに演奏することによって、こっちに伝わってくるものがあるのではないか、と最近特に思うようになった。テクニックだけじゃなくて、音楽で何を伝えたいのか、ということが一番大事なんだということを教えようと思っていた」。

 それは、すなわち、原田禎夫の音楽を貫く核でもあるわけである。



第1回 恩師・齋藤秀雄 |  第2回 「東京クヮルテット」誕生前夜 |  第3回 「東京クヮルテット」デビュー! | 
第4回 世界をめぐる「東京クヮルテット」 |  第5回 東京クヮルテットとの別れ | 最終回 終わることのない旅


~関連公演~
原田禎夫チェロ・シリーズ
【2014】
【2013】
【2012】

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